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優しい嘘、優しくない嘘

 

 風に揺れる薬草の音が妙に耳に響くのに、懐かしんでいた香りを感じられない。唇が僅かに震えているのは、風が冷たいからだろうか。

 シェルリアは笑みを作ることだけに集中し、セドリックを見つめていた。



「辞退って、どういうことですか?」



 困惑の色を隠せないセドリックの様子にシェルリアは言葉が出てこない。


 理由は単純なのだ。

 シェルリアはもうセドリックに嘘をつき続ける自信がなくなった。ただそれだけである。


『リア』という偽りの名は、シェルリアのつく嘘の象徴だ。名前を偽り、身分を隠し、セドリックの秘密を知った出来事もなかったことにしている。


 確かに、忘れ屋の仕事を手伝ったり、セドリックと言葉を交わしたりする現在の状況はチェルシーの命令が作り上げたものだ。けれど、一番最初に名を偽ったのは、他ならぬシェルリア自身なのである。



「これ以上、私がセドリック様のお側にいるわけにはいかないのです」



 自分が酷い態度をとってしまった、と追いかけてまで謝ってくれるような誠実なセドリックに、嘘をつき続けるのは心苦しかった。

 いや、これも嘘で、本当はただ嘘がバレた時のセドリックの反応が怖いだけかもしれない。


 考えれば考えるほど自己嫌悪に陥りそうになるのを必死にこらえ、シェルリアはセドリックと向き合う。



「セドリック様には貴重な経験をさせていただき、感謝の言葉しかございません。身勝手にも辞退することをお許しください」



 そう言って頭を下げたシェルリアの腕をセドリックは掴み、無理やり顔を上げさせた。

 驚きで大きく目を見開いたシェルリアの赤い瞳に、不快そうに歪むセドリックの顔が映る。嫌なことがあっても笑みを崩さないセドリックの滅多に見せない表情にシェルリアは息を止めた。



「身勝手だと思うなら辞めなければいい。俺が君に甘えすぎたから? 変な力を持っているから? 王宮特別薬師としての実力が伴わないから?」



 シェルリアは必死に首を横に振る。すると、セドリックの顔がくしゃりと歪み、シェルリアの腕をつかむ力が強くなった。



「それなら、どうして?」



 絞りだ出されたその声に、シェルリアの胸が締め付けられるように痛みだす。

 セドリックにこんな悲痛に歪んだ顔をさせたかった訳じゃない。それどころか、自分のことでここまでセドリックが表情を崩すなんてシェルリアは思ってもいなかった。


 どうすればセドリックを傷つけずに済むのか。そんなことは無理だとわかっていても、シェルリアは考えずにはいられなかった。



「セドリック様は、嘘を……どう思いますか?」



 震えを誤魔化すように小さな声で紡がれたその言葉は、自分が嘘をついていると白状しているようなものだった。


 知りたくない答えを待つ時間は一瞬で、けれどシェルリアには果てしなくも思える。

 ふっとセドリックが瞼を伏せたのを見た瞬間、シェルリアはその場から逃げ出したくなった。



「……良いことではないと思う」



 当然の答えだとシェルリアは力なく頷く。



「でも、嘘の全てが()だとも思えない」



 その回答はシェルリアの予想と大分異なっていた。唖然とした表情を浮かべるシェルリアにセドリックは微笑みかけ、腕を掴んでいた手をそっと離す。



「俺は世の中には誰かを守ったり、救うためにつく優しい嘘があることを知っているから」



 いつもならば美しいと見惚れるセドリックの笑みが何故か泣いているように見えてシェルリアは瞳を揺らした。



「時には嘘をついた側まで深い傷をおうことがあると知っていて、俺は一方的に責められない。許される嘘があるとしたら、結局、受け手次第なんだろうなと思う」



 シェルリアは、どうして……と頭を抱えたくなった。

 どうして自分は彼に嘘をついてしまったのだろうか、と。


 シェルリアのついた嘘は、セドリックと関わりたくない、という逃げから出た嘘。自分のことしか考えていない、優しくない嘘。


 嘘をついたことをこんなに後悔するなんてシェルリアは思わなかった。



「だから、俺は貴女のつく嘘なら許してあげたい」



 ドクリとシェルリアの心臓が悲鳴をあげる。


 セドリックの言葉が例え優しい嘘であったとしても、シェルリアはその優しさにすがりたくなった。そしてすぐに、そんな自分を張り倒したくなった。


 セドリックの温かな笑みとは反対に、シェルリアはぐっと唇を噛み締める。喉の奥まで溢れ出てくる感情を必死に飲み込んだ。



「リアさん」



 痛みも全て包み込むような穏やかな声が、偽りの名を紡ぎ出す。セドリックがシェルリアを心配している気持ちが伝わってくる。

 そこでシェルリアは、もう駄目だと思った。



「もうし……申し訳ありません」



 セドリックとの距離が近すぎたため深く頭を下げることは叶わず、シェルリアは顔を伏せ、その状態のまま王宮図書館に続く扉へと走り出す。



「リアさんっ!」



 セドリックの声が嫌にはっきり聞こえてくる。

 喉元が熱を帯始め、シェルリアはぐっとスカートを握りしめた。それでもやはり堪えきれなくて、小さな嗚咽が口から漏れる。こうなるともう我慢は無理だった。一滴だったそれは、次から次へと溢れ出てシェルリアの頬を濡らす。


 そこまできてシェルリアはやっと自覚するのだ。自分の心に芽生え始めていた小さな感情に。

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