決めなさい
アルリオ王国第三王女、チェルシー・ウォレイア・アルリオには忘れられない出来事がある。それは、九年前のこと。
当時、チェルシーは九歳と幼く、記憶が曖昧な部分もあるのだが、それでも衝撃的な出来事だった。
チェルシーが魔力に興味を持ったのは字が読めるようになってすぐ。そのため、その頃にはすでにセドリックに研究を手伝わせていた。
セドリックは王宮特別薬師になる資格がある。つまり魔力がある、ということがわかった時期でもあり、チェルシーの研究意欲が増していた年でもある。
そして、二歳年上の幼なじみ、セドリック・ランベルの人生が変わった年でもあった。
薬の調合の失敗。
それだけならば、薬師の誰もが一度は経験したことのある事柄だろう。けれど、訓練もせず魔力を込め調合を失敗したとなれば話は別だ。
この世界で王宮特別薬師に魔力があると知っている者は数が少ない。何か特別な調合をしているのかと弟子入りを志願する者が後を絶たないくらいだ。
だから、セドリックの事故は公にされず、秘密裏に処理された。チェルシーが事情を知っているのは、セドリック自身が教えてくれたからにすぎない。
では何故、セドリックはチェルシーに教えてくれたのか。
それは、チェルシーが魔力や古代魔術の研究をしていたからだろう。自分の記憶が失われ、他者の記憶をも消せてしまう己の体に宿った力をなくす方法を、一緒に探して欲しいとセドリックはチェルシーに頭を下げてきた。
チェルシーはその申し出をひとつ返事で聞き入れる。
表情豊かだった幼なじみから笑顔が消えてしまって心配だったし、何より、魔術かもしれない事案を調べないなんて選択肢が思い浮かばなかったからだ。
それから二人はあらゆる文献を漁りまくった。そして、やっとのことで見つけた『呪いを解く薬』についての記載。セドリックは縋るように薬の調合に必要な薬草を様々な薬草があることで有名なモンスティ領に採りにいった。
チェルシーはモンスティ領であった出来事を詳細には知らない。
けれど、薬草を見つけられず帰ってきたはずのセドリックの顔つきが事故後と丸っきり変わっていたことをよく覚えている。その後のセドリックは、以前よりも取り憑かれたように薬学を勉強するようになったし、魔術についての文献を読むようになった。
笑顔も少しずつ戻ってきて、いつの間にか昔よりも笑顔が多くなったように思える。正直、チェルシーには胡散臭い笑顔に見えることが多々あったが。
ただ、モンスティ領の話を聞いた時だけはいつも表情が曇った。話している内容は楽しそうなことばかりなのに、セドリックの顔は今にも泣き出しそうだった。
セドリックにそんな顔をさせるのが『シェルリア・モンスティ』という少女なのだとチェルシーが気づくのはかなり早かったはずだ。というのも、セドリックの話に出てくる人物が彼女ばかりだったからである。
そして、そんな彼女にセドリックが淡い恋心を抱いていることも、チェルシーは早い段階で気づいた。
幼なじみの初恋。普通ならば喜んだり応援したりと良いこととして扱う事案だろう。けれど、チェルシーはセドリックに何も言葉をかけられなかった。いや、言葉を見つけられなかった。
なぜなら、彼に訪れるであろう悲劇を知っていたからである。
「あぁ……最低だ」
椅子の背に身を預け、両手で顔を覆って天を仰いだまま嘆いているセドリックを、チェルシーは苦笑いを浮かべて見つめていた。
シェルリアが忘れ屋に相談した際の出来事を話した後の反応がこれである。もちろん、相談内容はふせた。これに関してはシェルリアの許可なく話していいことではないだろう。
「きっと思いもよらぬ登場で舞い上がったのでしょうね」
「それにしたって……俺はなにやってるんだ」
正直、チェルシーもセドリックの感想に同意見である。
初対面の男に突然告白されたら誰だって恐怖心を抱くだろう。それも、目の前のセドリックは知らないが相談内容が内容である。はっきり言って無神経だ。
