視界に映るのは
控え室を出て廊下を進んでいく。シェルリアの前を歩くライラは、しゃんと背筋を伸ばし、黙ったままだ。その沈黙がやけに重く感じる。
ライラに呼び出された理由は何か。シェルリアの頭の中を色々な予想がぐるぐると巡る。
仕事でミスをした……心当たりはないが、上司からの呼び出しと考えると真っ当だ。
領地で何かあった……あの兄のことだ。時間帯など気にすることなく真っ先に直接伝えてくるだろう。
それとも、セドリックの噂の相手がシェルリアだと知られてしまった……セドリックは王宮特別薬師で次期伯爵である。子爵令嬢でしかないシェルリアと噂がたつのは不味いと判断されても可笑しくはない。
考えれば考えるほど、自然とシェルリアの視界に映るのは真っ赤な絨毯だけになっていった。
「ちゃんと顔を上げて歩きなさい」
「っ! は、はい。申し訳ありません」
ライラの声にシェルリアが慌てて顔を上げる。いつの間にかライラは足を止め、シェルリアを見つめていた。その眼差しにシェルリアは息を止める。
「入りなさい」
「……はい」
ライラが示したそこは、チェルシー専用の書庫。
チェルシーは古代の魔術を研究していて、それを侍女達は当たり前のように扱っているが、王女であるチェルシーが研究にのめり込んでいるということは決して有名な話ではない。
国を動かしているのは今も男性が主だ。決して女性を卑下に扱っているわけではないが、学ぶことに熱を上げる女性は少ない。学ぶだけでなく研究までしているとなるとほとんどいないだろう。
それが第三王女となれば、周りの目も気にしなくてはいけない。お茶会のような他人と接する場を嫌うチェルシーだが、規模や招待してきた相手によっては出席せざる終えない場合もある。
王族として威厳を保つためには猫を被らねばならない瞬間が存在し、王宮図書館に出入りしていると知られても、国の歴史に興味があるなどと有耶無耶にしておかなければいけないことも多々あるのだ。
学び知識をつけることをはしたないと思ったことのなかったシェルリアは、ひどく窮屈な世界でチェルシーは生きなければいけないのだな、と思った。
けれど、チェルシーにたくさん部屋が与えられているのは、そのチェルシーの隠さなければならない部分を家族が認め、受け入れてくれたからでもある。
普段生活する場所には最小限の物しか置かず(それでも一般的な女性と比べるとかなり多いが)、他の資料や本などは何個かの部屋に分けて保管している。もちろん王族としてそれ以外の部屋もある。働いて二年のシェルリアは、まだ全ての部屋を把握していない。
ライラに促され足を踏み入れた部屋は、シェルリアにとって初めて見る部屋だった。部屋の手前には机が二つ。机の横には棚があり、書類のようなものがぎっしりと並んでいる。奥は深い青のカーテンで隠れていて見えなかった。
「ここは研究結果をまとめた資料の保管場所です。中を見てみなさい」
シェルリアは言われた通りカーテンを開けた。
「うわぁ……すごい」
図書館のように何列も並ぶ本棚がシェルリアの目に飛び込んでくる。棚の中は、綺麗にファイリングされた資料が整頓されて並んでおり、見る者を圧倒させる光景だった。
「今はここの管理をわたくしがしています。シェルリアには少し手伝ってほしいのです」
シェルリアのキョトンとした表情を浮かべ、ライラに視線を向ける。
つまり手伝うために呼んだということだろうか。
「もちろんお手伝いします。けれど、えぇ……つまりお話はこの事でしょうか?」
「まぁ、そうね」
身構えていた分、拍子抜けだ。そういえば、以前から書物に慣れているという理由でチェルシーの研究にシェルリアは触れる機会が他の侍女より多かった。今回もそういう理由で指名されたのか。そんな風に己を納得させたチェルシーは、早速、ライラの指示を受ける。
作業は至って簡単だった。ライラが記帳したファイリングされた資料を、指定された棚へと納めていくだけである。
かなりの数があったが、それほど難しいことではないためシェルリアは黙々と棚の間を歩き抜ける。そんなシェルリアに部屋の手前にある机で作業をしていたライラが声をかけてきた。
「目の下にうっすらと隈が見受けられるけれど、昨夜は眠れなかったのかしら?」
「えっ!?」
シェルリアはびくりと肩を弾ませ、慌てて目の下に手を当てた。
「申し訳ありません。その、昨夜は少し……」
見ただけで不調がバレるようでは侍女失格である。体調管理がなっていないと言われてしまえばそれまでで、シェルリアに反論の余地はない。
焦るシェルリアに対し、ライラは怒る素振りを見せることなく穏やかな口調のまま言葉を続けた。
「何があったのかは問いません。けれど、しっかり顔をお上げなさい。最近の貴女は視線が下がりがちです」
「えっ、あ……あの」
シェルリアは唖然とした表情で動きを止める。
「下を向くことは己を否定している証拠。まずは貴女自身が己を認め、受け入れなければいけません。そして、顔を上げる。そうすれば、見えなかったものが必ず見えますよ」
カリカリとライラが走らせるペンの音だけが部屋に響いている。いつの間にか息まで止めていたシェルリアは、ドクドクと異様なほど速い自分の鼓動にはっと我に返った。
どうして突然そんなことを言うのだろう。
ライラの下でシェルリアが働き初めてもうすぐ三年になろうとしている。ライラはチェルシーが三歳の頃から侍女として王宮で働き、結婚して一度仕事を辞めた後、再び戻ってきたということでチェルシーからの信頼も厚い。仕事に厳しいけれど、下の者にも気を配ってくれる優しい人で、時には姉のように、時には母のように皆を見守ってくれていた。
だけど、こんなにもはっきりと心配され、助言されたのは初めてだった。もしや、支障をきたしていないと思っていたけれど、声をかけねばならぬほど仕事に影響が出ていたか、とシェルリアの中に一抹の不安が浮かぶ。
まずは謝らなければとシェルリアがライラのいる方へと足を向けた時、人一人が入れるほどしか開かれていなかった青いカーテンの隙間に人影を発見した。
その影は明らかにライラよりも大きい。そして、侍女服の黒ではなく、雪のような白を纏っていた。
「こんにちは、シェルリアさん」
「……ど……し、て」
耳に届いてきた声の主を、シェルリアはまるでお化けと遭遇したかのように怯えた様子で見つめていた。




