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放浪のエル  作者: ゆう
第三章
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五十八



 言葉も無く佇むルトとシンディを一瞥してから、血溜まりに沈む兄に泣きながら治癒の魔術を施しているネルイルの横に腰を下ろした。

 

 彼女の口元には血が流れた跡がある。シンディに杖を奪われ大きな魔術は使えずとも、己の魔力のみでこうして術を使い続けた証拠だった。両手から発せられる微かな水色の光は、ポーションを使った時とよく似ている。

 

 私はアスハイルの手を取って素早く脈を確認した。

 

 微かだが脈はある。まだ生きているのだ。おそらくネルイルがこうして諦めずに治癒を施し続けたおかげだろう。


 けれど、その魔術でもこれ以上の回復は見込めない。そんなことは彼女が一番よくわかっているはずだった。



 家の問題に巻き込んで悪かった、とか。血を吐きながらも諦めないその兄妹愛が凄いな、とか。言いたいことは幾らでもあったが、私は何も言わなかった。言えなかった、が正しいか。

 

 代わりに残っていた気力を振り絞って、アスハイルの胸の傷口に手を当てる。

 

 魔力を操作して害にならない程度の量を送り込んでいくと、足元に魔法陣が浮かび上がるのと同時に辺りに光の粒が舞い始めた。

 霞む視界ではあまりよく見えていないのだけれど、感じるその光はどこか温かくて、側にあるだけでもほっと心が落ち着いてくる。

 

 相変わらず、シロの魔法は凄い。



「な、に、これ……貴女が、やってるの?」



 アスハイルの胸の傷口が白い光を帯びて塞がっていく中、涙に濡れた震えた声が聞こえる。



「こんな魔術、聞いたこともない……いえ、それどころか……」



 それは、目の前で起きている現象に、驚きと戸惑いと少しの恐怖を同時に宿したような声だった。

 

 誰かがこれを奇跡と言ったが、魔術師である彼女からすれば得体の知れない未知の力だろう。だから、今彼女が抱いた感情も十分に理解できるものだ。



「人間に、こんなことができるわけ……」



 出来てしまうのだから仕方ない。私の力では無いけれども。

 

 しばらくして、徐々に消えていく光の中で私はふと短い息を吐く。

 

 アスハイルの胸の傷口は完全に塞がっていた。もう一度脈を確認すると、まだ弱くはあるものの先程よりはずっと安定しているように思える。


 流れた血液を戻すことはできないので私ができるのはここまでだ。


 

 そうして一先ず安堵したのも束の間。くらり、と突然世界が回る。私は座っている事も出来なくなり、気付けばその場に倒れ込んでいた。


 

 今回は体の疲労というよりは血を流しすぎた事による貧血に近い。

 なんだかシロと出会ったばかりの頃に魔力に耐えきれず繰り返し倒れていたことを思い出すようだった。あれから一年近くも経つのかと思うと感慨深いものがある。


 

 その後、どこからかルトやシンディの私の名を呼ぶ声が聞こえた気がしたけれど、結局私が意識を保っていられたのはここまでだった。











 


 ふかふかした感覚に埋もれているのに気付き、またシロの世話になっているんだなと遠慮なくゴロゴロと寝返りを繰り返す。温かくてこれ以上にない程心地よい。ずっとここにいたいとすら思う。

 

 目を閉じたままそんな子供じみた行動を繰り返す私に、呆れた声がかかるのは結構早かった。



「貴女、幻獣の背中でなにやってんのよ」


「んあ……?」



 そんな声に目を開けると、そこは兄妹の借家の一室だった。

 部屋には私と、大きくなっているシロとシンディとネルイルがいて、私が目を覚ましたことに気付いたシンディは他の二人にも知らせてくると言って退室していった。



「あれからどれだけ経った……?」


「十日よ」


「おお、また随分と長く寝たな……」



 その割には髪が伸びていない。魔力を使いすぎたことによる疲労ではなかったからか?

