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彼の選択は

 もう二度と会うことはないと思っていた。

 王宮は広い。シェルリアが忘れ屋を訪れた日を境に会う頻度が多くなったから勘違いしてしまいそうになるが、三年近く王宮で働いていたシェルリアが男性と言葉を交わす機会など限れていた。だから、顔を会わせる、ましてや二人っきりで会うことなどないと思っていたのだ。



「驚かせてしまい、申し訳ありません」



 そう言って眉を下げた彼の口元は僅かに笑みを作り、声は穏やかである。この状況に驚いているシェルリアが間違っているような錯覚にすら陥りそうだ。

 けれど、何事もなく普通に振る舞われるほど、シェルリアの心はビクビクと怯えていく。



「セドリック、様?」



 この部屋は第三王女のチェルシーが所有する部屋である。チェルシー付きの侍女が出入りするならばまだしも、部外者と言っていいセドリックが容易に入れるところではない。ましてや、入り口近くの机にはライラがいたはずだ。


 困惑を隠しきれない震えたシェルリアの呼びかけに、セドリックは誰もが見惚れる微笑みを浮かべ、「はい」と体に響くような甘い声で返事を返した。

 その表情や声からはシェルリアに会えたことへの喜びが伝わってくる。


 もしかして手伝いの辞退を受け入れてもらったことや名を偽っていたことをチェルシーから聞かされていないのだろうか、とセドリックの様子にシェルリアは疑問を抱くが、先程セドリックは確かに『シェルリア』と名を呼んだ。少なくともシェルリアの名前が()()ではないと知っているはずである。



「こ、こちらの部屋に御用でしたか? それともライラ様にーー」

「貴女に会いにきました」



 シェルリアはビクリと肩を揺らした。真っ直ぐ向けられる金色の瞳を見ていられず、シェルリアの視線が下がっていく。


 セドリックが何を思ってシェルリアに会いにきたのかはわからない。けれど、セドリックはシェルリアに文句を言う権利があり、シェルリアにはそれを受け止める義務がある。


 ()()()なんて選択肢は元から存在しないのだ。

 セドリックの反応が怖くて、卑怯にも直接嘘をついていたと告げることから逃げたシェルリア。しかし、知られてしまった以上、シェルリアが背を向けることは許されない。


 覚悟を決めたシェルリアは大きく息を吸い込むと、勢いよく顔を上げた。瞬き一つせず、体の震えを誤魔化すように両手でスカートを掴み、真っ直ぐ前を見据えるシェルリアの姿を目にして、セドリックは体を僅かに強張らせるも、口元が緩むのを止められなかった。



「今日会いに来なければ、もう会ってもらえないだろうと思いまして」



 セドリックの言葉にシェルリアは大きく首を横に振る。

 その言い方だと、まるでシェルリアがセドリックを切り捨てているようではないか。



「私には会う会わないを選ぶ権利などありません。私がセドリック様とお会いするのに相応しくないだけです」

「どうして? 名前を偽っていたから?」



 思わずシェルリアの顔が悲痛に歪む。

 何とかコクりと小さく頷いたシェルリアに、セドリックは場違いなほど穏やかな眼差しを向けた。



「そんなこと気にしないよ」

「なっ!?」



 驚きで息を飲んだまま固まるシェルリアに、セドリックは一歩ずつ近づき始める。



「言ったでしょう? 貴女のつく嘘なら許してあげたいって」

「……ど、どうして」



 もはや唖然とする他ないシェルリアの目の前まで来たセドリックは、日だまりのように温かく優しい笑みを浮かべた。



「これからも()()()()()さんの側にいたいから」



 シェルリアはくしゃりと表情を歪めた。不安定に揺れながら見上げる赤い瞳には、うっすらと水の膜が張られている。



「で、でも……そんな簡単に許されて良いことじゃーー」

「受け手が許したいんだからいいんだよ」

「……それに、私の迂闊な行動で噂だって流れ始めてて、セドリック様にご迷惑をおかけーー」

「迷惑だなんて思ってない。俺はあんな噂気にしないしね。でも、俺の立場上、シェルリアさんに迷惑をかけちゃうのは解りきってることだから、これからは人目を気にするようにする」



 シェルリアは頭が追い付かずポカーンと間抜けにも口を開けたまま動きを止めていた。


 名を偽ったことを許してくれるというだけでも、心の中は安堵やら申し訳なさやらでいっぱいいっぱいなのに、セドリックの口調も明らかに以前より砕けている。

『私』が『俺』になっているし、敬語もなくなっている。一度そのような姿を見ているが、これはつまり素の状態をさらけ出してくれているということだろうか。



「あの、い、一人称が……」

「あぁ。シェルリアさんには本来の俺を知ってもらいたいと思って」



 思わずひきつり気味で口にしたシェルリアの疑問にもセドリックは晴れやかな笑顔で答える。

 その爽やかさにシェルリアは耐えきれず顔を両手で覆い隠した。眩しすぎて直視できない。



「あ、そうだ。もしよかったら、昼休みにでも忘れ屋の時に使ってた小屋を使って」

「え?」

「あそこは俺らしか知らないし、自由に使ってくれて構わないよ。もし時間が合ったらお話もできそうだし。これ、合鍵」



 そう言って差し出された小さな鍵を、シェルリアは恐る恐る顔から手を外し、見つめる。

 これを手にとるべきなのか、とるべきではないのか、シェルリアに判断することはできなかった。身分差による命令ならばシェルリアは鍵を受けとるしかないだろう。しかし、セドリックがそんなことを考えるとは思えない。


 困ったように鍵を見つめるだけで取ろうとしないシェルリアの様子に何を思ったのか、セドリックは焦ったように早口で声をかけた。



「二人っきりだからって何かするなんてことはないよ! 心配しなくても大丈夫!」

「え! あっ、いや、あの、違っ……」



 そんな心配など微塵もしていなかったシェルリアは、顔を真っ赤にして首を必死に横へ振った。

 セドリックが人の嫌がるようなことをするなんてシェルリアは思ったりしないし、疑いもしない。けれど、この躊躇がセドリックにそう思わせるのなら、と思ったシェルリアは、勢いよく腕を伸ばし鍵を握りしめた。



「そ、それじゃあ、お言葉に甘えて」



 顔を伏せて呟いたシェルリアを見下ろしながら、セドリックは安堵の息を吐く。頑張りが報われた瞬間だった。



「……あの、セドリック様」

「なに?」



 頼りなさげなシェルリアの声にセドリックはピクリと眉を揺らす。もしや突き返されるのでは、とセドリックは思った。けれど、セドリックの心配とは裏腹に、顔を上げ真剣な顔を見せるシェルリアの口から出たのは謝罪の言葉だった。



「嘘をついて、本当に申し訳ありませんでした」



 深々と頭を下げるシェルリアをセドリックは肩から力を抜き、苦笑いを浮かべながら見つめる。



「そこで素直に謝れる君がーー」



 そこで言葉を切ったセドリックの瞳が切なく揺れた。

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