九十三
二日にわたるガレオラスとの面会が終わった次の日、ようやくレイランが話せるまでに回復したと言うので私と兄妹はその部屋を訪れた。
カーテンを閉め切った暗い室内に置かれた天蓋付きのベッド。小さなサイドテーブルの上に水差しとグラスが一組。部屋の中は随分と荒れていて、棚の引き出しは全て出されて中身が周囲に散乱していた。
部屋の扉の内側を見ればルトが描いた術式があり、微かに光を帯びている。ピリリとした感覚があるのは発動した形跡だろうか。だとすればやはりレイランは魔術を使ったはずである。対策しておいてよかったな。
「気分はどう?」
我ながら最悪な切り出し方かと思ったが、それ以外に思いつかなかったのだから仕方がない。
ベッドに座っていた金髪の女はその言葉が気に食わなかったのか、くしゃくしゃにかき乱された髪の間からこちらを睨みつけてきた。
「最悪に決まっておりますでしょう」
「そりゃそうだ」
後ろにいたネルイルには近付かない方が良いと言われたが、私は構わずベッドの側に歩み寄った。途中で投げつけられたグラスを受け止めてそのままサイドテーブルに戻す。
そうして近くで対峙した私たちは、あの日向かい合って馬車に乗った時から立場が逆転しているように思えた。
「改めて。久しぶりだな、レイラン。それとも母上って呼ばれたい?」
「やめてくださるかしら。わたくしの子はリオだけですの」
あんなことをしでかした後だというのに、これだけ強気に言い返してくる度胸と根性だけは賞賛に値するというものだ。例え強がっているだけだとしても。
まあ、変に下手に出られても対応に困るので私としてもこの方が良い。
一応リオのことはちゃんと想っているようだし、そこだけは少し安心した。
さて、何から話そうか。
アスハイルとネルイルは、私に全てを任せてくれる気でいるらしい。扉の横に佇む二人の方を振り返るとそれぞれから頷きが返ってきた。
ならば、遠慮なく。
「ミリアは死んだよ。私が殺した」
「っ……」
「もう残っているのはお前だけだ。殺しはしないが口を割らないようなら相応の覚悟はしておいて」
そんな前置きに、レイランは顔を青くして唇を噛み締めている。先程までの威勢の良さは鳴りを潜め、震える体を抱いて黙って私から目を逸らした。
どうやらこの脅しは効いているらしい。ミリアを頼りにしていたのか、それとも我が身可愛さ故か。それは判断がつかないけれど。
それでも効果があるならちょうど良い。話を続けさせてもらうとしよう。とはいえ私が聞きたいことといえば、この一つだけなのだけれども。
「お前の……いや、お前たちの目的はなんなんだ」
昨日の面会の際、リオを先に部屋から出した後に少しだけガレオラスとアースフォード家の関係については聞き出してある。
ミリアはやはりアースフォード家を介してやってきた人間だった。
親しくしていた冒険者の一人娘を保護していると聞いたガレオラスは、ならばうちで引き取ろうと自分から申し出たのだという。
ミリアは共に冒険者である両親の影響で簡単な護身術くらいは身につけていると聞いていたし、何よりまだ幼い娘の良き話し相手になるのではという親心から来るお節介だったと。
そういうことは本人に直接言えと思わず怒鳴ってしまった昨日の私は悪くないと思うのだ。
そうしてまんまと潜入を果たしたミリアは、数年をかけて信頼を得て自然な流れで私をこの屋敷から追い出した。
ただ、その目的がわからない。
ミリアは私を殺す命を受けたと言っていた。
それがどうして私だったのか。
母のクラヴィアは放っておいてもいずれ命を落とすことはガレオラスから相談を受けて知っていたはずだ。だからそちらに矛先が向かなかったことはわからないでもない。
しかし、相談を受けていたのなら男として育てられてはいても私が家督を継げないことも知っていたはずなのだ。わざわざ殺す理由がどこにある?
レイランとガレオラスの間に子供が生まれ、後の妻としてクラヴィア亡き後辺境伯家に迎え入れられた一連の流れは、腹は立つが納得はできる。
そこに前妻の子供がいることが許せなかった?
