七十
リランに連れられてやってきたのは、村の入り口とは真反対にある柵の向こう側。緩んだ木材を広げて村の外に出てみると開けた草原の中に見事な花畑が広がっていた。
近くに視界を遮るものは無く魔物の影も無い。街道からも離れているので幼い子供が遊んでいても人目に付くことはなさそうだった。
そんな花畑の中にしゃがみ込んだリランは、手に持てるだけの花を摘んでから更に向こうへ駆けていく。
「あんまり遠くに行くと流石に危ないんじゃないのかー」
「大丈夫ー!」
何が大丈夫なのかはわからないが、私は自分よりも小さな子供を相手にしている気分でその後をゆっくりと追いかけた。
そうして進んだ先にあったのは石が積まれた山が二つ。ちょうど花畑が途切れたところにあったそれの前に、リランは先程摘んだ花を丁寧に並べていっている。
「これは……墓か?」
街中の墓地で見る職人が石を削り出して名や文字を刻むような立派ものではない。ただその辺に落ちている石を積み上げただけの簡易的なものである。
「うん。左側がお父さんで、右側がお母さんなの」
順に指を指して教えてくれたリランは、花を並べ終えるとそのままそこに座ってぼんやりと墓を見上げていた。
あの家にはボル爺さんとリランの二人しかいなかったので薄々気付いてはいたのだが。
そうか、やはりリランの両親は既に死んでいるのだな。
積まれた石を見ればまだ苔も生えていない綺麗な状態である。おそらくこれが作られてからまだあまり時間は経っていない。こうして墓を作って参るくらいなのだから家族仲も悪くはなかったのではなかろうか。
そう思うと、先程見たばかりの場を和ませるような明るい表情に違和感を覚えてしまうのはなぜだろう。
大切な両親が死んで、人はすぐにあんな表情を浮かべられるものなのか。正直、私にはよくわからない。
「……悲しくはないのか?」
「悲しいよ。でもね、」
そうしてリランは胸元の服の中から何かを取り出して見せてくれた。よく見ればそれはあの村に住む子供が持つにしては随分と高価そうなペンダントだ。紫色に輝く石が嵌め込まれた一見綺麗な品である。
「それ……」
「綺麗でしょ!」
嬉しそうに。どこか楽しげに。そのペンダントをぎゅっと両手で握り締めて、まるで祈りを捧げるかのようにリランは言う。
「これを持っていたらね、お父さんやお母さんと同じところに行けるんだって。だから悲しいけど大丈夫。これはわたしのお守りなんだ」
――違う
そんな神秘的なものじゃない、と私は吐き出しそうになった言葉を咄嗟に飲み込んだ。
リランの持つペンダント――正確にはそこに嵌め込まれた紫色に輝く石。
それを見た瞬間、体にビリビリと痺れるような軽い衝撃が走った。痛みとまでいかないが私はこの感覚を知っている。
(シロ。これ、魔術具なんじゃないか……?)
(おそらくな。あの時感じた違和感とよく似ている)
シロが言っているのはミリアの襲撃を受けた時のこと。魔力が逆流するという魔術具を使われたあの時だ。
全身に走る痛みと共に吐き出された血の味は未だに忘れずに覚えている。
同じ物かどうかはあの時実物を見ていないのでわからないが、今問題なのはそんなものをなぜリランが持っているのかである。
まさか、この少女が例の犯罪集団の構成員……?
一瞬そんな考えが浮かぶも、すぐに首を横に振ってそれを消し去る。
先程リランが両親と同じ場所に行けるとそう言った時の言い回しは人に聞いたようなものだった。ならば、誰かから譲り受けたもの。そう考えるのが妥当だろう。
「……それは、誰に、言われたんだ?」
貴重な情報源である。慎重に聞き出さなければ。
そう思ってリランの隣にしゃがんだ時、ふと向けられた真っ直ぐな視線に一瞬ゾワリと寒気が走ったような気がした。
(なんだ……?)
