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放浪のエル  作者: ゆう
第三章
70/108

六十八



 シンディと共に宿に戻ったのは、すっかり日が落ちて外が暗くなってからだった。

 

 借りているのは二人部屋を二つ。ポロの村と同じく私にはシロがいるのでベッドは必要ないのである。部屋は男と女で二人ずつに分かれて使っているけれど、今だけは全員が同じ部屋に集まっていた。



「アスハイル」



 ベッドに腰掛けて本を読んでいた男の名を呼ぶと、ようやくその赤い目が私を捉えた。

 怒っているのか、呆れているのか。感情の読み取れない目に一瞬怯む。なんだか街の外で魔物と対峙している方が楽な気さえしてくるからアスハイルのこの目はどうにも苦手だった。



「…………悪かった」



 頭を下げる。

 正直なところ、こうして謝ったとしても結局私は変わらないと思っている。私は自分で決めた道を進むと心に決めているし、誰かに言われて考えを変えるのは一番嫌いなことだから。

 だから私は謝った後に「悪い」ともう一言だけ付け加えた。

 私を想ってくれたことは本当に有り難いと思っている。だからこそ、その想いを蔑ろにしてしまうことを謝りたかった。


 

 そうして頭を下げてしばらく経っても返事は返ってこないままで、やっぱりダメかとゆっくり顔を上げるとアスハイルは口を曲げてわかりやすく怒っているようだった。



「……そこ座れよ」


「え……あ、はい」



 顎で雑に示されたのは向かいのベッドだ。こっちはルトが使っているものなので奥に本人も座っているのだが。そう思っても断れない雰囲気にルトの許可を得てからアスハイルと向かい合うように腰掛ける。



「俺は別に怒ってるわけじゃねぇんだよ」


「どう見ても怒ってる……」



 目付きも口元も声のトーンも、更にはその雰囲気も。全身で怒ってますと表しておいてそれは無いだろうと思うのだが。ついつい体を縮こまらせてしまうのは動物の本能だろうか。


 そりゃ私が全面的に悪いことくらいわかっている。だから早く怒るなら怒れ。そうして大人しく待っていても一向にそれはやってこない。その代わり。



「エル。お前、碌な環境で育ってないだろ」



 そう、言われて。

 時が止まったような感覚に陥った。


 ピタリと動きを止めた私に何を思ったのか、アスハイルは捲し立てるように言葉を続ける。



「辺境伯家の長女だったか。前妻の子っつってたな。弟ってのは新しい母親の連れ子か?折り合いが悪かったか」


「…………さい」


「ああ、お前を殺しに来たのは専属メイドだった奴だとも言ってたな。あんな奴が近くにいたことにも気付かなかったのか」


「……る……さい、な」


「あの辺境伯んとこに女の子供がいるなんて聞いたこともない。死んだ事になってるって言ってたな。事故にでも巻き込まれたか?それとも――売られたか?」


「――うるさいな!!!!」



 思わず怒鳴り返していた。座っていたベッドから立ち上がって、荒れた呼吸もそのままに。

 

 けれどすぐにハッと我に返って顔を逸らして口を噤む。落ち着け、と自分に言い聞かせて、もう一度ベッドに座り直した。



「………………悪い」



 一言謝って浅くなった呼吸を整えようと静かに深呼吸を繰り返していると、それを許さないとでも言うように今度はアスハイルが声を上げた。



「謝るな!!怒れよ!!辛けりゃ泣いたっていいだろうがお前は!!!!」


「っ!」


「ガキのくせにそんなすました顔してんな!!!!」



 息を飲む。


 顔を上げると、やっぱり怒った顔のアスハイルがじっとこちらを見下ろしていた。けれどその矛先は私ではないのだと今更気付く。


 

 胸の奥から何かが溢れ出しそうな感覚があった。思わず胸の辺りの服を両手でぎゅうっと握りしめる。ダメだダメだといくら言い聞かせても込み上げてしまいそうなものがある。


 だから、私はあの決意を口にした。誰にも言うつもりなんて無かったけれど。今言わないと全てが崩れてしまう気がして。



「もう泣かないって、決めたんだよ」



 あの時、私は死ぬはずだった。


 死への恐怖は凄まじいものだった。


 安堵と共に溢れ出した涙はしばらく止めることができなかった。


 だから、私は決めたのだ。


 この命を無駄にしたくない。もう二度とくだらないことで散らしたくない。誰にも脅かされたくない。

 

 泣くのはこれで最後にしよう。これからは身も心も強くなろう。いつか本当の最期を迎えるその時に自分を誇りに思えるように。



「だからこんなことで、引っ掻き回されて、たまるか……!」



 背筋を伸ばす。胸を張る。心に巣食っていたもやもやすら吹き飛ばすように、胸に手をやり声を張り上げる。



「――私はエルだ!!」



 シロに貰った新しい名前。

 相応しい生き方をしたいと思った名でもある。


 アリシエルはもういない。いつまでもあの頃の感情を引きずるな。私はエルだ。そうだろう!と私は誰よりも自分自身に言い聞かせる。

 


 過去は変えられない。どれだけ願っても、羨んでも。この世界は次元を超えた全く別の世界でもないのだから、起きてしまったことはもう変わらない。

 

