六十一
港街スイストン。
検問所を通過して街に入ると、途端にざわざわとした騒がしさに包まれた。
それほどに人が多く活気がある。やはり港や市場の存在が大きいのか、どこを見ても商人ばかりであちこちに店が構えられていた。
「俺たちは領主のところに行ってくるからな」
「みんなはその間街を見ていてね」
馬を預けた後兄妹とはすぐに別れ、私たち三人はその足でこの街にある商人ギルドを訪れる。ルトとシンディも一応は商人なのでこの街にいる間だけでも店を開こうということになったのだ。
商人ギルドに登録する商人はこの国でのある程度自由な商売が許されている。どこかに建物を建てて商売するとなれば申請も必要だが、旅をしながらの商売はギルドカードさえあればどこでも可能だった。
その代わり売り出す物の相場は知っておく必要がある。極端な価格の上げ下げは信用問題にも関わるし、最悪ギルドからの除名も有り得るという。
そんなわけで本来ならこうして商人ギルドを訪れる必要もないのだが、この街スイストンは例外だった。
少し歩いただけでもわかるほどに商人の数がとにかく多い。放置しておけば更に増え、街の景観すら乱しかねない。
だからこそこのスイストンで商売をするためには、商人ギルドで発行される許可証が必要らしく、今回ギルドへ足を運んだのはそれを得る為だった。
「わ……!人がいっぱいですね!」
「うん、これは時間がかかりそうだ」
この街の商人ギルドの建物は他と比べてもかなり大きく、それだけ中の受付やスタッフの数も多かった。
しかしそれでも長い列があちこちにできているようで、私は思わず二人の後を追って進んでいた足を止めてしまう。
「私は外を見てくるよ」
私は商人でもないから許可証は受け取れない。この人混みの中わざわざ列に並ぶ必要もないだろうと思い、二人とは一旦そこで別れた。
そうして再び街へ繰り出した私は、店を巡りながら街の南を目指している。
右手には魚の串焼き、左手にはゲソ焼き。港街なだけあって魚介を扱う店がやたらと多いのが印象的だった。私はそれを片っ端から巡り、食べ歩き、一通り食べ尽くした頃ようやく街の南の端に辿り着く。
「おお、これが本物の海……!」
街に入ってからずっと漂っていた潮の香り。それがここに来てより一層強くなっていた。
街の喧騒が嘘のようにこの辺りに人はほとんどいない。だからか微かな波の音がそのまま耳に入ってくる。少し強い海風が被っていたフードを後ろへ落とした。
どこまでも続く青い海。陽の光を浴びて輝く水面。遠くに浮かぶ船と空を飛び回る鳥の声。ダンジョンで一度は見ているが、あれは作り物だったので本物の海を間近で見るのはこれが初めてだった。
「この向こうにも別の陸地があるんだよな」
「行ってみたいか?」
「そのうちね」
きっとシロにお願いすれば連れて行ってもらえるのだろう。けれどそれはこの大陸でやることが無くなってからでも遅くはないはずだ。
「そのうち、一緒に行こうよ」
海の向こう。そこにはどんな世界が広がっているんだろう。私が行きたいと言えば、ルトやシンディも着いてきてくれるだろうか。私は家も名も捨てた身だからどこへでもいけるんだけどな。そのうち相談してみよう。
いつか、みんなで行けたらいいな。
私は目の前に広がる海を見ながらそんな事を思っていた。
そんな時。
背後に迫った不快な気配に気分が一気に急降下した。
顔だけで振り返ると、子供一人が収まりそうなくらい大きな麻袋を広げてこちらを見下ろす大男が目に入る。
「チッ、気付かれちまったもんは仕方ねぇ!悪いな嬢ちゃん、これも金の為だッ!」
治安が悪い事は知っていたが早速こんな輩に出会すとは運が悪すぎる。いや、どこからどう見ても子供な私が一人で出歩いていたのだから当然だとも言えなくはない、か。
だが、悪いがこういう奴が私は一番嫌いなので。
思わず漏れ出した魔力をそのまま操作し、生成した針で袋を粉々に割く。そうしてひらひらと舞う袋だった物に何が起きたかもわからず唖然と佇む男。私は構わず強化した足で腹に思いっきり蹴りを入れた。
派手に吹っ飛んだ男が建物の壁にぶつかってドサリと崩れ落ちたていく。なんだか前とは逆の立場になったようでスッキリした気分だった。
「それで、お前たちは何」
「す、すまん、あんたがこんなに強いとは知らず……」
「質問に答えて」
しばらく気絶していた男が目を覚ますと、地面に蹲るように頭を下げてきたので私は腕を組みながらその後頭部を見下ろしていた。強面の大男が女児に謝り倒している様子は傍から見れば異様な光景だろう。
