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星空の下で(前)

 空気が冷たい季節になると星がよく見える、とは誰が最初に発見したのか。

 何気なく生きていたら、見上げなければいけない夜空の違いなんて気づけやしないし、根本的に関心を持たなければ比べようとも思わないだろう。



「……星が綺麗」



 シェルリアにとって視界に散らばる宝石のように輝く星々は正しくそれで、きっと春でも夏でも綺麗だと思うことに違いはないのだ。気づけたとしても、今日ははっきり見えるなぁ程度だろう。


 人は案外変化に鈍感だ。敏感だと思うのは、気にかけている証拠とも言える。

 それは、他人の変化に対しても、自分の変化に対してもだ。


 シェルリアは今、自分の中に起きているであろう変化を実感していた。


 寒空の下、ストールをしっかり体に巻き付け、警備の目を盗み、王宮の敷地内を歩き抜ける。独断のためチェルシーの助け舟はないので、見つかれば面倒なことになるのは必須。今までのシェルリアならば、ここまで危険なことはしないだろう。


 いや、一度したことがある。『忘れ屋』を訪ねたときだ。

 だが、あの時は怒りや悲しみなどで冷静さに欠けていた。けれど今は、星の美しさを感じることができるくらいには落ち着いている。


 そんなシェルリアが目指している先は、ここ数日毎日のように通っていたセドリックの秘密の小屋である。


 決して待ち合わせをしているわけでも、セドリックに呼ばれたわけでもない。

 目的だってありはしないーーはずだ。



「ーーふぅ……着いた」



 それでも、小屋へとたどり着いたシェルリアの口からは安堵の声が漏れた。


 部屋の窓に明かりはなく、人の気配もない。辺りをランプで照らしてみても、木に囲まれているだけで動くものはない。

 そこでやっと、シェルリアは大きく息を吐きながら小屋のドアに背を預け、座り込んだ。


 心の中をぐるぐると回っている感情は、安堵か落胆か。

 シェルリアはランプを横に置き、膝に顔を乗せた。



「何やってるんだろう」



 くぐもった声には呆れの色が混ざっている。それは、もちろんシェルリア自身に対してだ。


 昼間から自分は少しおかしい、とシェルリアは感じている。

 ゲイルとのことをすんなりと消化し、解決できたことは良かった。けれど、セドリックへ感謝の気持ちを抱いただけのはずが、無性にセドリックに会いたくなって、シェルリアは今、ここにいる。


 小屋に来ればセドリックがいる、だなんて思っていない。正直、いたらいたで焦るだけだ。

 それでも、ほんの少し残念に思う自分もいて、シェルリアはこのはっきりしない自分の感情にモヤモヤとしていた。


 ついこの前まで嫌っていて、嘘をついていて、避けていた相手に、それとは正反対の感情を向けようとしている。

 それはおかしなことではないか。というか、恋愛なんてこりごりだと思っていたはずではないか。いや、まずこれは恋心じゃないだろう。



「ああぁぁぁああ……」



 シェルリアは頭を抱える。

 些細な変化であったなら、シェルリアは気づかないまま悩むこともなかった。だか、もう頭を抱えている時点で、答えはすぐそこなのかもしれない。


 しかし、シェルリアは抗う。抗わなければならない。

 セドリックは特別王宮薬師で、伯爵家の次期当主で、将来を有望視されてる人物だ。こんなにも関わりを持ってくれること事態、おかしい。

 その証拠に、セドリックに親密な関係の女性がいるという噂はあっという間に王宮全体へ広まることになった。



「……帰ろう」



 ゆっくりと立ち上がったシェルリアは、合鍵でドアを開けることもなくその場から去ろうとする。

 休憩という名目がなければ小屋に入る勇気さえないのに、本当に何をしに来たのか。シェルリアが第三者ならば、確実にそう思っていただろう。


 その時、小屋の後ろ側からガサガサと草の揺れる音がした。

 シェルリアは見回りの騎士かと身を固める。


 足音は徐々に近づいてきて、シェルリアは隠れる場所を探し、辺りを見回した。

 草木は生い茂っているが、人が隠れるには草の背丈が低く、木も細い。シェルリアは咄嗟にドアの鍵に手を伸ばし、合鍵で鍵をあけ、中へと飛びいった。


 小屋の隅に身を丸め、なるべく気配を殺す。

 足音はどんどん大きくなっていき、シェルリアは息を呑んだ。



 ーーガシャ。



 ドアノブが回され、シェルリアはもう駄目だと目を強く瞑る。手の震えが止まらなかった。



「誰かいるのか!」

「ひぃ!」



 大きな声にびくりとシェルリアの肩が跳ねる。

 見つかる、これはもう観念するしかない。そうシェルリアが諦めかけた時、予想外なほど落ち着いた声が降ってきた。



「……シェルリア、さん?」

「ふぇ?」



 恐る恐る首だけを動かしたシェルリアの視線の先には、ドアから顔を覗かせたセドリックの姿。ランプを顔の高さまで持ち上げたことで照らし出されたセドリックの表情は、あり得ないものを見た、という感情がはっきりと表れていた。



「どうしてこんな夜にこんなところでーー」



 セドリックは捲し立てるように言いながら慌てて小屋へ入ると、踞るシェルリアに近づき、片膝をついてシェルリアの上体を起こす。されるがままのシェルリアは、やっとのことで顔を上げた。



「……セ、セドリック、さ、ま?」



 確認するシェルリアの呼びかけに、セドリックは頷いて見せる。

 その瞬間、張り詰めていた糸が切れたかのようにシェルリアの表情がくしゃりと歪んだ。



「よ、よかったぁ……見回りの騎士様かとぉ……」



 涙を瞳いっぱいに浮かべ、泣いてるのか笑ってるのかわからない複雑な表情で、シェルリアはセドリックの手にしがみつく。震えているせいか、手に力が入らない。



「こんなに震えて……驚かせてすまない」



 セドリックはシュンと眉尻を下げる。けれど、シェルリアは大きく首をふった。



「セドリック様は悪くありません。私が勝手に来てしまったから」

「……どうしてこんな夜遅くに?」

「それはセドリック様に会いーーっ!」



 そこまで言って、シェルリアはハッとし、すぐさま口を閉じる。


 ほっとしたことで心が緩んでいるのか、変なことを口走りそうになった。

 小屋に来た目的ははっきりしていないーーそのはずだったのに。


 シェルリアは誤魔化すように立ち上り、セドリックから距離をとろうと一歩下がる。

 幸い、セドリックはシェルリアが何を言おうとしたのか気づいていないようで、反応はない。このまま何もなかったことにできないかとシェルリアは別の話題を探していた。


 だからわからなかったのだ、セドリックの変化が。


 セドリックの片手がシェルリアの手を掴む。



「っ!」



 それはほんの一瞬のことで、そのままセドリックの方へと引き寄せられた手にひっぱられるようにして、シェルリアは片膝をついたままのセドリックの胸の中に飛び込んだ。



「きゃぁーー」



 シェルリアの驚きの声はセドリックの胸に吸収されていく。


 突然のことにシェルリアの頭は思考を停止させた。

 唯一わかるのは、ぎゅっと強く抱き締めてくるセドリックの手の温かさと、鼻を擽る懐かしい薬草の香りだけ。


 それ以外のことは、何もわからなかった。

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