幕間―とある少年の独白―
今回は主人公エルの弟リオ視点のお話です。
四章プロローグを含んでいます。
母様が王都に連れていかれてしまった。
それは細やかな舞踏会が催された翌朝のこと。兵士に付き添われ移送用の馬車に乗り込んだその姿を屋敷の窓からこっそりと見ていた私は、飛び出してしまいたい気持ちをグッと堪えて見守ることしかできなかった。
もう二度と会うことはないかもしれない。姿を見るのもこれが最後かもしれない。だって、母様は大きな罪を幾つも犯してしまったのだから。
王都の教会が追っている犯罪集団との繋がり。この辺境伯家の実質的な掌握。更には魔術を使って数百という兵士を私物化し、その命までもを危険に晒したこと。
そして、これは公にはできないことだけれど辺境伯の大切な娘である姉様――エルの暗殺に関わったことも。
今思いつく限りでもこれだけの量だ。
どれも許されるはずがない。
私が声を上げたところでその罪が消える訳でもない。
そもそも私は、父様が母様を愛していないことはこの屋敷へ来る前から知っていた。前の夫人が病で亡くなり、外で生まれた私を跡継ぎとして父様の側に置く為に結ばれた婚姻だったということも。
跡継ぎ問題による家柄重視の契約結婚は貴族の間では特に珍しくもない話だから、私もそれを気にしたことは今までに一度もなかったと思う。
でも母様は、父様を愛していたみたい。
きっとそれがエルの暗殺に関わった一つの動機だったのだろう。
前の夫人を忘れられない父様がどれだけその娘を大切に思っていたかは、エルの失踪後の反応を見れば誰でもわかるというものだ。
母様は以前からその思いを知っていたに違いない。エルの存在自体を邪魔に思ったのか、傷心中の父様に付け入ろうとしたのか、それともその両方なのかはわからないけれど。
この屋敷から前の夫人の痕跡を消して回っていると気付いた時は、私の知っている母様がどんどん変わっていってしまうみたいで少しだけ怖くなったりもした。前の屋敷にいた時の母様は気は強くてもそんな酷いことをするような人じゃなかったのに。
誰かへの強い想いは時に人を変えてしまうものだと知った数年間だった。
でも、その間も父様は私を大切にしてくれた。忙しい中で時間を作って勉強を見てくれたこともある。いずれは継ぐことになる父様のお仕事についても、飲み込みが良いとはあまり言えない私に何度も怒らずに教えてくれるのだ。
変わっていく母様を側で見ながらも自分を保っていられたのは、きっとそんな父様がいてくれたおかげだった。
だから、本当は私には別に夢があって、それを諦められずにいることはどうしても言えないままだった。
母様を乗せた馬車が見えなくなり、アスハイルさんとネルイルさんも王都の教会に帰っていった後、エルに付き添われて目が回りそうになるくらい大量の書類と向き合った。
そこで知るエルの博識さ。彼女は私よりもずっと頭の回転が早くて、細かいことにもよく気が付いてくれる。
ダンジョンに潜っていたら外では五年が経過していたと言うが、だとすると今の私と精神年齢は同じであるはずなのに、あの落ち着きようと博識さはどうにも十歳の子供とは思えない。
難しい内容の書類も私が理解できるように噛み砕いて説明してくれる。わからなくても全然怒らないんだ。そんなところは父様に似ているって言ったら、きっと嫌そうな顔をするだろうから黙っておくけれど。
母様がいなくなってしまったことは悲しいが、父様やエルが側にいてくれると思えばその寂しさも和らぐから不思議だった。
願わくばエルの旅立ちがもう少し先の話でありますように。そう願わずにはいられない、今日この頃。
そんなエルが連れている白い鳥はシロという名前らしい。白いからシロなのかな。安直すぎる気もするけれど、私ならきっとそう名付ける。
普段はエルが着ているローブのフードの内側に潜り込んでいるみたい。外では絶対に出てこないシロだけど、夜になると出てきて自ら進んでエルのベッドになっている様子がどうにも不思議でならなかった。
