会いたい
昼食を手に王宮図書館へ戻ってきたシェルリアは、個室に入ってすぐ、室内に漂う空気の変化を感じ取った。
予定では、シェルリアが昼食を取りに行っている間にミリアがチェルシーを休憩させ、そのまま食事をしてもらうはずだ。けれど、チェルシーは未だ机にかじりついていた。
シェルリアがどしたのかとミリアへ視線を向ける。ミリアは静かに首を横に振った。
チェルシーが研究に没頭して休憩や食事を忘れることは多々ある。しかし、そこを調節するのが侍女の仕事であり、チェルシーは素直に従ってくれるのだ。
「お食事をお持ちしました」
シェルリアは控えめに声をかけてみる。だが、チェルシーからの返答はない。
書物にかじりつき文字を追っているチェルシーの表情は真剣で、これ以上の声かけは無駄に思えた。ミリアも同意見なのか、黙ってチェルシーを見つめている。
やけに静かな室内にページをめくる音だけが響く。
シェルリアはすぐに食べられるようテーブルに食事を並べ始めた。ミリアが手伝うために近づいてくる。
「私が部屋を出てからずっと?」
小声でシェルリアはミリアに問いかける。こくりと頷いたミリアは眉を潜めた。
「シェルリアが行ってすぐ、何かを発見したのか無心で読み込んでいるの。何度声をかけても返事がないわ」
どうしたものかと二人は頭を抱える。
ライラにはくれぐれも頼むと言われている故、このまま食事をとらないなんてことがあってはならない。けれど、チェルシーに声が届いているようにも思えない。
「もう少し様子を見てみる?」
「でも、食事が冷めちゃーー」
ーーバンッ!
二人の会話を遮る大きな音が部屋に響く。ビクリと肩を揺らした二人の視線の先には、机に両手をついた姿勢で立ち上がったチェルシーの姿。先ほどの音は机を叩いた時のもののようである。
「見つけた、見つけたわっ!」
興奮しているのかチェルシーの瞳がキラキラと輝いているように見える。
シェルリアは首を捻り、ミリアは唖然としていた。王女として育ってきたチェルシーにしては珍しい姿だったからだ。
「……チェルシー様、お昼はいかがなさいますか?」
「ええ、ええ。頂きますわ。早く食べて続きを読まなくては!」
そう言って食事が並べられたテーブルへと歩いてきたチェルシーは、シェルリアへ顔を向け、意味深な笑みを浮かべる。シェルリアはチェルシーの考えていることが全くわからない。
「これで少しは貴女達も進展するかもしれませんわね」
「進展? チェルシー様、なんのことを仰っているんですか?」
ふふふっとチェルシーは答えることなく笑い声を漏らす。これは教えるつもりがないなと判断したシェルリアは困り顔だ。ミリアに助けを求めるも、諦めろとばかりに目を伏せられてしまった。
「そういえば、シェルリアは一人になっている間、何もありませんでした?」
このタイミングで聞くのか、とシェルリアは思わず苦笑いを浮かべる。それでも、気にかけてもらえるのは素直に有り難かった。
皆に心配や迷惑をかけているのも事実なので、シェルリアは先ほど廊下であったゲイルとの出来事を報告する。
「ーー……というかんじで、はっきりと終わらせてきたので、もう訪ねてくることはないと思います」
「大丈夫なの?」
ミリアがシェルリアの気持ちをあんじて心配げな眼差しを向けてくる。浮気現場を共に目の当たりにし、シェルリアの落ち込みようを知っているため当然の反応とも言える。
その眼差しにシェルリアは笑顔を返した。
「大丈夫。思ったよりも辛くなかったの。冷静に対応できたと思う」
ミリアは驚いたように目を見開いた。シェルリアの笑みがあまりにも清々しく見えたからだ。
あんなにも打ちひしがれていたのに、今のシェルリアはしっかりと自ら区切りをつけ、前を向いている。この短い期間でシェルリアに何があったのかと不思議に思いもするが、ミリアは心から良かったと思えた。
だから、ミリアの表情にも自然と笑みがこぼれる。
「シェルリアが心から笑えていて私も嬉しいわ」
「ありがとう、ミリア。そして、チェルシー様にまでご心配をおかけして申し訳ありません」
ここまでただの侍女を気にかけてくれる人はいないだろう。シェルリアは深々と頭を下げる。
チェルシーは「気にしなくていいのです」と目を細めた。
「それに、わたくしは気にかけるだけしかしていません。乗り越えたのはシェルリア自身ですからね」
チェルシーの言葉を受けて、シェルリアは改めて考える。
今、シェルリアが笑えているのは自分の力だけではない。気にかけてくた主がいて、話を聞いてくれた同僚がいた。手を抜くことのできない仕事があった。
そして、怒りや悲しみで自暴自棄になり、ゲイルとの思い出も感情も全て消そうとしたシェルリアに、それはいつか自分の糧になると教えてくれた人がいた。悲しむ余裕などないほどに悩んだけれど、彼、セドリックの存在はシェルリアの心を大きく動かした。
セドリックへの怒りはゲイルへの怒りを忘れさせ、セドリックの優しさは心を癒してくれた。全てを受け入れようとしてくれるセドリックの誠実さは、揺らいだ人への信頼を繋ぎ止めてくれた。
記憶を残していたからこそ、ゲイルの本当の姿を見極めることができた、とゲイルに会った今、シェルリアははっきりと言い切ることができる。
あんなにも警戒していたのに、嫌っていたのに、浮かぶのはセドリックの穏やかな優しい微笑みばかりだ。
「……ちゃんと感謝の気持ちを伝えたいな」
口から溢れ出た本心は、じわじわとシェルリアの全身に広がっていく。
セドリックは今どうしているのだろうか。
休憩に使うと言いながら、全然小屋には来ていないし、ちゃんと休息をとっているのだろうかと心配にもなってくる。
毎日用意されているお菓子や増えていく一言メモ付きの薬草図鑑。
無理なんてしてほしくないから、気を使わなくていいと伝えたいのに、シェルリアにはそれを伝える手段もない。
そう、いつだってセドリックがシェルリアのところに来てくれていた。
シェルリアがセドリックにしてあげられたことなんて何もないのに、セドリックはいつも笑ってシェルリアの横に立ち、救いの手を差しのべてくれた。
ドクリとシェルリアの心臓がなく。思わず胸元を手で押さえたシェルリアの表情が情けないほどくしゃりと歪んだ。それはまるで泣き出す寸前の子供のよう。
ーーあぁ、何故か。無性に彼に会いたい。
この痛みをシェルリアは知っている。知っているけれど、怖くて認めきれなくて、ぐっと息を止めた。




