五十六
夜。
ルトはアスハイルの部屋に、私とシンディで空いていた部屋を借りて今夜は休むことになった。
使っていない部屋だったからと様子を見にやってきたネルイルをシンディが捕まえて、突如始まった女子会はランプの灯り一つを囲んで穏やかに進んでいく。
「ネルイルたちはどうして教会に入ろうと思ったんですか?」
「それは……生きる為よ」
二人の両親は彼女が生まれてすぐに不慮の事故で亡くなったらしい。王都の隅に屋敷を持つ子爵の家だったというが、私も知らない家名だったのでそこまで力のある貴族ではなかったのだろう。
幼い子供だけが残った状態では跡を継ぐこともままならず、今はもう消えた家名だとネルイルは少しだけ寂しそうに話していた。
十歳離れた兄であるアスハイルは、そこから一人でネルイルを育て上げたのだという。
貴族から落ち貧民街で隠れ住みながら安い賃金で働いていた幼い頃。教会に入れば高い賃金を得られると知り、労働と勉強を並行し更に妹の為に料理まで極め出した兄、アスハイル。
そんな兄の苦労する姿を見て育ったネルイルがその背を追って教会に入ることも必然だったのだと思う。
「お兄ちゃんはあんな性格だけど、すっごく面倒見が良くて優しい人なんだから」
「それは、なんとなくわかるよ」
全員分の料理を作って振る舞ってくれたこととか。身長が足りずに台の上が見えなかった私にわざわざ小魚を取り分けて摘み食いさせてくれたこととか。
雑な奴に見えてその実細かいところにも目が行くできた奴である。
ネルイルは兄の話となると自分のこと以上に嬉しそうに口にする。それを見れば二人の絆がどれだけ深いかも見て取れるというものだ。
「いい兄妹だな」
少しだけ羨ましい。
思わずそう思ってしまうくらいに、彼女は現状に満足しているようだった。
その後、ネルイルは話しすぎたことに顔を赤くしながら今度は私たちに話を振ってきた。そうして始まった家族の話題に私は思わず口をつぐむ。
「ディは一人っ子なのです。ですが一緒に育った同年代の子たちをみんな兄弟だと思っているんですよ」
シンディは反対を押し切って生まれ育った村を飛び出してきたと言っていたが、こうして語る様子は今でも故郷を大切に思っていることを窺わせる。
「それに、うちの村は大人みんなで子供を育てる風習がありますから。生んでくれた両親はもちろんいますが村の大人みんなが親みたいなものなんです」
「へぇ、そういうのもあるのね。民族特有の風習って素敵だと思うわ」
二人の楽しげな笑い声。穏やかに過ぎていく夜の一時。
私はぼんやりとランプの灯りを眺めながら、膝を抱えて出来るだけ身を小さくさせていた。こうすれば存在も忘れられて話を振られることもないかな、となんとなく思っていたのだが、残念ながら二人の興味は私に向いてしまうのだ。
「そういえば、エルの話は聞いたことがありませんでしたね」
「貴女みたいな子供、いったいどこに隠されていたのよ」
人間で魔術を使うなら貴族かそれに準ずる者だろうけどと言ったネルイルに、そういえば確かにとシンディは続ける。
「エルの作法は貴族のそれですよね。リリシア様への会釈は素敵でした……!」
「ああ、クランデアの」
私が貴族の生まれであることは二人とも気付いている。言われたことはないがおそらくルトも。人間で魔術が使えることこそ貴族の証なのだから当然である。
別に自分の境遇を悲観するつもりはないけれど、聞いても面白い話では無いことは確実だ。
どうしたものかなと少しの間考え後、私はようやく口を開いた。
「一応、弟がいるんだ。家はそっちがどうにかするんじゃないかな」
「エルに弟さんが……!?」
「貴女みたいなのがまだいるっていうの……?」
「さぁな。どっちが優れているのかまでは私にもわからない」
それどころか話したことすらない。
