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放浪のエル  作者: ゆう
第三章
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六十三



 どうして騎士団の人間がこんなところにいるんだ。


 私は咄嗟に剣を抜き、素早く振り下ろされた相手の剣を受け止める。

 その威力は手足を強化しているのに押し負けそうになる程で、思わず剣の先を下げることで滑らせてやり過ごした。けれど流れるような動作ですぐさま追撃が来てしまう。

 こいつはやばい。そう思って、私はまた咄嗟に魔力で生成した針を、男のいる場所目掛けて全力で打ち込んだ。それを全て剣で落とす姿を見ながらも、ようやく距離を取ることに成功する。


 持ち前の俊敏さを活かしてそのまま駆け寄ったのは、今の攻防で完全に腰を抜かした領主ダクトルの側である。



「動くな」



 恐怖で震えるだけとなった男の首元に剣を突き付けた。動けばこいつの命はないぞと示してみるが、正直こんなことする予定では無かったので私も内心少しだけ焦っている。まさか騎士団の人間がいるとは夢にも思っていなかったので。

 これじゃあただの悪人だ。いや、侵入者も十分悪人なのだけれども。



「目的はその男の命か」



 剣を手に姿勢を正した青い髪の騎士が言う。

 違うと言っても信用されなさそうな雰囲気に、私は一瞬考えて話をすり替えようと結論を出した。しかし、これがいけなかった。



「……ここに、氷の魔術師が雇われていたと聞いた」



 存在をチラつかせれば何かしらの情報は話してくれるんじゃないかと思ったのは本当だ。あわよくばその魔術師を解雇した理由も聞けるんじゃないかと。

 それさえ聞き出せれば他に用はない。あとはゴートを連れて逃げるだけである。

 

 けれどその瞬間、部屋の空気が一気に凍りついたのがわかった。


 動けない兄妹も、剣を突きつけたダクトルも、そして剣を手に佇む騎士の男も。

 

 氷の魔術師。どうやらそれは、この場にいる人間たちにとっては重要な存在で、他人が不用意に触れてはならない領域の話だったらしい。今更気付いても遅いのだが。

 


 一歩。踏み出した騎士の殺気が一気に膨れ上がるのを感じた。それが私に向いているうちはまだいいが、部屋の外にいるゴートに向けられたら庇えるかどうか。

 こうなればなんとしても奴の注意を私に向け続けなければならない。


 何かを言おうと口を開きかけて、私は思わずそのまま押し黙った。剣を持つ騎士の、微かに震える手を見てしまったから。

 


「……あの人は、もう、いない」



 ああ、そうか。

 男の言葉に気付かされる。


 この凍りついた空気の意味も、ダクトルが解雇したと語った理由も。


 

 本人が既にこの世にいない。


 それが全ての答えだった。



 まだ多少の疑問は残るが、その事実さえわかってしまえばこれ以上ここに留まる理由も無い。

 さっさとゴートを連れてこの場を離脱したいところだが、目の前の騎士はそれを簡単に許してくれるとは思えなかった。


 戦うしかないか、と私はダクトルに突き付けている剣を改めて騎士に向けたその時。張り詰めた空気を壊したのは動けないはずのアスハイルの声だ。



「エル!そいつを押さえておけ!」


「えっ」


「ちょっ、お兄ちゃん!?」



 パリンッと魔力の針が壊される音がした。


 あいつ、素手でシロの魔力を叩き割りやがった。

 見ればドバドバと両手から血を流しているアスハイルが何事もなかったように杖を拾ってこちらへやってくる。

 

 せっかく巻き込まないように足止めしていたと言うのに、私の名前を呼んでしまっては無関係を装うのも無理がある。

 私は言われた通り再び剣をダクトルに突き付けながら、フードの下から呆れた目でアスハイルを見上げていた。なんとかしてくれるんだろうな、とそんな気持ちを込めて。



「おい、おっさん。こいつは俺たちの協力者だ。これ以上怖い目見たくなかったら洗いざらい吐いてもらおうか」


「ヒィッ」



 なるほど。この状況を上手く利用して領主の悪事を暴こうって魂胆か。それなら乗らない手はないな、と刃を更に近付けるとまたもや短い悲鳴が上がる。

 

 それにしても、私が本当にこいつの命を狙って来た不届者だとは思わなかったのだろうか。信用されているのだと思えば嫌な気はしないもののなんだかむず痒い気持ちになった。

 私がそんな事を思っている間にも、突き付けられた剣に恐れ慄いたダクトルは侵した罪を次々と告白し始める。

 

 民から徴収した税金の横領。奴隷商との繋がり。身寄りのない子供の人身売買。

 領主にまでなっているのだからそれなりに仕事はできる奴なのだろうが、その能力の一部は犯罪を隠す方へと使われていたらしい。火のない所に煙は立たないと言うが、私も聞いたことのある黒い噂はどうやら事実だったらしい。

 

 今まで停滞していた状況がすんなりと動いた事にアスハイルは満足そうだった。







 




