六十九
翌日の昼過ぎにはスイストンの街を出ることになった。
昨夜は気付いたら寝ていたようで、しっかりたっぷり寝た今日の私は悩みも吹き飛んで体調も万全である。
預けていた馬を引き取って街の外に出れば、見送りにとサフが姿を現した。その顔はどこか険しく、私と相乗りしているアスハイルを呼び止めたので自ずとその話は私の耳にも入ったのだ。
「あの領主だが、例の集団とも関わりがあるかもしれない。記録に無い取引きの形跡があったから問い詰めたら、お前から聞いた奴と似た特徴の女に武器を売ったと吐いていたぞ」
「アスハイルから聞いたって……ミリアのことか?話したのか」
「ああ。今んとこ俺たちの持つ情報はあの女だけだからな。だがやっぱ貴族とも繋がりがあるか……厄介だな……」
ただでさえ対魔術師専用武器とも言える魔術具を使う奴らである。貴族から直接品質の良い武器を仕入れているとなると、それなりの戦力があると見てまず間違いはない。
どれだけの規模の犯罪集団なのかは知らないが、ミリアのような奴が他にもいて更にしっかり武装しているとすると確かに厄介でしかない。
「お前たちはこれから辺境伯領に行くと言っていたが」
「まず間違いなく黒だろう。その方が殴れるからいいけどよ」
「おい。それは私の仕事だ。取るな馬鹿」
「お前も殴ればいい。俺も殴る。そうじゃなきゃ気が済まねぇ」
グッと拳を握り込むのが見えたので私は後頭部で軽く後ろの男を突く。寄りかかるような体勢になったけれどアスハイルの体幹がしっかりしているおかげで落馬の心配はない。
そんな私たちの様子にサフは険しかった顔に呆れを滲ませて半目でため息を付いていた。
「……随分と仲良くなったようで」
「お陰様で」
一応この男も気にしてくれていたようだからな。最後くらいはと思って礼を告げると、ふいと顔を逸らされてしまった。照れているのか、それともただの無視なのかは今の私にはまだわからない。
まあ、私とサフはもし次会う事があるとすればおそらく敵対することになるのだろう。それがわかっているから、このくらいの距離感がちょうど良いのかもしれなかった。
そうして最後に漁師たちがまた馬鹿な事をしでかさないようにとサフに頼んでから、私たちはスイストンの街を出発したのである。
相変わらず馬に慣れていない不安定なルトがいるので進みはゆっくりではあるけれど。
しかし、確実に、目的地は迫っていた。
出発から二日後にはまた小さな村に辿り着いた。
ポロの村よりも更に状況が悪く、あまり出歩く人もいない静まり返った村である。
崩れかけた家の窓から旅人を値踏みするような視線を感じるものの誰も外には出てこない。流石にここでは宿泊も不可能だろうとそのまま通過することに決めたのだが、不意にかけられた声に私たちは馬を止めた。
「もし。旅のご一行様。どうか我らの願いを聞き届けてはいただけませんか」
ローブを身に纏った男である。その人物は痩せ細った老人で、杖に両手を乗せた状態で木箱に腰を掛けていた。
体が小さく村を囲む簡易的な木製の柵の側にいたので私たちもすぐには気が付かなかった。
「願いってのは?」
教会の人間として相手が困っているなら捨て置く事もできないのだろう。口を開いたアスハイルに、なぜか老人の方が少し驚いたような様子でゆっくりと顔を上げていた。
どうやらこの場所を通る旅人に片っ端から声を掛けていたらしい。おそらく返答が得られたのがこれが初めてだったのだ。
確かに、こんな村のいち住人と見られる老人の願いとやらをわざわざ聞いてやる利点が旅人には無い。もう少し東に進めば辺境伯領に入るし、西に進めば港街スイストンだ。立ち寄る理由がそもそも無いのである。
けれど今回ばかりは老人の努力が実ったと言わざるを得ない。こうしてやってきたのが教会の人間だったのだから。
「おお、おお。話を聞いてくださいますか!」
「俺たちも目的があって旅をしている。出来ることは限られているが、それでも良ければ話を聞こう」
「構いませぬ。ささ、どうぞこちらへ」
よろよろと立ち上がった老人が村の奥へゆっくりと歩いて行くのを、私たちはそれぞれ顔を見合わせてから追いかけた。
着いて行った先にあったのは、他と同様に壊れかけた小さな家である。屋根は低く二階も無さそうだ。