ただ単に邪魔だったから?
そんな幼稚な理由でこんな手の込んだことをするだろうか。
例の犯罪集団との繋がりもそう。
奴らの魔術具を持っていたことが繋がりを示す何よりの証拠である。今までは対魔術師専用武器だと思っていたが、レイランのおかげで魔術師にとっても有用な道具があることを知った。
しかしそんなもののために犯罪集団と関わる利点がどこにある。
こいつらはいったい何がしたいのだ。
私の問いにレイランはしばらく黙っていたものの、やがて逃れられないことを悟ったのか震えながらも小さく口を開いてみせた。
「あのお方のために、わたくしたちは……」
「あのお方?」
思わず聞き返すと、突然顔を上げたレイランに再びキッと睨みつけられる。
「全てはあの方のお告げによるもの。アリシエルさん。貴女が今後、妨げになることはわかっておりますの」
お告げ?妨げ?……なんのことだ。
わけのわからない言葉が飛び出してきて私は軽く混乱する。
少なくともレイランたちの後ろにまだ誰かがいるということだけはわかるのだが。その人物のお告げとやらを信じ、ここまで手の込んだことをしたとすれば、相当心酔しているとみえる。
しかし、アースフォード家の人間が何かを信仰しているという話は聞いたことがない。
「もう少しで旦那様のご病気も治せて、心もわたくしのものになるはずでしたのに……どうして貴女は邪魔をするのかしら……ああ、このままでは本当にあの方のお告げの通りになってしまうわ……」
両手で頭を抱え髪をかき回して、ぶつぶつと語り出したレイランはまるで何かに取り憑かれているかのよう。明らかに正常とは言い難いその様子に私は言葉を忘れて見入ってしまう。
なんだ。なんなんだ、この、嫌な感じは。
「ねぇ、アリシエルさん」
更にくしゃくしゃになった金髪の間から覗く、くすんだ青い瞳がじっと私を見つめていた。
リオと同じ色をしているはずなのに印象がまるで違う。レイランの目を見ていると底無しの闇の中に引き摺り込まれるような、そんな感覚に陥ってしまう。
くすんだ青から目が離せない。
指先一つも動かせない。
呼吸も忘れそうになる。
そこからゆっくりと続けられる言葉が、頭の中に直接叩きつけられるような気さえした。
「――わたくしたちのために、消えてくださらない?」
と、言われた瞬間に背後で何かが強く光り、レイランは突然血を吐いて座っていた状態から倒れていった。
魅了の魔術を使われたと気付いたのは、そんなレイランの横でぼんやりと佇んでいた私の前にアスハイルが割り込んできてからだ。
どうやら魅了の魔術は同性にもある程度の効果はあったらしい。それを身をもって知った瞬間だった。
「大丈夫か?」
目線を合わせる為にしゃがんだアスハイルに顔を覗き込まれて、私は青い残像を消し去るように両手で目を擦りながら「悪い」と素直に謝った。
任されておきながら魅了に気付かないとは。不覚である。
「何ともないならそれでいい」
そう言って頭を軽く撫でられる。その感覚ももう慣れたもので、私は大人しくそれを受け入れていた。
「この状況で魔術を使うなんて本当に良い度胸してるわね。気を失ったみたいだけど、この様子なら少し寝かせておけばすぐに回復すると思うわ」
「そうか。またエルに何かされても困る。王都行きは早い方が良さそうだな」
レイランの様子次第だが数日中にはここを出よう、と話している二人の声をどこか遠くに聞きながら考える。
あの方とは誰だ。お告げとは何だ。私の知らないところでいったい何が起きていると言うのだろう。
自分が関わっているはずなのに、何もわからないのが歯痒かった。今のところレイランの周辺にしか手がかりがないことも。これ以上私が問い詰めても何も話さなそうなところも。
私が出ていくよりも教会に任せておいた方が情報は引き出せそうな気がしている。
ただ、私を狙う者はミリアやレイランだけじゃない。それがわかった以上、私も今後のことは考え直すべきかと思い始めていた。
得体の知れない気配。
その存在が今後及ぼす影響をこの時の私はまだ知らなかった。