「それで、エルはなんでこんなとこにいるんだ?保護者はどうした」


「お前あの二人を私の保護者だと思っているのか?」


「こっちが聞いてるんだが?」



 怒っている。珍しくアスハイルが怒っている。

 さっきは私を上手く使って領主の悪事を暴いたと言うのに。話し終えたダクトルに睡眠の魔術と見られるものをかけたと思ったら、今度は私が標的になってしまった。


 わざわざ目線を合わせるようにしゃがんだアスハイルと目が合うと、なんだか急に子供に戻ったような気持ちにさせられる。いや、子供なんだけども。



「まぁ、外にいる男となんか関係があるんだと思うが」


「あっ、そうだあいつ」



 忘れていた。思わず扉の方を見ると、青い髪の騎士に剣を突き付けられたゴートが降参の意を示して部屋に入って来るところだった。



「わ、悪い、お嬢……」


「お嬢って……お前、何やったらそうなるんだよ」


「襲われたのは私の方だけどな」


「襲われた?」



 キッと鋭くなったアスハイルの視線にゴートは竦み上がっていた。海の男なんかよりこっちの方がよっぽど迫力がある。

 とはいえゴートの罪は私たちの間で取引きに変わっているので、ここは正直に事情を話す事にした。



 漁師らが困っている海の魔物について。それを退治していた氷の魔術師がいたこと。その派遣が突如途絶え漁師たちが不満に思っていること。このままでは漁への影響が出てしまうこと。私はゴートと取引きをし、魔術師の派遣が止まった理由を探りに来たこと。


 私はネルイルを拘束している針を消したり、アスハイルの手の傷を治療しながらそれらを語っていった。

 その後は吹っ飛んでいた長椅子を二つ元の位置に戻して兄妹の向かいに私とゴートが座り、青い髪の騎士はまた扉の横に立つ。眠っているダクトルは床に放置されたままだ。



「確かに正面から行っても話すら聞いてもらえねぇだろうがよ……俺たちに相談するとか、なんかあるだろ」



 俺たちはそんなに信用できないか、と問われ、私は何も言えずに黙る。


 信用していないわけじゃない。

 けれど、私は人を頼ること選択肢に入れないことがある。何もかもを自分の力で解決しようと動いてしまう。

 なぜなら、本当に困った時に頼れるのはやっぱり自分しかいない、とそう思っているからだ。自分の行動で生じた責任を負うべきは私一人だと思うからだ。


 黙ったまましばらく経った頃、先に折れたのはアスハイルだった。吐き出されたため息は、諦めか、失望か。それは私にはわからない。



「……まあいい。漁師の事情はわかった。氷の魔術師についてだったな」


「待って。それはあたしから話させて」



 何を思ったのか割って入ってきたネルイルは氷の魔術師について話し始めた。それは、決して私の知らない話でもなかったのだ。

 


 ――フィアリア・ストック


 王都の教会に所属する氷を専門に扱う魔術師だった。

 

 晴れた空のような青く長い髪が特徴的な、青い瞳を持つ女性。歳はアスハイルの二つ下。王都に屋敷を持つストック伯爵家の長女である。その家名は私も聞いたことがあった。



「フィアさんは二年前、悪魔と戦う為に王都に呼び戻されて、それで……」



 命を落としたのだ、と。


 ネルイルはそこまで話してチラリと扉の横に立つ騎士を見る。そう言えば今聞いた特徴はこの男と同じものだ。空のような青い長髪に青い瞳。こうして落ち着いたところでようやく見えたその顔はだいぶ若い。



「彼はサフ――サファイア・ストック。フィアさんの弟よ」



 サファイア、という宝石の名を持つ青い騎士。紹介されて改めて目をやると、物言いたげな鋭い視線が返ってきた。明らかに不審がられている。

 

 まぁ、不法侵入してきた怪しい子供が知り合いと親しげに話していたらこうもなるか。一応兄妹の協力者という事になっているので剣は収めてくれたようだが向けられる殺気はそのままだ。



「サファイア、私はエル。突然悪かったな」


「……その名は好かん。サフでいい」



 おお、意外と話してくれる。と思ったのだが、すぐにふん、と顔を逸らされたのでそれ以降は口を利いてくれそうになかった。



 それにしても、ここに来て悪魔か。と私はクランデアの街での出来事を思い返していた。


 私が悪魔を見たのはあれが初めてだったわけだが、聞いた話では二年前くらいから王都の近くで出没していたという。街の兵士や並の冒険者では苦戦するほどの魔物である。教会の魔術師だろうが決して楽な戦いではなかっただろう。


 そんな戦いの中で死んだ、氷の魔術師フィアリア。


 

 ダクトルが漁師たちに魔術師を解雇した理由を告げず、直接雇うならと払える筈もない大金を提示したのは何故だったのか。

 本人の口から聞いたわけではないが、一応今まで領主として街を護ってきた男だ。これだけ栄えた街を維持していたのだから、それなりに民を思う気持ちもあった筈なのだ。だからこそ、なんとなくわかる。


 諦めさせる為だ。

 


 全てを理解したゴートは、私の横でしばらくの間静かに項垂れていた。



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