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放浪のエル  作者: ゆう
第三章
87/108

八十五



 やることはわかる。シロの魔力を対象に送り、私の内にあるのと同じような回路を作る。

 両手足と頭にそれぞれ起点を作り、常に魔力が流れ続けるような魔力回路。そしてそれを定着させる。

 

 本来魔物の魔力は人間に扱えるものではないのだが、これはただ取り込んだ魔力を体内で巡らせ体に錯覚を起こさせるだけ。

 私のように常にシロからの魔力の供給があるわけではないので、他人にこの回路を作っても同じような魔法は使えないはずだ。



 

 

 触れた手からゆっくりとシロの魔力を送っていく。あまりに多すぎると逆に毒になることは私も身をもって知っているのでこの時ばかりは慎重に。

 

 そうして送り込んだ魔力を操作し、回路を作成しようとして――突然、瞼の裏に強い光が瞬いた。



 思わず手を離して後ろに下がった私は、そこにあった椅子を倒しながらよろけてその場に膝をつく。



「エル!?」



 すぐさま側に来たネルイルに支えられると、気が抜けてその場に座り込んでしまった。

 


 強い光を見たせいか頭が痛い。目の前がチカチカする。今のはなんだ。何が起きた?


 周りの心配する声を聞きながら返答すらできずに眉間を揉んでいると、次第に頭痛も目の異常も治っていく。



「エル、大丈夫なの?」


「うん。なんか、光が……」



 答えながら顔を上げると、先程までとは見える景色ががらりと変わっていて驚いた。

 

 

 部屋中に漂う薄い膜のようなもの。それは人や物をすり抜けながら、ゆったりとした波のように少しずつ形を変え空中を流れている。


 母の魔力だ、と真っ先に思ったのは、それが私の髪と同じ色をしていたからだ。私と母だけが持つ桃色。他にこの色を持つ人を私は知らなかったから。



「な、にこれ……?」



 側でネルイルも驚いていたので、どうやら見えているのは私だけではないらしい。


 いったいどうして。ルトのような目を持っているわけでもないのに。魔力感知も使っていないのに。

 

 アスハイルとその足にしがみついているリオも見えている様子なので、魔力が実体化している状態ということだけはわかる。だがそれは、ルトが空中に術式を描く時のように、ある程度の密度がないと成立しない。


 

 そんな戸惑いの中、不意に遠くからガラスの割れる音が聞こえてきた。私はハッとして立ち上がると、部屋の大きな窓に駆け寄りそれを勢いよく開け放つ。



「あっ!いました!エルー!」



 そこから見えた屋敷の庭に、目を閉じたままのルトを背負ったシンディがいた。もともと背負っていたはずのバックパックはどこかに置いてきたのだろうか。


 二人の周囲には敵と思われる数人と、割れた窓枠の木が散らばっていた。こちらに気付いて元気よく手を振る姿を見る限り怪我をしている様子もない。それには一先ず安心したのだが、今の音の原因がシンディであることは確実だった。


 おそらくどこかの部屋の窓を突き破ってそのまま庭に降りたのだ。相変わらずの身体能力の高さである。



 そんなシンディが振っていた手を止めて、とある一箇所を指し示す。


 それは、私たちが今いる屋敷の、その上空。



「術式、ありました!!」



 窓枠に手をかけ身を乗り出すと、落ちても問題はないのに背中の服を掴まれ支えられる感覚があった。アスハイルだ。

 

 その状態のまま見上げた屋敷の上空には、確かに巨大な術式が大量の魔力を放ちながら浮かび上がっているのが見える。



「そんなところに……」



 普段は視認ができないはずだ。そうでなければこの屋敷に来た時点で気付いている。どうして今になって現れたのか、可能性があるとすれば先程の瞼の裏で瞬いた光――



 ああ、そうか、と。


 その時、私は、気付いてしまった。



 ここに来るまでに私が襲われた魔力過多による不調。

 その時に覚え、シロの魔法陣に溶け込ませた母の名が刻まれたあの術式。


 今はその機能を停止してはいるけれど、本来は私の内にあるシロの魔法陣と同じように対象に魔力を送り込むものだった。


 今、屋敷の上空に浮かび上がっている術式がその本体なのであれば。それは。





 ――あいしていたのよ……ほんとうに……



 脳裏を過ったのは、母が死の間際に口にした言葉。あの場に駆け付けても来なかった父へ宛てたであろうその言葉。




 

