六十七
「ところでお前は昨日の今日で大丈夫なのか?」
剣から手を離して問えば、サフも興味を失ったようにふんと顔を逸らしてしまう。死んだ姉との再会なんてこっちもこっちで気分の良いものではなかっただろうと思ったのだけど。この様子なら大丈夫そうだな。
「……アルの様子は?」
「見た限りは元気そうだったよ」
「それならいい」
サフはあの兄妹をアル、ネル、とそれぞれを呼ぶ。ネルイルもフィアリアをフィアさんと呼んでいたし、愛称で呼ぶ合うくらいには親しい仲ということだ。
アスハイルの様子を聞いたのも、心配しているからなのだろうな。
「そういうお前は謝ったのか。あの人相当気にしてるだろ」
「う……」
私は思わず口をつぐんだ。
サフが言っているのは当然子爵邸でのことである。私はあれ以降アスハイルと正面を切って話すのがなんとなく気まずくて結局未だに謝れていない。
そんな私の様子におおよその察しがついたのかサフがハッと笑うのがわかった。一瞬苛立ちは感じたものの、反論できる要素が一つも見つからず今度は私が顔を逸らす。
相談もせず行動したこと。頼らなかったこと。
きっとアスハイルが気にしているのはこれだろう。
しかし、それならばいったいどうしろというのだ。
私は今までずっとそうして生きてきた。物心ついてからずっとだぞ。今更考えを改めろとでも言うつもりか。無理に決まっている。
「……わからないんだよ」
私にはダメなことをダメと言ってくれる人がいなかった。もちろん貴族としてのマナーや勉学、剣や魔術は教わったさ。けれどそれだけだ。あとの時間はほとんどが屋敷の書庫に篭っていただけだった。誰もそれを咎めなかったから。
だから、私の行動一つをあんなにも気にする奴がいるなんて思ってもいなかったんだ。今あいつが何を考えているのかすらわからない。
「へぇ、その辺は見た目通りの子供なんだなお前」
「その辺も何も子供だよ私は」
何も知らないただの子供。人の心も。家族の愛も。私は知らないことばかりである。
「まあ、なんでもいいが早く謝っとけよ。俺は仕事に戻らせてもらう」
「うん……ってお前、仕事中断してまでわざわざ私の話に付き合ってくれたのか。意外と優しい奴なんだな」
「うるせぇ。やっぱ殺っとくか」
「照れなくてもいいのに」
「だから!やめろって二人とも!」
再び不穏な空気になったところをまたもやゴートに止められて、サフは大人しく仕事に戻っていった。
うん。やっぱり気は合いそうにないけれど、私とサフはどことなく似ている気がするな。
そうして少しやつれた気もするゴートと私がその場に残ったわけだが、この男には他にも話さねばならないことがあったのを不意に思い出した。
「ゴート、金のことなんだが」
「えっ」
当然最初の取引きで約束した金のことである。昨夜の出来事で私も忘れかけていたが、このまま踏み倒されては困るというものだ。
元はと言えばあれがきっかけで今アスハイルとも微妙な空気になっているのだ。貰うものはきっちり貰っておかないとこちらとしても気が済まない。
「私を売って得るはずだった金額だ。忘れたとは言わせないぞ」
「わ、わかってるって!」
とはいえそんな金がポンと用意できていたら人身売買になど手を出していないことくらいはわかっている。
ゴートには海を渡る船の方も任せてあるし、その金の受け取りは私が次にこの街に来た時ということにしておいた。
そんなやり取りをしていた時、ふと名を呼ばれた気がして振り返るとそこにはローブ姿のシンディがいた。
私たちが宿を出た頃はまだネルイルと紅茶を片手に話していた姿を見たが、どうやら彼女も商売の為にこうして宿を出てきたらしい。ルトに私が港へ向かったことを聞いてここまでやってきたのだそう。
「この近くに小さなステージのある酒場があるんです。出演許可は頂いているのでこれから一緒に行きませんか?」
「お、そりゃキャロンの店だな。飯も酒も美味い良い店だぜ」
「へぇ。この街の食事も気になるし行ってみようかな」
昨日も路上の店は結構回ったけれど、街の酒場となるとまた違ったものがあるかもしれない。私はそんな食欲につられてシンディと共にその酒場に行くことにした。
港から歩いて少しのところ。大通りからは外れた細い道の奥にその酒場はあった。
入り口も分かりづらくこんな場所に人が来るのかと思ったが、中に入れば思っていた以上に広い店内に少し驚く。まだ外は明るい時間だが酒に酔った男たちがテーブル席のほとんどを埋めていた。
これだけ酔っ払いが多いにも関わらず酒の匂いがそこまで気にならないのは、店内の換気が上手くされている証だろう。