目の前にいるのはただの少女だ。それはわかる。
なのに今感じた寒気の正体がわからない。
こてんと首を傾げた少女は大きな瞳を少し細めて上目遣いに見上げてくる。
「……知りたい?」
そう、問われて。
「……ああ」
頷けば。
リランは、にこりと貼り付けたような笑顔を浮かべて見せるのだ。
「ふふ、ないしょ!」
そろそろ戻ろう!と立ち上がったリランは元の子供らしい笑顔を浮かべていた。ペンダントは再び服の中に仕舞われてしまって見ることができない。
そんな子供に手を引かれて花畑を進みながら思う。
――この少女はどこかおかしい
そして、おそらく私は今何かをしくじったのだ。
情報は聞き出せず、隠されてしまった。
まだ幼い少女だからと甘く見ていたわけではないのだが……それでも、私が何かを見落としたのは事実である。
このまま戻っていいものか。
そう考えて、私は一度目を閉じてから腰の剣に手を伸ばす。
「……せっかく友達になれると思ったのになぁ」
「生憎、友人は間に合ってるよ」
後ろから首元に剣を回せば、リランはその場に立ち止まった。花畑のど真ん中だ。風が吹けば花びらが空へ向けて舞い上がっていく。
どこかおかしいとは思ったが、剣を突き付けても怖がる様子も無いとは。いったいこいつは何者なんだ。
見た目はどう見ても子供。言動も今のところ子供の範疇からは外れていない、とは思う。けれどこの違和感は……まるで恐怖を知らないような、死を恐れていないような、そんな感覚。
こうなったらここでなんとしても聞き出すしかない。
そう思った瞬間だった。
小さな手が剣を掴んだのだ。
「こんなにすごい剣まで持ってて、エルはやっぱり、お貴族様なんだね」
刃物を素手で直接掴んだのだ。当然切れて血が流れる。けれどそんなこともお構いなしに、リランはその手に更に力を込めると勢い任せに剣を振り払った。
「――貴族なんて大嫌い!!!!」
リランは魔力を持っていない。魔力感知でも確認済みだ。だから本当にただ振り払われただけ。
わかっていながらもその叫びの威力に私は思わず数歩下がる。
血の滴る手のひらをグッと握り締めて、震える唇を引き結んで。睨みつけられた私はようやく悟った。
リランは貴族を憎んでいる。
そして、先程の会話の中に私が貴族の出であることを証明する何かがあったのだ。
思い当たるとすればあのペンダントしかない。まさかとは思うが、あれの出どころを探った奴は貴族だとでも教えられたのか?
魔術具の存在を知っているのは、例の犯罪集団と教会の魔術師や騎士団くらいなものだから……
「お父さんとお母さんを殺したのも貴族だもん!!魔力がない人間なんか生きてる価値なんてないんでしょう!!だから助けてくれなかったんだ!!」
「殺した?助けてくれなかった?待て、話なら聞くから――」
「来ないで!!!!」
パシン、と伸ばした手は弾かれてしまった。
そうして泣きながら走っていったリランの後ろ姿を見ながら、私は一人花畑の中に座り込む。
「あれは一応見たまんまの子供だね……警戒して損した気分……」
「だがあの道具を持っているとなるとこのまま放っておくわけにもいかんのだろう?」
「うん。なんの道具かはわからないけど早く取り上げた方がいいのは確かだと思う」
またあの時のような状況に陥るのだけはごめんである。私はともかくルトや兄妹は魔術具の影響を無効化する術を持たないから今度こそ命を落としかねない。何がきっかけで作動するかもわからないなら、早めに奪って壊してしまった方が無難だとは思うのだが。
しかしあれだけ大切にしているものを無理矢理取り上げたりなんかしたら、それこそ大変なことになるんじゃなかろうか。別にあの少女に何を言われようが恨まれようが私は気にしないのだけど、面倒なことには変わりなかった。
「それにしても、貴族って結構憎まれているんだな……」
魔力を持って生まれる貴族と持たない平民。その格差は昔からあるものだが、こうして真正面から叩きつけられると考えてしまうものがある。
私自身は貴族も平民も同列に見ているつもりだが、実際持たざる者の苦労は私には理解し得ないものだ。だから、持っている私が何を言っても火に油を注ぐだけ。
もう姿も見えない少女を追う気にもなれず、私は花畑の中に寝転んで沈み始めた太陽の光に目を細めた。フードの中から顔を出したシロの柔らかい羽が頬を掠めるのがくすぐったい。
「結局、何もできないのか……」
そんな無力感に苛まれながら、私はしばらく花畑の中でぼんやりと考え込んでいた。




