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甘い蜜

 

「あの子の態度や言葉は、他者にとっては甘い蜜だ」



 そう言い切ったコンラッドはシェルリアの事を考えながら、口元を緩める。


 シェルリアは昔から人が欲している言葉を絶妙なタイミングで提供する子であった。それは時に、人を絶望から這い上がらせたり、自信をつけさせたり、心を満たしたりする。

 大人になった今もそれは変わっていないように思う。


 それが全て計算だったなら、頭の良い恐ろしい女、で片付いただろう。しかし、これが無自覚の天然だから始末に悪い。


 シェルリアはよく人を観察している、とコンラッドは思う。

 だから、相手が触れて欲しくない事にも敏感で、適度な距離を取る。決して媚を売ってくるわけではなく、それでいて欲しい言葉をくれる。これほど心地のよい相手はいないだろう。



「……手放すのが惜しく思えるほどに」



 シェルリアを傷つけたあの騎士も蜜の虜になった一人だろう。愚かにも他の女にうつつを抜かし、にも関わらず、シェルリアに見放されたとも知らないで、未だに別れ話をしようとしない。

 意外と冷たい一面のあるシェルリアはもう終わったものだと思っているようだが、あの侍女との関係が上手くいかなくなれば舞い戻ってくる可能性だってありえる。


 もちろんそんなことは許さない、とコンラッドの表情が恐ろしいものへと変わっていく。

 大切な妹と付き合うだけでなく、傷つけたあの馬鹿男をそのまま放っておくつもりなど毛頭ないのだ。



「……自分がしでかした事の大きさを悔いるがいい」



 コンラッドの頭の中は、途中からシェルリアを傷つけた騎士への報復方法に変わっていて、セドリックのことなど蚊帳の外となっていた。


 コンラッドがそんな事を考えているとはつゆ知らず、セドリックはコンラッドの言葉の意味を真剣に汲み取り、噛み締め、納得したように頷いている。



「蜜とは言い得て妙だな。たしかに彼女の言葉は程良く甘くて、くどくなく、もう一度欲しくなる」



 セドリックは裏の見え隠れする甘ったるい言葉を幾度となく舐めさせられてきた。今では胸焼けして、適度な距離と崩れぬ笑みでかわす日々である。


 セドリックは権力などに興味はない。関心があるのは薬についてだけで、早く一人前の特別王宮薬師になりたかった。

 だが、周りは違った。特別王宮薬師でさえあれば、薬を生成する腕や能力などはどうでもよいのだ。

 セドリック様はそのままでも素敵だ、素晴らしい、と誰もが口を揃えて言ってくる。

 それは素直に喜ぶべきことなのかもしれない。


 しかし、セドリックは己の力を過信して薬の調合を失敗し、記憶が消え、記憶を消せる力を持ってしまうような愚か者で、薬師としての腕もまだまだだと思っていた。


 そんな周りの評価と自分の評価の違いにモヤモヤとしていたセドリックにとって、リア(シェルリア)という存在は不思議だったのだ。



 出会いはお互いに良いものではなかった。セドリックはリアを傷つけたようだし、そのことを忘れているセドリックを彼女は嫌っていた。彼女の態度にセドリックも不快感を抱いたこともある。


 セドリックがリアに興味を持ったのだって、大切な記憶の中の少女に面影が似ているという単純な理由だったし、関わりを持つことになったのも、チェルシーの思いつきという、お互いが不本意なものだった。


 なのに、今、セドリックはリアに批判的な感情を抱いてはいない。

 彼女はセドリックが特別王宮薬師であると知っても媚を売ってくることはなかったし、忘れ屋であることや力のことを知っても、否定するどころか理解してくれた。


 親切心を盾にズカズカと踏み込んでくることもなく、それでいてセドリックの心を救い上げるような心地よい言葉をくれる。

 そんなリアを受け入れるのに時間は必要なかった。警戒心の強い自分が、と驚くほどである。



「だが、さすがに甘えすぎた……コンラッド! 悪いが、俺は用事があるから」



 セドリックはそう言うと、白いローブの裾を翻し、リアの向かった方へと駆け出した。



「お、おいっ! まだセドリックとシェ……リアの事情を聞いてないぞ!!」



 コンラッドの怒りのこもった呼び声に応えることなく、セドリックは辺りを見渡しながら廊下を進んでいく。



「彼女に謝らなくては……」



 綺麗に結い上げられている赤みがかった茶髪や侍女服を探すためキョロキョロと頭を動かしながら、セドリックは数刻前にクリスティーナ王女の部屋の前の廊下であった出来事を思い返した。