けれど、非常に喧しく熱苦しい。見渡す限り体格の良い背の高い男たちばかりで、体の小さな私にとっては巨人の巣に飛び込んだような錯覚すら覚えるほどだった。
「おや。連れってその子かい、シンディ」
「はい!エルです!」
なんとなくシンディの服を掴んで逸れないように店の奥へと進んでいた私は、どうやらただの子供として店員の目には映ったらしい。両手に木樽のジョッキを器用に六つも持った年配の女が通りかかりに声をかけてきた。
私のことは事前に伝えていたようで、こんな店に子供が紛れ込んでいても女に驚いた様子はない。続く会話の中でキャロンとシンディが呼んでいたので、その女がこの店の店主キャロンで間違いはなさそうだった。
持っていた木樽のジョッキを届け終わり戻ってきたキャロンに連れられて厨房近くまでやってくると、私は空いていたカウンター席に持ち上げられて座らせられる。そんなシンディの何気ない行動に、我ながら子供っぽいなと思いながらも私はそれを大人しく受け入れた。
「それじゃあエル。ディは行ってきますので、音楽の方はお願いします!」
タタッと人の間を軽やかに抜けていくシンディは、そのまま店の中央にある迫り上がったステージの上にあがる。
どうやらこの店のステージはゲリラ的な使われ方をしているらしい。そこに現れた人物に酔っ払いどものヤジが飛ぶ。期待をされているというよりは揶揄いが大半を占めているようだが、シンディにそれを気にする様子は微塵もなかった。
「ここで客から金を取るには実力がなきゃね。あの子にそれがあるかどうか」
はいよ、と差し出された木樽のジョッキには明らかに酒ではないものが入っていた。それを有り難く受け取って一口。口いっぱいに広がったのは、甘酸っぱい爽やかなオレンジの味。
「うま」
「スイストンの潮風にも負けないオレンジさ。搾りたてだから美味いだろう!」
かっかと大声で笑ったキャロンはなんとも豪快な女だった。こんな男ばかりが集まる酒場の店主を務めているだけのことはある。
好きなもん頼みなと今度は品書きを渡されたので遠慮なく幾つかを注文しながら、私は先程の言葉に返答をする。
「シンディなら大丈夫だろ。おお、このバーガーってやつ食べてみたいな」
「随分と買ってるんだねぇ」
「見ていればわかるよ」
私はふとステージ上に堂々と立っているシンディに目を向けた。
準備は整ったようなので、リガンタの街でも使った幻影魔術を展開させる。白く縁取られた鍵盤がパッとシンディを取り囲むように現れると、途端に騒がしかった店内から人の声が消え失せた。
楽しい歌を、と。
スイストンの街へ来るまでにシンディが何度も口ずさんでいた歌がある。
彼女が昔見た旅芸人の踊り子が使っていた曲がずっと記憶に残っていたらしい。それを例のベールを通してシロの魔力で呼び起こす。するとシンディのイメージ通りに鍵盤は自ずと動き出すのだ。
「こりゃあすごい!やるねぇ!」
二つに分かれたベールを手に音楽に合わせて舞う踊り子。その華やかさにわっと盛り上がる店内の空気。
それを見た店主キャロンは終始機嫌が良さそうだった。
「お嬢ちゃん、良かったぜ!」
「ありがとうございます!」
上機嫌で店を出ていく男たちが皆シンディに声をかけたり手を振ったりしていくのを横目に見ながら、私は運ばれてきた料理をじっくり味わっていた。
外の店を回った時も思ったが、港街なだけあって魚料理がとにかく美味い。種類はわからないが白身の魚を揚げたものを野菜と一緒にパンに挟んだバーガーなる食べ物は本当に美味くてびっくりした。
旅の途中では流石に揚げ物は食べられないので、こういう機会にしっかり食べておかないと。
「エル、元気出ましたか?」
ステージを降り、私の隣の席に座っていたシンディがふと覗き込むようにこちらを見た。
どうやら私の様子がおかしいことに気が付いていたらしい。子爵邸での一件後、私とアスハイルが目も合わせないことも気にしてくれていたようだ。だからこんなところに連れてきて気分転換をさせてくれたのだな。
なんだか悪いことをしたな。そう改めて思いながら私は残っていたオレンジの果汁を飲み干した。
「宿に戻ったら話してみるつもりだよ。心配かけて悪かった」
「いえ。詳しいことはわかりませんが、エルはもっとわがまま言っていいと思いますよ。どんなエルでもディは着いていきますから!」
「結構好き勝手やらせてもらってるよ」
思わず口元が緩む。
私の仲間たちは形は違えども私を想ってくれている。それがどうしようもなく嬉しくて、これ以上ないほど有り難いことでもあって。
当たり前ではないと知っているからこそ今のこの気持ちを忘れてはいけないな、と私は胸の奥にしっかりと刻みつけておくことにした。