 原理はよくわからないが、私とシロの間で起こる現象をいちいち考えていても仕方ないことはもう知っている。


 

 そんなことよりも、シロが姿を見せているということはその正体も兄妹には明かしたのだろう。この状況でも驚いた様子のないネルイルを見れば、この十日間でそれなりに慣れた事も窺える。

 どうやらアスハイルも死の淵から脱してこの家にいるみたいだし、問題は山積みだが一先ず最悪の事態には陥らずに済んで良かったと思う。


 私はそうして改めてネルイルに向き直った。



「後でアスハイルにも言おうと思うが……悪かった。身内の争いに巻き込んでしまったみたいで」



 まさかあんなタイミングで襲撃を受けるとは思わなかった。しかも相手は魔術師との戦いに長けた実力者。おそらく専門の暗殺者だ。私自身、あんな女が身内にいた事にも驚きを隠せない。

 

 私が頭を下げるとネルイルは気まずそうに「やめて」と小さく口にした。



「謝らなきゃいけないのはこっちよ。あの術が仕掛けられていて気付かなかったなんて、教会の魔術師として恥ずかしい……」


「心当たりがあるのか?」


「ええ。と言っても、噂で聞いたことがある程度だけどね。教会でも調べてはいるんだけどわかっていることは少ないわ」


「なるほどなぁ」



 そんな力をあのミリアが持っていた。それがどういうことなのか、考えると頭が痛くなりそうだ。


 母の当然の病死。その後やってきた女と弟。明らかに邪魔な私を売り飛ばした事実。買収されていたとしか思えない御者に、暗殺者だった専属メイド。

 こうも重なると怪しさしかない。あの父はいったいどこまで関与しているのだろう。



「私たちはあの力についても調べなきゃいけないの。それで……関係者として、貴女にも話を聞きたいと思ってる」


「うん。まあ、そうなるか」



 襲撃してきた女の情報は現状私だけが握っているのだ。教会の人間としてネルイルたちがこの件に絡んでくるというなら、私は話さねばならないだろう。

 家の問題と片付けるには、事が大きくなり過ぎている。


 はぁ、と思わずため息をつくと、ルトとアスハイルを連れてシンディが戻ってきた。



「お。元気そうだな」


「うん。お前も、回復したようでよかったよ」



 一時は命の危機に瀕していたアスハイルだが、今見たところ特に後遺症も無く元通りといった様子である。

 

 手に持っていた木製の器を差し出され、見ると中にはほかほかと湯気の立つスープが入っていた。ありがたい。私はそれを受け取って、早速スープを口をつける。



「食いながらでいい。話を聞いてくれ」



 そうしてアスハイルはこの場にいる全員に向けて話を始めた。



 王都の教会が十年近くも前から追っている犯罪集団がいるらしい。構成員のほとんどは魔力を持たない人間だという。

 その集団は魔術師に対抗するために魔術具と呼ばれる道具を開発しており、今回使われたのもその類の物だろうとアスハイルは言うのだった。



「魔術具ねぇ……」



 私は思わずルトを見た。それらしい道具を生み出す奴ならここにもいるな、と。私は彼の生み出す道具を魔道具と呼んでいるが、その貴重さと危険性は十分理解しているつもりである。


 似たような物が出回っているというなら、それは確かに気になるところだ。慈善活動家の集まりである教会としても見過ごせない事態だろう。



「今回襲撃してきたのはその集団に繋がる人物だと思うのよ。だから、そんな奴と知り合いっぽい貴女なら何か知っているんじゃないかと思って」


「何かって言われてもな……」



 残念ながら私は何も知らない。けれど、何かを知っていそうな者たちを私は知っている。

 

 四人分の視線を浴びて居心地の悪さを感じた私は、一旦考える為に残りのスープをゆっくりと飲んでいった。

 そうして全てを飲み干してから、おずおずと顔を上げて口を開く。



「襲撃犯は確かに知り合いだよ。というか、わ、たし、の、専属メイドだったやつ、っていうか……」


「あれが、メイド?」


 

 ネルイルがあの時のミリアの様子を思い出してか首を傾げた。

 いや、わかるよ。あんな狂気的なメイドがいてたまるかと私も思う。



「今も辞めていないなら……父に聞けば、何はわかるかもしれない」


「父親?そういやお前の家って?」


「う……」



 アスハイルの言葉に一瞬詰まる。

 出来ることなら一生関わりたくないと思っていたところだが、じっとこちらを見ている四人の目から逃れられるはずもなく、私はこほんと咳払いしてから言葉を続けた。


 こんな形でこの名を口に出す日が来ようとは。



「……ガレオラス・シファン。父は、辺境伯だ」



 それだけ告げたその瞬間、兄妹が息を飲むのがわかった。



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