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天使の執着

 白い壁に白い家具、大きなベッドも真っ白。カーテンやクッション、カーペットなどは淡い色のものが使われているが、部屋に足を踏み入れた者は、まるで天国にいるかのような錯覚に陥る。


 そう思わせるのは、非現実的な白さと花束を散らしたような色合い。極めつけは、その部屋の主が天使のように愛らしく、可憐で、儚げな雰囲気を纏っているからかもしれない。


 天使こと部屋の主であるクリスティーナ・リリアル・アルリオは、アルリオ王国の第二王女だ。


 銀色の髪は絹糸のように細く、青い瞳は澄んだ泉を連想させる。整った顔立ちは普段は美しく、儚げに見えるけれど、笑うと人々の視線を独り占めにするほど可愛らしい。

 簡単に折れてしまいそうなほど細く白い手や体つきは、庇護欲を沸き立たせ、柔らかな声でお願い事をされれば誰もが叶えたくなるだろう。


 それに加え、彼女は幼き頃から病弱で、公務もほとんどできず、公の場にも数回しか出席したことがない。

 四人兄妹の三番目、同盟国に嫁にいった長女や兄である王太子は仕事ができ、妹の三女も研究の合間に公務をしていることもあってか、幼い頃は死と隣り合わせの状態になることもあったクリスティーナに両親が口煩く言ってくることはなかった。


 そして、それは二十一歳になった今も変わらない。政治的価値が低く、部屋からほとんど出ない病弱として有名なクリスティーナを娶ってくれる者は少ない。しかも、いたとしてもクリスティーナは何かしらの理由をつけて縁談を断り続けている。


 両親である国王両陛下もさすがにクリスティーナを説得しようと試みたが、クリスティーナははっきり告げたのだ。『結婚するならばセドリック・ランベルがいい』 と。


 両陛下の反応は芳しくなかった。

 ランベル家の爵位は伯爵で、王女を娶るにはそれなりに根回しが必要になる。まぁ、そこはあまり問題とは言えない。最大の問題は、セドリックが特別王宮薬師であることだ。


 特別王宮薬師を多く輩出している歴史の長いランベル家が今も伯爵位なのは、権力をこれ以上高めないためである。只でさえ特別王宮薬師は王族に認められた存在なのだ。

 爵位は中間だが、公爵の依頼を蹴ることができるほどの権利を持つ彼らに、王族が嫁いでみろ。権力のバランスが崩れるのは容易に想像がつく。


 いくら可愛い娘の頼みでも、そこは国のトップ。安請け合いはできない。

 クリスティーナの婚約者としてセドリックの名は挙げられないとはっきり伝えた。


 その時、クリスティーナはまだ十二歳ぐらいだったはず。大泣きして、次の日熱を出した。


 そして、歳月は過ぎ……



「脈も正常ですし、熱は少しあるようですが、安静にしていれば大丈夫でしょう」

「そうなの……ちょっとふらついてしまったから不安だったけれど、良かったわ」



 クッションに背を預け、ベッドの上で王宮医師の診断を受けていたクリスティーナはふわりと微笑みつつ、すがるような視線を医師の隣に向けた。


 白いローブは金色の髪をより輝かせ、真剣な表情は彼の美しい顔を男らしく見せる。出会ったときから崩れることのないセドリックの整った顔立ちは、いつ見ても何度見ても飽きることはないし、ずっと眺めていたいとクリスティーナは心から思う。



「新しいお薬は必要なさそうですね。では、クリスティーナ様、ごゆっくりお休みください」



 医師に診察内容の確認をとったセドリックは、柔らかな笑みを浮かべ、優しい口調で休むようクリスティーナに促してくる。それは一見労っているようにも見えるが、はっきり言って薬師と患者の関係にしか思えず、クリスティーナは落胆した。

 クリスティーナが望んでいるのはこういう関係ではない。クリスティーナは咄嗟にセドリックの白いローブを掴んだ。



「ねぇ、セドリック。少しお話しをしない? わたくし心細くて……」



 上目遣いで瞳を潤ませれば、皆クリスティーナのお願いを聞いてくれる。細くか弱い手を振り払う者などどこにもいない。

 セドリックだっていつもお願いすれば手を取ってくれた、話を聞いてくれたーーそう、昔は。



「心配なされなくても大丈夫ですよ。先生の診断はいつも正確です。私は仕事が残っておりますので、申し訳ございませんが遠慮させていただきます」



 そう言うと、無情にもセドリックはそっとクリスティーナの手を引き剥がす。



「お願い、少しでいいの。ねぇ、どうして聞いてくれないの?」



 今にも瞳から涙が溢れそうなクリスティーナが、もう一度セドリックへ手を伸ばす。けれど、その手はセドリックがベッドから一歩距離を離したことで何も掴むことができなかった。

