一つの決断
王宮図書館裏にある畑を眺めながらシェルリアは重い溜め息を一つ溢す。
セドリックから逃げるように走った先がこの場所だった理由は、シェルリアにもはっきりわからない。けれど、嘘をつきとおすことへの緊張や罪悪感が拭えず、シェルリアは人目を避けるように薬草畑へと足を運んだ。
領地を思い出すような独特な匂いが鼻をかすめる。
甘い香が漂う園庭も魅力的だが、シェルリアにとってはこちらの方が心が落ち着いた。ただ、幼い頃の記憶を思い出させたのは、兄の『小さな薬師様』発言だけのせいではないだろう。
シェルリアは徐にスカートのポケットへ手を入れると、一枚の紙を取り出した。長方形の薄黄色の厚紙に二輪の紫苑が咲くその栞は、母が大切にしてほしいと言ったのでシェルリアのお守りになっている。
だけど、母がくれたものではないだろう、とシェルリアは考えていた。栞のことを母以外は知らないようで、何らかの事情を知っているだろう母も教えてくれることなくこの世を去ってしまった。母がくれたのなら隠す必要なんてないはずだ。
だからといって、他の誰かがくれたという証拠も記憶もないのだが。ふっとシェルリアの頭に『小さな薬師様』が浮かぶが、彼は結局会いに来てくれることはなかったので違うだろう。
「もう……なんか頭の中がぐちゃぐちゃ。やっぱりお兄様のせいね」
何一つ答えがでないモヤモヤとした感覚をコンラッドのせいにして、考えるのを放棄しようと王宮図書館に続く扉へ足を踏み出した時、シェルリアは人の気配を感じ、勢いよく振り返る。そして、視線の先にいる人物に驚愕した。
「どうして、ここに……」
王宮の建物の影から現れたその人物の身に纏った風に靡く金色が記憶の少年と被る。シェルリアは無意識に栞をポケットにつっこんだ。
段々と近づいてきたその人物は、真っ白のローブを身につけている。そのことに気づいた瞬間、シェルリアは先ほどとはまた違った驚きを示した。
「セドリック様が何故ここに?」
そう口にして、シェルリアはふっと我に返る。ここは薬草畑だ。セドリックが来ても何ら不思議ではない。
それどころか、セドリックから逃げたシェルリアが薬草畑に逃げ込むこと自体が大きな間違いなのだ。
「お、お仕事の邪魔ですよね。すぐに去りますので」
シェルリアは捲し立てるように言葉を吐くと、素早く頭を下げ、図書館の扉へと駆け出す。しかし、そんなシェルリアを大きな声が呼び止めた。
「待って! 避けないで!」
初めて耳にしたセドリックの大声にシェルリアは思わず足を止める。そしてすぐに、止まったことを悔やんだ。
止まればもう無視はできない。向き合わなくてはならない。まだ、しっかりと嘘をつき続ける自信などないのに。
なかなか振り返ろうとしないシェルリアに近づいてくる足音。セドリックは今何を考えているのか。バレてはいないのか。怒ってはいないのか。
緊張からか、シェルリアの顔から血の気が引いていく。落とした視線の先では、カタカタと小さく指先が震えていた。
「リアさん」
すぐ後ろから呼ばれた名前にシェルリアは安堵と罪悪感がごちゃ混ぜになる。
「貴女に謝りたくて。それで、追いかけてきました」
「……え?」
予想外の言葉をかけられ、シェルリアは間抜けな声をあげた。
「私、早く立派な薬師になりたいってずっと思っていたんです。それなのに、現実は自分の思うようにはいかなくて、自信がなくなっていました」
突然のカミングアウトにシェルリアは息をのむ。そんな大切なことを自分に話してもよいのか。そんな不安に襲われ、シェルリアは咄嗟にセドリックの方へと振り向いた。
長い睫毛に隠れていた金色の瞳が、シェルリアの動きに合わせゆっくりと姿を表し、シェルリアを映し出す。こんなにも近くでセドリックを見たことがあっただろうか、とシェルリアの頭の中を関係ない思考が過っていった。
「だから、貴女に甘えてしまった」
「甘え、る?」
「はい。自分の欲しい言葉をくれるから、リアさんという存在に甘えてしまったんです。そのせいで、貴女に酷い態度をとってしまいました」
シェルリアは首をかしげる。酷い態度とはなんだろうか、と。
そんなシェルリアの様子を見て、どのことか理解できていないのかもしれないと悟ったセドリックは、ボソリと呟いた。
「先ほど王女の部屋の前で……その、声もかけず去ってしまったことです」
「あっ!」
やっと理解したシェルリアにセドリックは頭を下げる。
「申し訳ありません。あの時は……少し、不貞腐れたというか」
「……え? 不貞腐れた?」
「リアさんは何も悪くないんです。俺が、いや、私が勝手に! 本当にすみません」
普段の冷静さは影を潜め、あたふたと言葉を紡ぐセドリックの姿をシェルリアは唖然とした様子で眺める。いつの間にか震えは止まっていた。
そして、シェルリアの口からふっと小さく笑いがこぼれ落ちる。
「そうですか。そうなんですね……」
うつむき加減で囁かれたシェルリアの言葉にセドリックは動きを止める。
「リアさん?」
セドリックはシェルリアの顔を覗きこみ、息をのんだ。
目尻に涙を浮かべながら、それでもホッとしたように口元を緩めているシェルリア。その表情にセドリックは胸が締め付けられる。
思わず伸ばした手がシェルリアの頬へと触れようとした時、パッとシェルリアが顔を上げた。セドリックは誤魔化すように慌てて手を引っ込める。
「やっぱりセドリック様は優しくて素敵な人ですね」
それは最上級の誉め言葉のはずだ。それなのに、セドリックは突き放されたように感じた。
「それは……」
ーー喜んでいいのか。
セドリックがそう聞くより早く、シェルリアは答えを放つ。
「私、忘れ屋のお手伝いを辞退させていただこうと思います」
そう言って見せたシェルリアの笑顔は、セドリックが今まで見た中で一番整ったものだった。