魔術でも使おうものなら一発で吹き飛んでしまいそうなその家の扉を潜ると、そこには少女がいた。
「お爺ちゃん?今日は早いね……って、あれ?」
歳の頃は私と同じくらいか。身長は私より少し高く、けれど随分と痩せ細っている。貧しい暮らしなのだなと一目でわかる容姿だった。
少女はぞろぞろと入ってきた見知らぬ旅人たちにまず驚いていたようだが、すぐに両手を合わせてぱぁっと嬉しそうにその表情を輝かせる。
「お客様なんて久しぶり!」
その明るさに場の空気は一気に和やかなものへと変化した。
その少女の名はリランと言うらしい。
リランは爺さんに言われて家中の椅子をかき集めてきた。そうして部屋の隅にあった小さなテーブルを移動させそれを囲むように椅子を置いていく。統一感の無い椅子が六脚並べられ、促される形で私たちはそこに腰掛けた。
しかしこれでは一人座れず余ってしまう。そう告げれば、リランは自分が立っているから大丈夫と言って笑うのだ。それはそれで気まずいものがある。だがら私はちょいちょいとリランを手招いて、一番大きい椅子に二人で詰めて座る事にした。子供の体にはちょうどいい。
「それで、あなたたちの願いって?」
キリリとした表情を浮かべたネルイルが問う。
この手の話は教会の管轄だ。だからこの場は兄妹に任せようと思い私は黙って話を聞くだけに努めた。
隣に座ったリランが自分よりも背の低い子供を興味深そうに見ているようだが、なんだか面倒そうな気がしたのでサッと目を逸らしておく。
そんな中、ボルと名乗った爺さんはぐるりとこの場にいる全員の顔を眺めてから話を始めた。
「実はこの村は、度々人が消えるのです」
「人が消える?怪奇現象が起きるとでも言いたいのか?」
「いえ、おそらく何かの魔物の仕業かとは思うのです。夜中に怪しい光を見たとの報告もありまして」
「夜中に怪しい光……レイスが棲みついているのかも」
レイス。それは人間の魂や思念が実体化した言わば幽霊のようなもの。見た目はかろうじて人間だとわかる灰色の煙のようだとの記述を私も読んだ事がある。
けれどレイスは魔物に比べると危険度が低かった。攻撃性のある個体は珍しく、何もせずただ一箇所に留まっている場合がほとんどであるからだ。そうしていつしか消えて行く。レイスとはそういう存在だった。
しかし人を惑わし連れ去ってしまうという事例も無くはないので、軽視はできないと言ったところか。
ボル爺さんの言う願いとは、この事件の解決を望むというものだった。
「そうだな。とりあえず一晩くらいは様子を見てみるか」
ここまで来れば辺境伯領まで馬であと五日ほど。一晩くらいの足止めならあまり変わらないだろうし、そのアスハイルの言葉には全員が頷いた。
ボル爺さんの家は今集まっているこの部屋と、奥に小さな倉庫と小部屋が一つずつ見えるだけの簡素な作りである。奥の小部屋には古びたベッドが見える。枕元の小さなテーブルには木の器にその辺で摘み取ったような花が飾られていた。
今いるこの部屋には壁と一体化した小さな暖炉があって、料理に使っているのか鍋が中にかけられている。二人以外に人気は無く、どうやらこの家には爺さんとリランの二人で暮らしているのだなと一通り見渡した私は思った。
「お話終わった?」
レイスだとか人が消えるだとかの話はどうやらリランには興味が無かったらしい。
話が途絶えた事で身を乗り出した少女に爺さんが頷くと、またぱぁっと顔を輝かせて座っていた椅子から飛ぶように降りる。そうしてなぜか私の腕を掴んで引っ張るのだ。
「ねぇ、あなた名前は?」
「……エル、だけど」
「エル!」
なんだか嫌な予感がする。ぐいぐいと腕を引っ張られて椅子から降りた私は、思わず顔を引き攣らせていた。
「一緒に遊びましょう!」
無邪気な子供の悪意のない笑顔。こんな事は当然初めてで、どうしたらいいのかわからず見上げた仲間たちはどこか微笑ましそうに笑っていた。
「まだ明るいし、いいんじゃないかな」
「たまにはエルもお友だちと遊んできてもいいと思いますよ!」
「同年代との付き合いは大事よね」
「暗くなる前に帰ってこいよ」
この私に普通の子供の相手が務まると思っているのだろうか。
誰一人引き留めてくれない状況に私はそのままリランと共に外へ遊びに出かける事になったのだ。




