第十七話 塔の遙か高いところへ
「始めいィ!」
と景気のいい合図と共に、ヴェルレイトとレンジェラの魔法対決が始まった。
「≪焦熱の流星群≫」
ヴェルレイトは先手を打った。
火炎の塊を頭上に生み出し、レンジェラに向けて飛ばす。
三〇〇〇度を優に超える超熱量がレンジェラに襲いかかるが――、
「≪夜星の羽衣≫――」
レンジェラはそれを魔力の防御壁で易々といなした。鉄板が張り付いた壁に、炎の弾丸が数発雪崩れ込んで、大穴を開けた。
それを見て、ヴェルレイトは唇を嗜虐的に歪ませる。
――これは愉しめそうだ。
レンジェラは王女でありながらランク外の無能、しかも無能が極まって一族を追放される羽目になった、カス程度の認識だった。
だが、この対応を見る限り、ただの無能ではないようだ。
「≪ダークソード≫」
お返しとばかりに、レンジェラが闇属性の魔刃を生成する魔法を発動。それは複数の可視的な黒い剣となり、ヴェルレイトの周りを囲った。
――≪夜星の羽衣≫!
ヴェルレイトはレンジェラへの挑発として、彼女が使用した防御魔法を発動した。
≪夜星の羽衣≫は優れた防御能力を誇る結界であることに加え、彼女の≪ダークソード≫と同属性。攻撃はきれいに相殺されるだろう。
――ピッ!
完璧にガードしたはずの≪ダークソード≫。
しかしながら、それはヴェルレイトの頬に傷を作った。
――攻撃が防ぎきれなかった!?
カチン、と己の頭の中で、理性が危険な固まり方をした。
わなわなと震える手で、ヴェルレイトは己についた傷口を指で拭う。
その指先は朱色に染まっていた。血だ。
ヴェルレイトの頬に出来た、一筋の赤い傷跡。すっぱりと切れ、ヴェルレイトの血液が微量だが出始めている。
次の瞬間、怒りがマグマのように脳天か吹き出るような、そんな不快な高揚をヴェルレイトは感じた。
それは、間違いなく屈辱だった。
楽勝と思っていた相手に、傷を負わされた。
自分の美しい顔に、一筋の傷を。
――やりやがった。
せっかく、しばらくは遊んでやろうと思ったのに。
そう胸中で呪詛のように呟いた。
己の中で、危険な何かが胸の内からあふれ出る。そんな感覚に囚われながら、ヴェルレイトは封印していたリミッターを解放した。
「≪獄炎の波動≫」
「≪世界分離Lv3≫!!」
強襲するレンジェラの≪獄炎の波動≫――炎魔力の熱波に、ヴェルレイトは自身が持つ最強クラスの防御壁、≪世界分離≫で対抗。
だが、≪獄炎の波動≫の威力は強く、≪世界分離Lv3≫の力を持ってしても、このままでは押し切られてしまう。
――ああ、そうかよ!
ヴェルレイトは悟った。
レンジェラは決してなめて掛かってはいけない魔術師だったのだ、と。
屈辱、屈辱、屈辱。
ひたすらにその単語が脳裏をよぎる。ヴェルレイトの自尊心はズタズタに引き裂かれていた。
軽く見ていた。レンジェラのことを軽く見ていた。
この身を引きちぎるような屈辱は、それを認めて、相手を上げることでしか消化できない。
訂正しよう。レンジェラは無能などではない。何かしらの理由があり、ランク外に甘んじていただけ。自分が本気を出して恥じるような雑魚ではないのだ。
「Lv5――ッ!!」
絶叫し、最大出力のバリアを展開。
ヴェルレイトの意識はそこで途絶えた。
***
「勝負ありだ。勝者はレンジェラ!」
そう、ハッキリとジラックさんは宣言する。
レンが勝った。けれど、僕は歓喜を上げることも、拍手を起こすこともできない。
壁に叩き付けられ、大火傷を負い失神しているヴェルレイトさんを見ながら、今の戦いに圧倒されるばかりだった。
あっけない、と表現するのは簡単だ。レンがヴェルレイトさんが張った結界を押し切り、反対側の壁までぶっ飛ばした。
たったそれだけのことなのに。僕には今の戦いが尋常でないものであることくらいわかる。
すなわち、ヴェルレイトさんが弱いのではなく、レンが強すぎる。
そう評するのが適切だろうか。
とにかく、今のぶつかり合いは、決して第一〇階層で行われるようなレベルではない。最後にレンが披露した魔法は、少なくとも僕がこの目で見た全ての魔法よりも出力で勝っている。
「すごい……」
その一言だった。
語彙力が薄弱な僕には、とにかくそう表現するしかなかった。
「レンは序列だけみればランク外ではあるが、その実力は序列の中堅と比べても、引けを取らないと俺はみていた」
そう言うジラックさんに、レンは軽くお辞儀をしてみせる。
「魔法は、私の数少ない特技の一つなので」
今まで、レンと共に旅をしてきた十階層、彼女は全然本気ではなかったのだ。
その底知れなさに、若干の戸惑いを覚えてしまう。
僕はレンがこんなに楽に勝ってしまうことはおろか、彼女の身を案じていた。全くの杞憂じゃないか。
「レン。これより、貴様の序列は八七位となる」
「それよりも、叔父様。約束通り、スナオ君のことを教えてください」
ジラックさんは力強く頷いた。
「いいだろう、話してやる。スナオ・ハルカがレンの前に現れた、その理由を」
僕もレンも、固唾を呑んでジラックさんの話に耳を傾けた。
「レン。貴様が地下階層に閉じ込められて一年間。俺は一族が貴様の存在を忘れ去るのを、ずっと待っていた」
そんなジラックさんの言葉に、レンが目を見開いた。
「そう。俺はレンを密かに逃がす計画を練っていたのだ」
「叔父様……」
ジラックさんの雰囲気から、胡散臭いものは一切感じなかった。
その言葉が嘘でなければいい。そう素直に僕は思う。
だって、レンの境遇はあまりに過酷で、身内が誰一人として味方じゃないなんて残酷すぎるから。
「ほとぼりが冷めた頃、既に季節が一回りしようとしていた。俺は今が丁度頃合いとみて、人間の御三家が一、エルカイト家に依頼した。地下五階層まで行き、レンを保護するようにとな」
「エルカイト家?」
エルカイトはパルステラと並ぶ、御三家の一族だ。
確かに、エルカイトに依頼すれば、上から下に恩赦クエストが発行されてもおかしくはない。
「けれど、それがどうしてスナオ君に?」
「それに、僕は『地下五階層にクロユリを取りに行け』と言われただけなんですけど」
レンと僕が続けざまに問いを投げかける。けれど、ジラックさんは首を横に振った。
「俺には人間の事情はわからない。だが、エルカイト家はスナオ・ハルカが真なる力に目覚めたことに、気が付いていたようだった」
真なる力。それはもちろん、僕の“聖龍”の力に間違いないだろう。
それに目覚めたことに気が付いた?