 第二王女のクリスティーナはセドリックにとって幼い頃から知っている幼馴染の一人だ。歳が近いということもあり、話し相手も兼ねて、生まれつき身体が弱かったクリスティーナを担当していた特別王宮薬師である父に付き添い部屋を何度も訪れていた。

 セドリックが学院に入ると、お見舞いに顔を出す回数も減り、王宮で働き始めてからは担当でもないのに未婚の女性の部屋を訪れることもできず、見舞いに行くことはなくなった。


 しかし、王宮で働き始めて数ヶ月が過ぎた頃、クリスティーナが体調を崩し、特別王宮薬師が呼ばれることになった。ちょうどその時に王宮にいたのがセドリックで、医師の診察に同伴したのだが、それから診察のたびに呼ばれるようになる。


 セドリックもその理由を薄々と感じ取ってはいた。クリスティーナから向けられる熱い視線、侍女たちの期待の篭った眼差し。そのどれもが、向けられたことのあるものだったからだ。

 けれど、セドリックはクリスティーナの想いに答えるつもりがなく、態度にも示していたはずだった。


 クリスティーナは現在、特別王宮薬師の調合する薬が必要な患者ではない。それがセドリックの薬師としての結論だ。

 それでも何かにつけて呼ばれ続ける。


 特別王宮薬師は地位や権力など関係なく、優先する患者を選ぶことができる。それは確かだ。

 しかし、周囲がそれを認めてくれるとは限らない。特に王族は、本人が権力を振るわずとも、周りが王族を蔑むのかと非難する。


 セドリックは特別王宮薬師だ。だが、それと同時に貴族社会ではただの若造でしかない。まだ、父親であるランベル伯爵の長男なのだ。


 結果、はっきりと断れず、診察の同伴をし続けているのである。唯一の足掻きは、見舞いとしてではなく薬師として来ているのだと態度で示すこと。それでも心は疲弊していった。


 だから、リアと廊下で会って言葉を交わした時、セドリックはホッとしたのだ。彼女は自分を薬師として見てくれる。それがひどく心に沁みて、無意識的に彼女に安らぎを求めた。


 今考えれば、コンラッドの言う通り、自分は彼女の蜜に引き寄せられ、甘えていたのだろう。

 リアならばわかってくれる。そう心の奥で思っていたに違いない。


 その甘えが、幼い頃の思い出の少女の面影をリアから感じ取ったり、距離感を誤ったり……王族の意思を優先したリアに勝手にショックを受け、背を向けるという失礼極まりないことをしでかすことになったのだ。



「彼女が俺を避けるのも当然か」



 思わずセドリックの口から力ない声が漏れる。


 自業自得、その言葉に尽きる。

 セドリックは、どんなに辛くても、どんなに嫌でも、常に笑顔の仮面を貼り付け、適度な距離をとり、己の心の弱さを隠して生きてきた。それはうまくいっていたはずだった。


 それなのに、リアに関しては失敗してばかりな気がしてならない。


 今だって、本当ならば、自分から離れていく人物を追う必要などないのだ。適度な距離をとりたいと願っていた以前ならば『去る者追わず』が基本なのだから。


 しかし、その選択を自分は選ばない、とセドリックは理解していた。

 なぜなら、自分の全てが彼女を探せ、と訴えてくるからである。


 体の奥底にずっと眠り続けていたものが、ドクンドクンと小さく波打ち始めた気がして、セドリックはギュッと胸の辺りを握りしめた。


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