シェルリアから話を聞いた際、チェルシーは本気でセドリックの頭を心配した。そして、それと同時に、もしセドリックが本気で言っていた場合、これはとても不味いことだと思ったのだ。
「セドリックのその言葉を聞いて少し安心しましたわ」
セドリックのシェルリアに対する愛情という名の執着は、年を重ねるごとに増していた。
思い出は年月が経つほど美化されていくものだ。それが自分にとって特別なものならば特に。
セドリックは決してシェルリアに会いに行こうとはしなかった。焦がれているのに会わない。いや、会えない。そんな感じだった。
それなのに、シェルリアとの思い出だけはセドリックの中で膨らんでいく。
そんな状態で、突然目の前にシェルリアが現れた。まさにセドリックの告白は、溜め込んでいた感情の爆発と言ってもよい。
「わたくし、このままでは九年前のシェルリアへ向けていた感情を、そのまま今のシェルリアにぶつけ続けるのではと心配していましたの。シェルリアは困惑していましたし、貴方も忘れ屋での記憶を失っていた。だからーー」
「名を偽らせた?」
正確に言えば、シェルリアが咄嗟に名を偽ったのを利用したと言っていい。シェルリアが違う名を伝えた際は、まだチェルシーも状況を把握していなかったのだから。けれど、今はそんなことを伝える必要もない、とチェルシーは何も言わず頷いた。
「じゃあ、リアさ……彼女に忘れ屋の手伝いをさせたのは……」
「現在のシェルリアを貴方に見てもらうためですわ。言ったでしょう? シェルリアもそうですけれど、セドリックにも幸せになってほしいと」
セドリックは大きなため息を吐き、チェルシーに視線を向けた。その表情は美しい顔がもったいないと思えるほどに情けない。
「俺はそのチャンスを逃してしまったって訳か」
「あら、諦めますの?」
挑発しているようにも見えるチェルシーの眼差しにセドリックはぐっと喉をつまらせた。
「それはリアがシェルリアだったから? リアだと追いかけて、シェルリアだと避けますの?」
「避けるとかではっ! ……ただ」
セドリックは固く拳を握りしめ、絞り出すように言葉を紡ぎだす。
「……俺が近づけば、彼女を苦しめることに必ずなる」
セドリックからはシェルリアを大切にしたいという気持ちが痛いほど伝わってきた。セドリックがここまで頑ななのには何か訳があるのだろうな、とチェルシーも薄々感じ取っている。
だが、幼なじみとしての優しい気遣いはここまでだ。
「告白までしておいて情けない……わかりました。ならば、今後一切、シェルリアに近づいてはいけません。セドリックの中にある感情も捨てなさい」
「……は?」
呆気にとられ、ポカンと間の抜けた表情を見せるセドリックをチェルシーは笑い飛ばす。
「シェルリアを自分で幸せにするつもりがないのなら当然でしょう? 誰かが彼女を幸せにしてくれることを祈っていなさい」
「なっ!? 」
「ちゃんと祈れますの? 祈れますわよね? 貴方は昔も今もそうしてきたのでしょうから。でも、覚悟なさい。彼女が他の人に傷つけられても、忘れ屋に相談にいこうとするほど苦しんでも貴方は見守るだけよ」
チェルシーはそう言うと廊下へと続くドアへ足を向けた。その背を見つめる金の瞳が揺れている。
ドアノブへと手を伸ばしたチェルシーの動きが止まった。
「セドリック、しっかり考えて決めなさい。彼女を幸せにするのは、貴方? それとも他者?」
パタンとドアを閉めた音がセドリックの耳に届くと、風船から空気が抜けていくようにセドリックはその場に座り込んだ。
「俺か、他者か……チェルシーらしいな」
研究者でもあるチェルシーは曖昧な答えが嫌いだ。白か黒かハッキリさせろということは、今までのような宙ぶらりんでは許さないということ。
これはチェルシーによる最終通告であり、ラストチャンスでもあるのだろう。
セドリックはふっと窓の外に目を向ける。雲ひとつない夜空に浮かぶ月と星がとても美しかった。




