九十二
次の日はリオと二人で父の寝室にやってきた。
父はネルイルの回復魔術を受けた後だったので、少しの間ならベッドに体を起こせるくらいにまで回復しているらしい。
座った父の横に私たちも椅子を並べて腰掛けると、どうやらいろいろと気付くこともあるようで、まず飛んできたのは当然の疑問だった。
「アリシエル、背が伸びていないのか……?」
五つ下のリオよりも小柄な私はこの屋敷を出た日から今日まで少しも成長していない。全てはシロの魔力が原因であるのだが、それを素直に教えるわけにいかないので私はルトと入ったダンジョンでの出来事を話して聞かせることにした。
さまざまな魔物と戦ったこと。ダンジョン内部を破壊するほどの大きな魔術を使ったこと。ドラゴンを撃ち倒したこと。そしてダンジョンから出たら地上は五年が経過していたこと。
あまりに危険で壮大な話に父は若干引いていたようだが、対照的にリオは目を輝かせて私の話に聞き入ってくれた。
「父様。姉様は本当にすごいんです!私も戦うお姿を近くで拝見しましたが、あんなに早く動ける方は砦の兵士にもいないのではないでしょうか!剣も魔術も私には到底真似できない領域です!」
「アリシエルは剣術も魔術も好んで訓練に励んでいたと聞いていたが、そうか。リオが言うくらいなのだから相当腕が立つのだな。私としてはあまり危険なことをしてほしくはないのだが……」
「今更子供扱いするな。これでもクランデアの街では魔王とも戦ったんだ。その辺の冒険者よりは戦えるぞ」
言ってから、しまった、と少しだけ後悔した。父の物言いについ反論するようなことを口にしたが、これでは反抗的なただの子供じゃないか。
なんだかこの二人といると余計なことばかり言ってしまいそうで、私は改めて気を引き締める。
「魔王!それって、少し前に起きたあの騒動のことですよね!?」
「なんだ。こっちまで話が広まっていたのか」
「王都から知らせが届いた時は本当に驚きました。あのお伽話の魔王が復活だなんて……」
いや、あれは復活ではなく生まれ変わりというかなんというか。お伽話に出てくる魔王とは情報を共有した別の個体と本人も言っていたはずである。
どうやらその辺りの情報は間違って伝わっているらしい。あの場に居合わせたという王族の人間がそう判断したせいなのかもしれないが……まあ、私がわざわざ訂正してやることでもない。
指摘した結果なぜ知っているのかと返されても困るので、今は黙っているのが一番平和で良い気がする。
「アスハイルやネルイルとはリガンタの街で会ったんだ。出会ったばかりの二人はルトを教会に勧誘するために追いかけ回していたよ。そうしたらアスハイルに決闘を申し込まれて……そういえば結局戦ってないな」
「アスハイルさんは教会の魔術師なのですよね?やっぱり姉様もあの方相手では厳しいですか?」
「それは無い。私は負けない」
リオの疑問に私はすぐさま首を横に振ってみせた。
その考えは共に旅をした今でも変わらない。あの兄妹が束になってかかってきたとしても、正直負ける気はしないのである。
反発心から言っているわけではなく、自分の今の力を客観的に見た上での評価だ。そもそも使う魔力の質が違いすぎる。並の魔術師が幻獣の魔力に太刀打ちできるわけがない。
魔力を使わない素手での勝負ならまだわからないが……アスハイルは子供相手にそんな勝負を仕掛けるような男ではないからな。
兄妹が王都へ戻る前に一度くらい手合わせしてみるのもいいかもしれないと思っている。後で相談してみるか。
「スイストンの街では騎士団の人間に会ったよ。やはり騎士と言うだけあって強かったな。少し戦ったがもの凄い剣捌きだった」
「騎士団の人間に目をつけられてはいないか?あれは王の番犬とも言われる国の最高戦力の一角だ。敵に回すと厄介だぞ」
「それは……うん、手遅れだな」
私が持っているペンダントのこともあるが、いつかはこの国を出ることをわざわざ騎士の前で言ってしまっている。このことが王族に伝われば一層監視は厳しくなるだろうし、やはりいずれ騎士団とはやり合うことにもなるのだと思う。
だからこそ、アリシエルは完全に消さなければならない。
結局母と同じ結論に達している自分に苦笑しつつ、私は心配そうにこちらを見ている二人を交互に見た。