 ならば私がやるべきは、うじうじと悩んで泣く事ではないはずだ。


 そう思った途端、沸々と湧き上がってくる怒りにも似た感情があった。それに突き動かされるように私は拳を握りしめる。



「そもそも!跡継ぎとして育てたくせに!外で女と子供まで作ってあの人が死んだ途端再婚とかふざけてんのか!こっちは街中に置き去りにされるし奴隷商に売り渡されるし死にかけるし!あんな奴らを家族だなんて思う必要がどこにある!!」


「お、おお……」


「使用人共も同罪だ!散々放っておいた挙句簡単に買収されやがって!ミリアだけは良いやつだって思ってたのになんなんだよあれ!いっそ屋敷ごと無くなってしまえ!!」


「おお……」


「あの人はなんでっ!……なんで、」



 ――おとこのこだったら、よかったのに……



「死ぬ時くらいもっとまともなこと言えよ……」



 はぁ。とため息をひとつ。


 アスハイルの言う「怒れ」とは違ってただの愚痴になってしまった気はするが、確かに吐き出したら胸の内にあったもやもやも消えて妙にすっきりとした気分である。

 やっぱり思ったことは口に出すべきだな。溜め込んでも良いことはない。


 

 そうしていつもの調子を取り戻した私とは裏腹に、目の前のアスハイルはもちろん成り行きを見守っていた他三人も顔を曇らせているようだった。

 


「どうかしたのか?」


「どうかしたのかって、貴女ね……」


「思ってた以上にとんでもないもんが出てきたな……お前、よくそんな環境でそこまで逞しく育ったな?いや、だからこそなのか……」



 確かに普通の子供だったらあんな環境でまともに育つかどうかは怪しいところだ。だが生憎ここにいる私は普通の子供ではないのである。

 

 前世の記憶を持たない、精神だけを引き継いだ転生者。


 自分で意識したことはあまり無かったけれど、この事実は確かに今の私という存在を形作っている。



「まあ、何はともあれ、本音を引き出す為とはいえ酷い態度取って悪かった」



 そう言って伸ばされた手が私の頭を撫で始める。大きくてゴツゴツとした大人の男の手だ。私の頭くらい掴めそうなそれは、優しく髪をくしゃくしゃにする。



「…………別に。私も、心配かけて悪かったな」



 これからも変わらないと思うけど。そう言えば、それでもいいと返ってきた。何か起きた時は周りがどうにかすればいいのだ、と。

 

 それは私が人に迷惑をかける前提で言ってやがるな。

 そう思って、抗議しようかとふと見上げたアスハイルの目は、なんだかネルイルを見る時のそれと重なって見えた気がしたのだ。


 

(私は手のかかる妹ってか。……物好きなやつ)



 けれど、嫌ではない。


 私はしばらく大人しく撫でられながら、胸の奥に溢れてくる温かいものを噛み締めていた。









 

 





 すよすよと寝息を立てる子供を白い鳥の上に乗せてやる。

 この幻獣を除けばおそらくここにいる誰よりも強い力を持った子供である。けれど持ち上げた体は小さく、そして心配になるほどに軽かった。



「なあ、幻獣フェニックス」



 羽毛に埋もれた途端安心したように顔を緩めたこの子供にとって、この場所がどれだけ居心地のいい場所なのかは見ればわかる。体が冷えないようにという配慮なのか翼で体を覆ってやる幻獣も、この子供を大切にしていることも。

 だからこそ、確認しておきたいことがあった。



「お前、こいつをどうする気だ」



 エルの使う魔術がただの魔術でないことはわかっている。人の使う魔術にはあそこまでの自由度はないからだ。


 異常な速度と量で生成される白い針。明らかに可笑しな威力を出している身体の強化。あらゆる術式に並以上に干渉する魔力。死の淵から人を呼び戻すほどの再生力。

 どう考えても人のそれではない。ならば常に側にいるこの幻獣のものであることは最早疑いようがないではないか。

 

 いったいどういう仕組みかは知らないが、そんなものを無条件に使わせているとも思えない。

 

 何かあるはずだ。

 エルとこの幻獣の間にだけ存在する何かが。



「何故そこまで気にかける」


「子供を心配して何が悪い」


「エルが普通の子供ではないことくらいわかるだろう」


「それでも」



 心配になる。

 戦闘能力は申し分ない。決闘を挑んだ時から既にその力の差もわかっていた。エルに真っ向から勝負を挑んで敵う奴がこの国にいるのかと問われれば、きっと首を横に振るくらいには。けれど。


 少しでも側にいればわかる。危険だとわかっていても必要とあらば迷わず飛び込んでいってしまうその危うさ。

 そして、それを支えているもの。



「お前はどうしてエルの側にいる……?」



 勇者なんかよりもずっと貴重で、情報も少ない幻の魔物。人前に現れたことは何度かあると記録には残っているが、こうして特定の人間の側に付いているなんて聞いたこともない。


 この状況が、明らかな異常事態。


 それをわかっているのかいないのか、まるでこちらを嘲笑うかのように幻獣はふいとそっぽを向く。


 踏み込む資格がない。そう言われているようで、俺は思わずギリリと奥歯を噛み締めていた。



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― 新着の感想 ―
ぐっと来ますね……。 エルの危うさと信念が熱い回だ……。
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