あの時はまだ五歳だった子供も、五年経った今では十歳だ。今の私の体の年齢と同じ。もしかしたら身長すら抜かされているかもしれない。弟と呼んで良いかも怪しいところである。
とにかく私は確かに貴族だが、弟に家を任せた長女であると思ってくれたならそれでいい。貴族に生まれた女がいかに無力かということくらいネルイルも知っているはずだから。
「貴女もまだ小さいのに苦労してるのね」
「まぁ、それなりにな」
こうして、突如始まった女子会は穏やかに幕を閉じたのだ。
そして、翌日。
私たちはリガンタの街を出て、街道から外れ更に西に向かったところの人気のない場所までやってきた。
辺りは緑も多く見られるが、人の手が入っていないらしく凹凸の激しい地形になっている。私の身長を超えるような大きな岩がゴロゴロ転がっているので視界も最悪だ。
「うーん、どう見ても不利」
「アスハイルは土系統の専門家だからねぇ。エルの力を高く評価している証拠かな?」
と、ルトは言うが、やっぱり私が負かされるとはこれっぽっちも思っていないようである。その手には既に絵を描く為の紙とペンが用意されていた。
「勝負はどちらかが動けなくなったら終わりだ。それでいいな?」
「おう!」
関係のない三人が少し離れたのを見届けてから、私とアスハイルは向き合った。
思えば、こうして魔術師と模擬戦をするというのも初めてだ。
私の師とも言える人は高齢だったので本気の試合はしたことがなかったし、私が今まで戦ってきたのはそのほとんどが魔物だったので。
きっと私にとっても得るもののある貴重な時間になるはずだ。そう思うと、期待に胸が熱くなってくるのを感じていた。
私は腰から下げていた剣を抜き片手で構えると、同じく杖を構えたアスハイルを見やる。
顔付きは昨日出会った時とも借家で料理をしていた時とも違う、優秀な魔術師らしいそれ。相手に不足はない。
思わず口角が上がる中、邪魔になってはいけないと被っていたフードを下ろせば、少し強い風が長い髪を攫っていく。
そんな時だ。
(エル。何かおかしい)
(シロ?何かって?)
突然シロの硬い声が頭の中に流れ込んできた。
咄嗟に魔力感知で辺りを見るが、この近くに私たち以外の魔力の反応はない。魔物が現れたというわけではなさそうだ。
いったいなんだ、と気の逸れた私を隙と取ったのかアスハイルが動き出す。
杖の先にあるオレンジ色の魔石が光り、魔力感知にも魔力の高まりが見られた。
そうして何かの魔術を発動したのだろう。彼を中心に流れ出した魔力が地面を伝って広がっていき――そして何故か逆流するような光景を私は確かに見たのである。
「かはっ……!」
何が起こっているのかはわからなかった。
ただ、血を吐いたアスハイルがふらりとよろけるのがわかった。
思わず勝負のことなど忘れて駆け寄ろうと一歩を踏み出した次の瞬間、そんなアスハイルの胸から血に濡れた鋭い刃が勢いよく顔を出す。
背後から何者かに刺されたのだ。そう理解した途端、ぶわりと自分の中でよくわからない感情が膨れ上がるのを感じた。
(エル、落ち着け!)
(――――――)
足を最大限強化して地面を蹴ると、ドッと地響きのような音がした。
アスハイルの体が倒れていく中、ようやく見えてきた黒装束の人物は、先程まで魔力感知で見えていた中の誰でもない。そもそも魔力を持っていない。ただの人間だ。
頭の片隅でそう理解して振り下ろす剣に魔力を流す――とその瞬間、全身に不自然な痛みが駆け抜けていく。
「か、は、っ!」
口から溢れ出す血液。一瞬で視界が赤く染まり、どしゃりと地面に落ちて転がる。
それでもなんとか体を起こして、激痛の中やっと顔を上げると、すぐ目の前に黒装束の人物が立っているのがなんとなくわかった。
「お久しぶりです、お嬢様」
「――――――」
歪む視界では相手の顔はよく見えなかったけれど。
その声は、確かに聞き覚えのあるものだった。