今の二人にこれを告げるのは酷かもしれない。そう思いながらも「だから」と強く強調して、私は迷わず告げるのだ。
「私のことは忘れてほしい」
今後はアリシエルと名を呼ぶことも、姉様と慕うこともダメだ。
この先何があろうとも、次に別のどこかで会うことがあっても、自分とは一切関係のない人間として接すること。そう告げれば、父はともかくリオは顔を曇らせた。
けれどこれは飲んでもらわねば困るのだ。
もうしばらくは屋敷に留まるつもりでいるが、それもきっと長くはない。
私はまた旅に出る。当てのない放浪の旅だ。何が起こるかもわからない。何に巻き込まれるかもわからない。その時に、家族が足枷になることだけはどうしても避けたかった。
そもそも私が今回ここへ戻ってきたのは、ミリアの件とそれからもう一つの目的があったからである。
だからここからは、エルとして話を進めさせてもらうとしよう。
取引きだと告げ、父――ガレオラスに向き直ると、男の頭は瞬時に仕事に切り替わったらしい。私の知るこの人の凛々しい雰囲気が少しだけ戻ったような気がした。
「私はあんたを助けた。それはまあ、こうして話せる機会を得られたから良しとして、その状態を保つのには魔力操作をあんた自身が覚える必要がある」
これは私がシロと出会った頃に自力で編み出した技術だ。
今はもう無意識下での制御ができるようになっているので特に気にしたことはなかったが、この世界の人間はまだ到達していない領域の技術であることは間違いがない。
それは教会の魔術師である兄妹の反応を見ていれば自ずとわかるというもので。私にしかできないとあらば、取引きの材料にはもってこいの代物だ。
「魔力操作のやり方を教える。その代わり、あんたにもやってほしいことがある」
私がここへ来た目的の一つ。
旅をする前の私では、こんな考え思い付きもしなかった。だからこれは、各地を巡り、人と出会い、様々な経験を積んでようやく出した私の答えでもある。
仕事を任せてほしい。必ずや完璧に成し遂げてみせる。そう豪語した、一人の貴族だった者としての、責任。
「旅の最中に幾つか集落や村に立ち寄ったよ」
先程は旅の思い出として華やかな部分ばかりを語ったが、そうでないものもたくさん見てきた。
奴隷となる運命から運良く逃れた者たちの集落。人も少なく活気のないポロの村。人が消え眠りについたリランの村。そして、貴族を憎む人々。
地図にも載っていないような場所でも確かに人は暮らしている。私はこの旅で地図ではなく現実を見たのだ。
だからこそ思う。
私たちには責任がある。
魔力という力を得て生まれた責任だ。
貴族だからと権力を振り翳し、持たざるものを虐げる。そんなことを許していいはずがない。
「特に南が酷いと聞いた。それを放置していた責任はこの辺境伯家にだってあるはずだ。だから必要と判断した村への支援と、働ける者には可能な範囲の仕事を与えてほしい」
人手が足りないなら雇え。経費は国からもぎ取れ。好き勝手にやっている貴族を取り締まれ。持つ者としての責務を果たせ、と。捲し立てるように言った私に男は目を見張っている。
「簡単に言ってくれる……」
貴族を憎む連中が徒党を組み始めたこと。その規模が最早街一つは落とせるくらいにまで成長していること。経緯はまだ不明だが、そこに協力し始める貴族まで出てきていること。
スイストンの元領主ダクトルや、まだ私の予想ではあるがレイランを含めたアースフォード家がその筆頭であることは概ね間違いはない。
教会が追っているとはいえ、この問題を解決するのならまずは元の原因である貴族への不信感を払拭していく必要があると私は思うのだ。
今回辺境伯家はその被害を受けた。だからこそ、この人に先頭に立って主導してもらいたい。
せっかく生かされたのだからそのくらいのことをしてみせろとぼやく私に、ガレオラスは大きなため息を吐いて眉間に皺を寄せ考え込んでいた。
「お前は、随分と成長したのだな」
やがてぽつりとそんなことを呟いて、男は一度、深く頷く。
「わかった。できる限りのことはしよう」
この時、なんだか初めてこの人に認められたような気がして。
私は口を引き結び、少しの間俯いて、込みあげてくる喜びをひたすら噛み締めていた。