なら、エルカイトはずっと僕のことを監視していたってこと?
そんな馬鹿な話はないだろう。そんな無駄なコストを、僕ごときにどうして割り当てる。
「一体どうして……? 僕はエルカイト家と何の繋がりもないのに……」
「それは俺にもわからん。だが、唯一その謎を解くための方法なら知っている」
「方法……? どんなことですか?」
見当も付かない。一体どうすれば、そんなことを知ることができるんだ。
「その前に、レン。貴様に話しておくことがある」
ジラックさんはレンに向き直った。
「俺が一族から追放された貴様を保護しようと考えたのは、情からではない」
そうキッパリとジラックさんは言った。
ショックからなのか、レンの目が微かに見開かれる。
「貴様に可能性を感じたからだ。それは、貴様が一族の中でも異端……特別な存在である可能性だ」
だが、レンは首を横に振って否定する。
「そんな……、私はそんな特別な存在ではありません。どうしてそんなことを?」
「一つは、貴様が下の王子達を庇い、決してみせることのなかった潜在能力。貴様は意図していなかったかもしれんが、無意識のうちに力を己の中に封印しているのだと俺は考えていた」
下の王子達を庇っていた?
レンの事情はわからないけど、とにかくレンがランク外の底辺だったのは、力を封印していたからってことだろうか。
「そして、此度の≪序列戦≫。俺は確信を抱いた。貴様は一族の外に出ることで、抑圧から解放され、強大な力をつけているとな」
確かに、レンは序列八七位のヴェルレイトさん相手に、あっさりと勝ってしまった。とてもランク外の者が出せる力ではないのは、僕でもわかる。
「もう一つは、貴様が一族を追放されたことにある。あれは、上の者が貴様の存在に危機感を覚え、仕組んだものだ。いわば、単なる序列争いのための策謀ではなく、一族ぐるみで行われた陰謀だったのだ」
「い、一族でレンを爪弾きにしたってことですか!?」
「もちろん、全員ではないがな」
そんなのあんまりだろう。
そこまでする理由――レンの『特別』って何なんだ?
戦慄く声で、レンはジラックさんに問うた。
「叔父様……私は一体、何者なのですか?」
「それを教えてやるほど、俺は甘くない。自分の正体は、自分の力で見極めろ」
ジラックさんの言葉は、拒絶ではないように思えた。
安易に答えを教えるのではなく、自分で見つける努力を見守る――そんな厳しくも父親に近い包容力を感じた。
「序列を上げろ、レン。そうすれば、きっと貴様の欲する答えが見つかるだろう。そして、そのための方法は、スナオ・ハルカとエルカイト家の繋がりの謎を解き明かす方法と同じだ」
その意図がわからず、僕とレンは顔を見合わせる。
困惑したレンの表情。きっと、僕も同じような表情をしているはずだ。
ジラックさんは右手を高々と上げ、人差し指を伸ばした。
「簡単だ。塔の遙か高みに登れ。上に行けば、嫌でも貴様ら二人にトラブルが降って湧く」
それは、意外な答えだった。
「それらを解決し、力をつけろ。そのうち、エルカイトと接触する機会が増え、魔王城へと近づけば、≪序列戦≫の機会も増える」
いや、意外ではない。
あまりにも単純すぎて、見落としていただけだ。
「行け、三〇〇階層まで。それが、貴様らが自らの宿業を知るための、唯一の道だ」
ああ。そうだ。
やることなんて、とてもシンプルで。
言われるまでもなく、僕たちはそれを目指していたじゃないか。
「俺から話すことは以上だ。もう行け。質問があれば、自分で答えを見つけろ」
『はい』
僕とレンの声が重なった。
二人でジラックさんにお辞儀をする。
行かなきゃ。
僕達、塔の上に行かなきゃ。
僕とレンはバー『ディラン』をあとにした。
宿屋への帰り道、もう一度確かめるように、僕はレンに語りかける。
「レン」
「はい」
「行こう。塔の三〇〇階層に」
「はい」
その決意があれば、この先何があっても大丈夫だ。
一度は挫け、底辺まで落ちた僕達だけど、きっとこの人生を取り戻すことができる。
気が付けばもう夕陽は沈み、夜空には微かに星が輝いている。
僕はその中でも一際強く輝く星に、手を伸ばした。
今はまだ届かない。けれど、きっといつか手にしてみせる。
この塔の、遙か高いところで。
この話で第一章完結となります。
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