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 寝不足でぼんやりとした頭に深呼吸をして酸素を送る。見慣れた赤い絨毯で目がチカチカとして、シェルリアは目頭を押さえた。

 自業自得。この状態はその言葉に尽きる。


 シェルリアは意識して背筋を伸ばした。

 どんなに心がボロボロでも今日も変わらず仕事が始まるのだ。引きずったところをチェルシーにでも見られたら、それこそ救いようがなくなる。


 足音は立てず、顎を引いて、口許には微かな微笑みを。シェルリアは前方からやって来る侍女達とすれ違う際、不審がられないよう意識を集中させた。

 そんなシェルリアの耳が彼女達の会話の中に混じる単語を拾う。



「ーー……れが()()()()()()だったらしいの」



 反射的にシェルリアは足を止め振り返った。侍女達はシェルリアの動きに気づいた様子もなく会話を続けたまま去っていく。



「えぇ……信じたくない」

「本当に。今までそんな噂がたつことなんてなかったから余計ね」



 女性特有の甲高い声が頭に響いたが、シェルリアはそんなことを気にする状態ではなかった。



「……噂?」



 シェルリアは首を捻る。昨日、シェルリアはセドリックに関する噂など耳にしていない。つまり、今日広まったというこである。

 王宮は良くも悪くも情報伝達が早い。侍女達の耳に入っているということは、王宮全体に伝わっていると言っていい。


 もうセドリックと関わることはないだろう。それはシェルリアも十分理解しているし、関り合いを拒絶した側であるシェルリアが心配するのもおこがましいかもしれない。

 それでも、正直気になる。何があったのか、とシェルリアは仕事場へ向かう足の速度を上げた。







「うわぁぁぁあん!」

「ぶふっ!」



 大きな衝撃をくらい、シェルリアは苦しげな声を漏らす。チェルシー付きの侍女が使う控え室に入った瞬間、全力で飛び付いてきた人物をシェルリアはベリッと己から引き離した。



「危ないから全力でこないで、レイヤ」

「すみません。でも! あぁぁぁ……ショックが大きすぎてぇ」



 突撃してきた犯人である同僚のレイヤは顔を手で覆い、体全体で嘆きを表している。部屋の奥では、苦笑いを浮かべたミリアがレイヤを眺めていて、シェルリアはミリアに目だけで説明を促した。



「今朝から王宮中を賑わせている噂のせいよ」

「その噂って?」



 セドリックが関係しているのだろうことは、控え室に来るまでの道のりで聞いたので予想できていた。彼は貴族社会において有名人だ。噂なんて数えきれぬほどあるだろう。

 だから、シェルリアは普段聞く噂話よりは僅かに緊張しながら。けれど、それほど気負うことなくミリアに問いかけたのだ。


 しかし、その噂は予想を遥かに越える驚きをシェルリアに与えた。



「昨日、セドリック・ランベル様が王宮図書館裏の薬草畑で若い女性と密会していたらしいの」

「……へ?」



 シェルリアの口から力の抜けた間抜けな声が溢れる。唖然とした表情で固まるシェルリアの姿は、噂を聞いた女性の誰もがする反応だったため、ミリアとレイヤは不審に思わなかったらしい。

 そんなシェルリアにレイヤが追い討ちをかけてきた。



「とっても近い距離で見つめあっていたとか。薬草畑は王宮で働いている者しか立ち入りできないですし、相手は侍女服を着た茶髪の女性だって話だから、きっと王宮関係者ですよね」

「……そ、そんなに詳しく?」



 シェルリアの声が震える。



「だって、図書館裏ですから。図書館の中からは見えないよう作られていますが、王宮へと繋がる廊下の窓からはバッチリ見えますよ? 何人も目撃した人がいるようですから事実と見て間違いないでしょう」



 相手の顔が見れなかったのは残念、だとか、白いローブは遠目でも目立つから、だとか……ミリアとレイヤは、シェルリアの反応などお構いなしに会話を続けている。

 しかし、シェルリアに会話へ入る余裕はなかった。


 さーっとシェルリアの顔から血の気が引いていく。

 その噂の相手は確実に自分だ。そう思ったシェルリアの頭の中を瞬時に駆け巡ったのは、薬草畑を選んだ己の迂闊さとセドリックに話しかけられた際に何故立ち止まってしまったのかという後悔。そして何より、セドリックに迷惑をかけることになってしまったことへの悲しみだった。


 自分の犯してしまった罪に怯えるように、シェルリアの手が勝手に震え出す。咄嗟に両手を強く握り合わせたシェルリアは、何度か深呼吸を繰り返した。



「シェルリア? どうかしたの? 顔色が……」



 シェルリアの異変に気づいたミリアが声をかけながら近づいてくる。



「シェルリアさん、少し休んだほうがいいと思います」



 レイヤも心配げな眼差しを向けてきた。けれど、ここで休んでしまえば、事情を知っているチェルシーに会わせる顔がなくなる。昨日、我が儘を聞いてもらったばかりだ。

 何とか仕事をしなければという強い思いがシェルリアの萎んだ心を奮い立たせた。



 ーーコンコンッ。


 控え室のドアが控えめなノック音を響かせる。



「シェルリアはおりますか?」



 そう言って控え室に入ってきたのは、チェルシー付き侍女主任を務めるライラ・ミケローニ伯爵夫人だ。

 控え室の中にいたシェルリアを見つけたライラは眼鏡の位置をクイッと指で整えた。その瞬間、つり目ぎみの瞳に囚われたシェルリアの身体がびくりと小さく跳ねる。



「お話がありますので、こちらへ来なさい」

「は、はい!」



 シェルリアの上ずった声に、ライラから向けられる眼差しの鋭さが増した、ように思えた。それほどまでにシェルリアは緊張している。


 普段ならば仕事で何かやらかしたかな、と思うところなのだが、セドリックに浮上した噂を聞いてしまった今、シェルリアの頭の中は色々な呼び出し理由でいっぱいだった。


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