 クリスティーナの表情が僅かに歪む。その事に気づいているのかいないのか、セドリックは小さく頭を下げた。



「申し訳ありませんが、私は薬師です。薬で患者の病気を治すのが仕事なのです。まだ一人前というには程遠いと思いますが、私の薬を待ってくれている患者がいます。クリスティーナ様は、随分と元気になられました。もう私は必要ありません。あとはクリスティーナ様の気持ち次第です」



 セドリックはあくまでも薬師と患者の関係であることを強調する。他者から見ればあまりにも冷たい仕打ちだが、セドリックにこの姿勢を崩す気はなかった。


 実際、クリスティーナの誘いは診察以外の時も頻繁にある。王族としての招待もだ。

 けれど、セドリックは侍女がいるとしても婚約者でもない女性と部屋で二人きりは良くないと断り続けている。クリスティーナの気持ちに答える気がないのに、あらぬ誤解をされるのは避けたいし、貴族社会において噂ほど面倒なものはないのだ。


 少し酷なようにも思えるが、期待させる方が問題が大きくなることもある。セドリックは冷静に目の前の状況を見つめ、はっきりと薬師としての立場で対応していた。


 しかし、クリスティーナが納得するはずもなく、周りも手助けするように侍女が王宮医師を部屋の外に案内し始める。



「ねぇ、セドリック。わたくし達は子供の頃からの友人でしょう? お見舞いとしてお話しするのは普通のことではないの?」

「そうですね……では、後日改めてチェルシー様と一緒に訪ねさせーー」

「何故そこでチェルシーが出てくるのっ!」



 耐えきれず声を上げたクリスティーナの顔は怒りで赤く染まっていた。

 クリスティーナはチェルシーが好きではない。チェルシーは幼い頃から変わった子供だったが、それ以上にクリスティーナと根本的に合わないのだ。


 見た目とは裏腹にサバサバとした性格で、なんでも一人でこなしてしまうチェルシー。見舞いに長女と来てくれていたが、優しい姉と違い、チェルシーはズバズバとクリスティーナの耳の痛いことを言ってきた。

 それに、セドリックとも何かと一緒にいたのが気にくわない。健康なのも、頭がいいのも……全てが気に入らないのだ。


 そんな相手の名前がセドリックの口から出るなんて、クリスティーナは耐えられなかった。

 しかし、セドリックにとってはチェルシーもクリスティーナ同様、幼なじみであり、下手に他の令嬢を連れてくるよりも安全かつ無難な選択と言えた。



「セドリックは優しくないわ。わたくしが心配ではないの?」



 ぷくりと頬を膨らますクリスティーナは子供のようだ。自分の思い通りにならないことへの不満がはっきりと見てとれる。

 セドリックは心の中でため息をついた。



「もちろん早く良くなってほしいと心から思っております。けれど、私は特別王宮薬師としてこの場に立っており、今後もその立場を変える気はありません。ですから、クリスティーナ様の願いを聞き入れることは私にできないのです」



 はっきりとしたセドリックからの拒絶にクリスティーナは目を見開いた。今までこんなことはなかったからだ。

 今まではやんわりと断られたり、時には押し勝ったりしたこともあったのに。


 どうして、とクリスティーナの頭は悲しみで満ちていく。それと同時に、うまくいかないことへの怒りも湧き上がる。

 クリスティーナはセドリックに結婚しようと言わせたいのだ。両親が乗り気でない以上、もうセドリックからの要望でなければ叶うことはないだろうから。


 それなのに、なにもかもうまくいかない。

 どうして一番お願いを聞いて欲しい人は、聞き入れてくれないのか。手を振りほどくのか。



 黙ってしまったクリスティーナへセドリックは一礼して部屋を出ていく。

 セドリックの背を静かに眺めていたクリスティーナは、ドアが閉まってすぐ、脇に控えてるはずの侍女を呼んだ。



「ネリー」



 そう呼ばれて出てきたのは、美しい娘。



「あの噂は、やはり本当なのね?」

「はい。実際に見た者もおります」



 クリスティーナは暫く考える素振りを見せると、なにかを決断したように真っ直ぐネリーへ視線を向けた。



「少しお願いがあるのだけど聞いてくれる?」



 それは誰もが聞き惚れるほどの甘く可憐な声。

「もちろんでございます」とネリーが答えれば、微笑みの天使が舞い降りる。



「……私から離れることなんて絶対許さない」



 けれど、天使の口から溢れ落ちたのは、呪いのように重く冷たい言葉だった。

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