だって、多分だけど、あの鳥は特別な魔物だと思うのだ。
真っ白で赤い目をした大きさが自在に変えられる鳥の魔物。翼の内側やくちばし、更には脚や爪までも白く、目を引く長い尾羽は一枚一枚が揺らめく炎のよう。燃えないのかなとも思うけれど、触ってみてもシロの体はふかふかとするばかりで熱くない。
誰かを襲うでもなく大人しくしているところとか、眠るエルを大切そうに翼で包んでいるところとか、そういう姿を見るとどうしてもただの魔物だとは思えなかった。
エルはどうしてそんな魔物と一緒にいるんだろう。
いったいどこで出会ったんだろう。
聞いてみたい気持ちはあるけれどエルはシロのことを私や父様には何も話そうとはしないから、なんとなくこちらから聞くことも出来ずに時間だけが過ぎていく。
そんなある日。
書類仕事の休憩中にやってきた書庫で、私はこの世界に存在する魔物の種類や生体が記された一冊の本を開いていた。
わからないことがあればすぐに調べられるように本の場所は記憶していたから、紐で閉じられたその古びた本は私にとっては探すまでもなくて。部屋まで待てずに床に広げた本の頁をぱらぱらと捲る音がやけに響いて聞こえる気がした。
その中の一頁。
幻獣フェニックスの文字にふと目が止まる。
生体や見た目の特徴なんかはほとんど記されていない。
ただ、復活と再生を司る幻獣の一柱であると。鳥型の魔物であると。そういう魔物が存在する事実だけを告げる記述だった。
目が止まったのは、エルと共にいるあの不可思議な鳥の魔物の正体がもしかしてこの幻獣なんじゃないかと薄らと思ったせいでもある。
けれど、それ以上に気になることがひとつ。
「復活と、再生……」
どこかで聞いたことのある文言だ、と思ったのが最大の理由だった。
あれは……そう、父様の病がまだ進行する前のこと。
勉強を教わろうと訪れた執務室の扉の前で、父様とその執事の会話を偶然耳にしてしまった時だ。
王都の北東。空へ伸びる聖樹が一望できるほど王都に近い場所にある神殿の話。あれは確かこの国の中にあって唯一国王の支配領域に入らない場所だった。
その神殿には聖女と呼ばれる最高権力者とその他にたくさんの神官がいて、国王ではなく神様を崇める為の場所なんだとか。王族や貴族に従わない者たちだと世間からは遠巻きにされていると聞いたことがある。
父様はそんな神殿の妙な噂を耳にしたらしい。
長らく姿を見せていなかった聖女が近いうちに表舞台に出てくるだろう、と。
神殿の最高権力者である聖女と言えば、国に伝わる勇者伝説の登場人物の一人である。
とはいえあれは百年以上も前の史実を元にしたお伽話。今神殿にいる聖女がその物語の登場人物と同一人物である可能性は限りなく低い。けれどその称号を持つ人物は確かにいて、国王すらも手が出せないくらいの大きな力を持っているのだ。
そんな人が表舞台に?
いったいどういうことなんだろう。
そんなことを思いながら扉の前で中の会話を聞いていた私には気付かず、その時の父様は言ったのだ。
今の聖女は復活と再生の力を持ち、生き物であるのなら逃れようもない死からも救うことができるらしい、と。
もしその噂が本当で、そんな力が実在しているのなら。
それは紛れもなく奇跡の力だ、と。
あの時は話が壮大すぎて私にはよくわからなかったけれど、こんなところでまたその文言に触れることになろうとは。
エルは神殿の聖女の噂を知っているのだろうか。話を聞いた限り、彼女たちがダンジョンに潜っていた頃に囁かれた噂だ。あれ以来聞くことはないので、広く伝わっているものではないのかもしれないが、しかし。
本の記述を指先で撫でるようになぞりながら、どうかこの幻獣フェニックスという魔物があの鳥の正体ではなければいいと、そう思わずにはいられなかった。
幻獣と聖女。同じ力を持つ者同士。
仮に両者が出会ったとして、果たして手を取り合い互いに認め合うことができるのかどうか。
どうしても湧き上がる言葉にできない不安を抱えながら、私はその本をゆっくりと閉じた。