男が気絶している最中に建物の影から出てきた他の男十数人も少し離れた場所で寝ている。もちろん私が叩きのめしたので。
「俺たちは、その……漁師なんだ」
「漁師だって?」
てっきり奴隷商か売人だと思ったが、どうやら違うらしい。ここは港街。私の後ろにはどこまでも広がる青い海。漁師がいても不思議はない。
けれど、そんな奴らが金の為に子供の誘拐とは。私だったからよかったものの、普通の子供ならどうなっていたことか。私は思わず深いため息を吐き出した。
「面倒だが領主に引き渡すか……」
相手が漁師だろうが犯罪は犯罪だ。こういった奴らを裁くのも領主の仕事だろう。今ならあの兄妹も屋敷にいるだろうし、あとはその辺の兵士に任せておけばいい、と思っていたのだが、領主と聞いた瞬間に男がガバリと頭を上げた。
「それだけはやめてくれ!」
「いや、選べる立場だと思っているのかお前」
「そ、れは、そうなんだが……」
尻すぼみになっていく言葉。大男が膝を折りたたんで座り、項垂れる姿を見ているとなぜかこちらが悪い事をしているような気分になる。
私はもう一度ため息を吐いて、仕方なく話を聞く姿勢を取った。
「とりあえず事情は聞いてやるから」
そうして聞き出した男たちの事情は、少々厄介なものだった。
彼らが漁をする海にはもちろん街の外と同じように魔物が出る。そのほとんどが小型で普通の漁師でも対処可能なものらしいのだが、たまに出る中型から大型の魔物がとにかく厄介だった。彼らはそんな魔物の相手ができる力を持っていない。
では今まではどうしていたかと言えば、この街の領主――ダクトル・ダイアード子爵が雇う魔術師を派遣してもらっていたのだそう。
魔術師は王都の教会の人間で、氷の魔術を得意としていた。海での仕事も申し分なく漁師たちはその魔術師に全面の信頼を寄せていた。しかし。
「あの野郎、勝手にあの人を解雇しやがったんだ」
「解雇した?なんでまた急に……」
ダクトルは魔術師を解雇した。どんな事情があったかは知らないが、漁師たちに告げられたのはその事実のみである。それが二年くらい前のこと。
当然それ以降海で遭遇する魔物を処理できなくなり、命を落とす者や漁師を辞める者まで出てくる始末。今はまだ残った者たちでなんとか回しているものの、それももう限界に近い。
このままではこの街の名物である水産物に影響が出る。なんとかまた魔術師を派遣してほしいと領主であるダクトルに頼んでみても全く聞く耳を持ってくれない。
ならば、自分たちで直接魔術師を雇うからその手引きだけを頼みたいと告げたら信じられないような金額を提示された。
「俺たちにもそれぞれ生活がある。とても払えるような金額じゃねぇんだ」
「だから子供を売ろうってか……」
そんな重要な役割を担っていた魔術師を解雇したり、その理由を説明しないダクトルに非はもちろんある。けれど、だからと言って人身売買に手を出そうとするこいつらも大概だ。
「そこまでして続けなきゃいけない仕事だとは思えないね。魔物の対策ができないなら辞めればいい」
スイストンと言えば昔から水産物の有名な街である。それがこの街にとって大事なものだということも知っている。今街にある賑わいも、それがあってのものだろうから。
「……嬢ちゃん、魔術師だろ」
袋を切り裂いた時の事を言っているんだろう。あれは魔術ではなく魔法だが、それを説明する必要はない。
顔を上げた男が睨むように私を見る。私を魔術師だと、貴族だと思って疑わない目だ。
「俺たちは平民なんだよ。魔力も無ければ自由に使える金も限られてる。家族を護るのが精一杯だ。それでも残したいものってのがあるのはそんなに悪い事なのか」
「その為の犠牲は仕方ないって?」
「…………ああ」
大切なものを護る為に。その為ならどんな汚いことでもやり遂げる。
それは悲しくも人間の本質なんだろうな、と私は思うのだ。
「なら、私と取引きをしよう」
「…………取引き、だと?」
小さく息を吐いてから、告げる。
「ダクトルから魔術師を雇えない理由を聞き出してやる。それにお前が納得できたら、私を売って得る筈だった金額を私に払え」
「納得できなかったら?」
「その時は私がその分の金をお前に払ってやる」
別に犯罪者として領主に突き出そうとしているわけじゃない。一応人身売買に手を染めるよりはマシな申し出だと思うが。どうか。
男は一瞬疑わしげな目を向けてきたが、それでもこの提案はそれなりに価値があったらしい。
私が手を差し出すと、ゴツゴツとした大きな手でそっと握り返された。




