七十九
その後。
私たちは、リオや捕らえた襲撃犯から得た情報を共有した。
まず第一に、ミリアの居場所は依然不明であること。リオはもともとあまり関わりがないと言っていたが、流石に屋敷の中で姿も見ないとなると居ないと考えるのが妥当だろう。
少し気味の悪さは感じるが、私たちの前に仲間を送り込んで来ていることを考えれば案外近くにいるのかもしれないとは思っている。
ただ単に、私たちが気付いていないだけで奴らの仲間がそこら中に潜んでいて、情報を細かく共有している可能性も無くなはいのだけれども。
貴族を憎む平民は私が思っている以上に多いのだから。あり得ない話ではないはずだ。
それからもう一つ。
どういうわけかあの父は私が行方不明となった時、酷く動揺していたらしいことも伝えておいた。
これに関しては私にも全く理由がわからない。
あれだけ放っておいて何を今更という感情しか湧いてこないくらいである。何か利用価値を見出していたと言われた方がしっくりくるというものだ。
次に兄妹が襲撃犯から得た情報によると、例の犯罪集団の構成員は自分たちのことをミカエルの矢と称しているらしい。
ミカエルと言えば神の軍勢を率いたという大天使の呼び名である。あくまでもこの世界で語り継がれる神話の中の話であるのだが、悪魔がいて魔王もいたのだから存在している可能性は十分にあるのではないかと私は思う。
そんな天使の名を冠するとは自分たちを悪の制裁者とでも言うつもりなのか。奴らにとっての悪とは何かは、考えるまでもなく貴族だろうが。
話を更に聞いていれば、その集団の規模はなんと構成員数百にも及び、戦力次第では小規模な街一つ容易に陥落させられるくらいに成長しつつあるという。
最早一つの組織だな、と思わず呟いた私にアスハイルはその通りだと言って頷いていた。
そんな奴らをこのまま放置しておくわけにはいくまい。
今後更に成長し、手がつけられなくなってしまったら厄介どころの騒ぎではなくなってしまう。内戦にすら発展し得る重大な問題だ。
そうなる前にと二人も必死で探りを入れてみたものの、今捕らえている構成員はいずれも末端の奴らばかりで碌な情報を持っていないのだそう。
だからこそ関わりがあったスイストンの領主含め、疑いのある辺境伯と明らかに末端ではないミリアの情報が欲しいとアスハイルとネルイルは強く語っていた。
「今はまだ可能性の話だけど、この規模となると指導者がいてもおかしくはないと思うのよ。そこに繋がる情報が出てきてくれるのが一番いいんだけど……」
そう簡単に出てきたら苦労はない。それがわかっているから、ネルイルも言った直後に深い深いため息を吐いていた。
指導者か、と私はふと考える。
貴族を憎む連中を束ねる人間が本当にいるのだとすれば、それはいったいどんな人物だろう。
やはり平民としてこの世界に生まれ落ち、恵まれない環境で育った者だろうか。リランのように身内を貴族のせいで失った者だろうか。魔術の才能のなかった貴族、ということも考えられる。
今いくら考えてみても実際のところは何もわからないけれど、もしそんな人間が目の前に現れたら私には何ができるだろう。
貴族として生まれ、その立場を捨て、魔力と引き換えに魔物の力を得た私は――
そんなことを考えているうちに情報共有は終了した。
何はともあれ、明日には辺境伯領へと入ることになる。
今日は早めに休もうということになり、夕飯を手持ちの食料で簡単に済ませてから私以外の四人はそれぞれベッドに入り眠りについた。
襲撃を警戒して念の為にと今回借りた宿の部屋は、四つのベッドがある大部屋だ。
左右の壁に二つずつベッドが置かれているので、衝立にと言ってネルイルが魔術で部屋の中央に植物の壁を作っていた。
そうしてみんなが寝静まった今、私は眠らずにシロの羽に埋もれながら窓から空を眺めている。
雲の無い夜空に浮かんだ綺麗な月と星。
ぼんやりとそれを見ていると、そういえばあの屋敷でも何度かこうして夜空を見上げたことがあったなと思い出した。
私物の少ない自室で書庫から持ち出した本を読んでいた時。その書庫に籠っていつの間にか夜になってしまっていた時。暗く静かな廊下を一人で歩いていた時も。
側に誰もいなくとも楽しめる夜空がいつもそこにはあったから。
(……不思議な気分だ)
いつも独りきりだった屋敷を出ただけで、私は独りではなくなった。シロに出会い、そして今日までにいろんな縁を結んできた。
友人も、仲間も、そして唯一無二の弟も。
王都の周辺を一周しただけ。全ての街や村を巡ったわけでもない。けれど、きっとこの縁は欲しいと願っても簡単に得られるものではなくて。だからこそ大切にしなきゃいけないと、そう思えるようにもなった。
旅を始めた頃は誰かを信用することすらできなかったことを思えば、私もそれなりに成長できてはいるらしい。体は相変わらず十歳の子供のままだけれども。
(私はこんなに自由にしていていいのかね)
(いいんじゃないか。俺も退屈しなくて良いぞ)
相変わらず傍観するだけのシロは、本当に退屈凌ぎの為に私の近くで人間界を見ているんじゃないかと最近思う。
魔力は際限無く使わせてくれるけれど直接手を貸すことはほとんど無く、私も含めて誰にも深くは干渉しようともしないから。
だから、私は相変わらず、シロのことを何も知らないまま……。
(いつになったら教えてくれるんだろうね、この幻獣様は)
私は柔らかい羽の感触を楽しみながら、この静かな夜を穏やかな気持ちで過ごしたのだ。
そして翌朝。
アスハイルとネルイルは顔を隠せるようなフード付きのローブを街で購入し身につけていた。昨日の襲撃も二人の姿を見られたことで特定された可能性があるからだ。これから敵地かもしれない場所に乗り込むのだから、確かに買っておいて損はない。
預けていた馬を引き取り、いつも通り私とアスハイル、シンディとネルイル、それからルトと別れて跨る。
少し間が空いたからかルトはまた不安定な状態に戻っていて、けれどその慌てる様子が張り詰めていた空気を緩めたのか、道中は終始和やかな雰囲気だった。
こうして私たちはついに辺境伯領へと足を踏み入れたのである。
この辺境伯領は小規模な街が多く点在し、主に武器やポーション等の薬品が盛んに製造されている場所だ。
作られた品は他の街にも売り出されているものもあるが、そのほとんどが国境手前の砦で働く兵士たちの手に渡る。
良質な武器や薬品が常日頃から惜しみなく投入され、給与も比較的多く、士気も高いこの領地の兵は、国の中でも特に質が良いと評判だった。
平時は砦に在中している兵が約五百。それ以外に点在する街や辺境伯の屋敷の警備に当たっている兵が総勢千五百ほど。合わせて約二千がこの辺境伯領の戦力だ。
国境を超えた先の南東に広がる陸地には亜人の国があり、そこでは人間を毛嫌いしている者も多いと言う。私たちが今いるこの国の民はほとんどが人間である為、昔から何かと対立することの多い隣国だった。
だからこそこの国境の防衛は重要な仕事であり、国からも多額の資金が投入されているのである。
まあ、これらは私がまだ屋敷にいる時に学んだ知識なので、五年経った今も同じかどうかはわからないのだけれども。
そんな辺境伯領に一年弱ぶりに帰ってきた私の長い一日が、今、始まろうとしていた――