 母は子爵家の末娘でありながら、生まれつき莫大な魔力を有していたという。だと言うのに、私は母が魔術を使うところを一度も見たことがない。


 王都の学院に通っていた頃には教会から声がかかることもあったくらい、とても優秀な魔術師だったとだけは聞いたことがある。



 他の誰も真似できない、特別な魔術を扱えた唯一の人だったと。


 

 母の専門は――未来視。



 


 あの人はきっと、こうなることを知っていたのだろう。





 私は眠る父の元へと戻った。

 

 今にも死んでしまいそうな痩せ細った男だ。私からすればなんの思い入れもない、血が繋がっているだけのただの人間である。


 

 そんな男を、あの人は愛したのだ。

 


 教会の魔術師という名誉すら投げ打って、身分違いと揶揄されることすら厭わずに辺境伯家へ嫁いできた。


 自分がいない未来で病に倒れる男のために、こうして己の魔力を残してしまうくらいに。





 きっと今この時こそ、あの人が視た未来の瞬間である。





 全てを理解した私は一度深呼吸をしてから内にある母の術式を起動させた。再び流れ込んでくる魔力は、魔力過多を起こした時とは比べようもないくらい大量で流れも早い。

 

 それを今度は触れた腕から男の体に送り込んでいく。


 辺りに漂う魔力の膜が揺れ動き、まるで眠る男を包むように集まってきたそれが一瞬、幻影魔術も使っていないのに人の形を持ったように見えた気がした。



 体の中に幾つか起点を作り、一定の速度で魔力を巡らせていく。そうして魔術を発動している時と同じような状態を保つのだ。

 更にその回路に私が簡略化した母の術式を刻み、最後には周囲を漂う魔力のその大元――この屋敷の上空にある術式と繋げるようなイメージで。



「……これで、よし」

 


 一通りの作業が全て終わると、部屋に漂っていた魔力は徐々に薄れてやがて見えなくなっていった。おそらく外の術式も。

 消えたというわけではなく、これからはこの男の意思で術式の魔力を操作できるようになったというだけのこと。今は私が調整して流す量を必要最小限にとどめてはいるけれど。


 試しに魔力感知を試してみても、もう強い光は感じない。ルトの視界も正常に戻っていることだろう。


 

 はぁ、と短く息を吐いて無意識に入っていた肩の力を抜く。

 終わったぞと声をかけると、私と入れ替わるように父の側に立ったネルイルがその様子を細かく確認し始めた。



「すごい。できるとは思っていたけれど、まさか本当に……」



 これで魔力は安定した。体の衰弱が激しいのでまだ安心することはできないだろうが、あとは街医者にでも任せておいて問題はないはずだ。きっとそのうち目も覚ます。

 私がそう告げれば、ネルイルも同意見だと頷いていた。



「……姉様」



 リオは父の状態を話さなかったことに負い目を感じているのかもしれない。今にも泣き出しそうな顔からは、喜んでいいのかどうかを迷っているのが容易に見て取れた。


 当主が病に臥せっているだなんて情報、そう簡単に外で話せるものじゃないことくらい私でもわかる。それが例え身内相手だとしても。

 だから、リオの判断は正しかったと私は思う。

 

 安心して喜べと苦笑しながらも言ってやると、ぶわりと溢れ出した涙を拭いもせずに抱きついてきたので私はそれを受け止めた。相変わらず泣き虫だなと小言は溢してしまったけれど。



「ごめん、なさい……母様が、何かしているのも知っていたのに、言えなくて……」



 リオが言うには、父はもう一月は眠ったままでいるらしい。辺境伯の仕事は先程アスハイルが気絶させた執事を中心にリオも手伝いながらなんとか続けてきたのだと。

 

 この屋敷に部外者が出入りするようになったのは父が目を覚まさなくなってすぐの頃。その中心にはいつも彼の母親であるはずのレイランがいて、リオはどうすることもできずこの部屋で父の看病をする日々を送っていたのだと言う。



「使用人たちはみんな、おかしなことを言うんです。母様の言う通りにすれば父様の病気も治るって。最初は信じていなかった人も突然人が変わったみたいに同じことを言い出して……」


「人が変わったみたいに……?」



 聞き流せない言葉に思わず口を挟んでしまったが、それはいったいどういうことだろう。



 リオの肩を掴んで一旦引き剥がし、問いただそうとしたその時だった。

 


 体に走った痺れを伴う強い痛み。

 


 咄嗟に魔力感知を発動し、屋敷の外にまで届くくらいにまで更に範囲を広げていくと――麓の街や周囲の森の中に、不自然に蠢く大量の魔力を見た。



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― 新着の感想 ―
うおお、鳥肌が立ちました。 こうなることが分かっていたのか、お母様……。
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