五十一
第三章開幕です!
クランデアの街を出てから半月ほどが経っただろうか。私たちは街道から外れた森の中を歩いて王都の西を目指していた。
森の中にはポーションなんかの材料になる草も生えていたので、私がいちいち立ち止まって調べ始めるせいで進む速度はかなり遅い。一度火を起こし腰を落ち着けたら数日その場から進まない事もあるくらいだ。
それでも同行するルトやシンディからは文句が飛んでくる事はなく、それぞれが思い思いの時間を過ごしているので私たちの旅はこれでいいのだろうと思っている。
しかし。しかしである。
私たちには一つだけ問題があった。
「今日のお夕飯はジャイアントグリズリーのお肉です。さっきエルが討伐したものですよ」
シンディがそう言って差し出してきたのはこんがりと焼かれた塊肉。昼間遭遇したものを私が狩り、シンディが解体したジャイアントグリズリーの肉である。大きな魔物も一人で解体できてしまう彼女の手際の良さは実に見事な物だった。
そんなシンディが街で購入してきたという調味料を使って焼く肉はかなり美味い。しかも魔王との戦いで活躍したあの鍋を使っているので、街の飯屋で出しても通用するんじゃないかというくらいには美味いのだ。だから問題はそこではない。
「やっぱり今日も肉だったな」
「昨日エルが焼いたのはなんだっけ?ワイルドボア?」
「それは一昨日ルトが自分で焼いてたろ。昨日はホーンディア、だったと思う」
そう、私たちの食事は毎回特に変わり映えのない焼いた肉なのである。
朝食や昼食は各々が好きなものを好きな時間に食べているので、焼いた肉が出てくるのは三人揃って焚き火を囲む夜だけではあるのだが。朝昼に食べる干し肉やシロが出してくれる果物がより美味く感じるくらいには、クランデアの街を出てから毎晩焼いた肉を食う生活が続いていた。
それもこれもここにいる全員がまともに料理を出来ないからに他ならない。
三人も集まったのだから一人くらいはもう少し出来てもいいはずなのに、何故か私たちは三人揃って肉を焼くことしか出来ないのである。
「美味い……美味いんだけどな……」
シンディが焼いたジャイアントグリズリーの肉は相変わらず美味かった。けれど、それぞれ手元の塊肉に齧り付きながらも思う事はただ一つ。
「……流石にそろそろ飽きましたよね」
今日の食事当番であるシンディが口にした事により、私とルトは同時に頷いた。いくら美味い物でも半月以上も続くと流石に飽きてくるというものだ。
他に食べられそうな物を探せばいいだけなのだが、私たちが今いるこの森は魔物の生息がとにかく多く、歩けばすぐに何かしらに遭遇するので肉ばかりが手に入ってしまうのだ。
せめて川でもあれば魚を釣るのに。そうは思うけれど、この森の近くには川らしいものは今のところ見当たらない。
パチパチと音のする焚き火を眺めながらどうしたものかとぼんやりと考えてみる。
山菜でも探すか。食べられる草が載った本なら屋敷の書庫で読んだ事がある。今その本が手元にないので記憶との比較になってしまうが、肉だけよりかは幾分マシだろう。
だが、間違えて毒でもある野草が混ざっていたら?
私は大丈夫かもしれないが、二人は危ないんじゃないだろうか。即死とならなければシロの魔法で助ける事は可能だろうが……うん、やめておいた方がいい。
わざわざ危険に飛び込むような事はやめようと思い付いたそれを頭の片隅に押しやっていると「あっ」とルトが小さく声を上げた。
「それじゃあ、明日の当番から焼くお肉に一手間加えてみるっていうのはどう?」
「肉は焼く前提なのか」
「いいですね!時間はたくさんありますし、いろいろやってみましょうか!」
「料理初心者のその発言が一番危険な気がする……」
そんなこんなで次の日から食事当番が肉に工夫をしてみるという実験が始まったのである。
この日の当番はルトだった。
昨日のジャイアントグリズリーの肉がまだ大量に残っているので、それを使って早速夕飯にと彼が作ったのは調味料を塗した塊肉の表面を炙ったもの。その肉を薄くスライスし、木製の皿に並べてある。
「街でこんな料理あった気がしてやってみたんだ。どうかな?」
「どうかなって……」
ルトが言っているのはローストブルという料理だと思う。私もクランデアの飯屋で食べたので味も見た目も覚えている。
けれどあれは表面を焼けばレアでも食べられるブルの肉を使っているから作れる料理なのであって、ジャイアントグリズリーで同じものができるだろうか?――答えは否。
「ジャイアントグリズリーのお肉は生で食べるのは危険ですよ!ディも昔大変な目に遭いました……」
「うん。流石にこれを生焼けの状態で食べるのは私も危ないと思う」
「そうかぁ」
肉の表面を炙って薄くスライスするのはそれなりに大変だっただろう。このまま食べるわけにはいかないが、その手間をかけた事には素直に感謝しようと思う。
そうしてこの日の夕飯は薄切りの焼肉となった。今までは塊肉に齧り付いていたので、薄い方が食べやすいと気付けた日だった。
翌日。今日の当番は私である。
平らな石の上に木の板を起き、指先にナイフ状に生成した魔力を纏わせて肉を薄くスライスしていく。これは食材を切るのに丁度いいと私が編み出した技である。魔力はどうぜ消せるので洗い物が少なくて済むのがとても良い。
「シロ、林檎貰っていい?」
「料理に使うのか?」
「うん。前に屋敷の料理人が林檎をソースにしてたんだよね」
それは屋敷での数少ない思い出だった。
母と過ごす食事の時間はお互いに何かを語ったりするような楽しいものではなかったし、使用人たちからも良く思われていなかった私は屋敷での印象的な思い出など無いに等しい。
けれど食事そのものは貴族の屋敷なだけあってきちんとしたものを出されていたと思うのだ。その中でも、香りが良く甘く子供でも食べやすかった林檎のソースはよく覚えている。覚えている、のだが。
「作り方知らないんだよな」
とりあえず受け取った林檎を一つ手に持って眺めながら、これをどう使うのかを考えてみる。
火が通っていたことは確実だ。実の形は残っていなかったので、潰したか何かをして使っていたに違いない。しかしそこそこ硬さのあるこの果物をどう潰すかが問題だった。腕に魔力を纏わせれば握り潰す事も可能だろうが、ただの料理人がそんな事をするとは思えない。
少しの間考えた後、私は結局林檎を丸ごと鍋の中に入れてみる事にしたのである。
「美味しいです!」
「うん!これ、すごく美味しい!」
「ああ、まあ……林檎がね……」
焼いた林檎は美味かった。そのままでも食べられる果物だが、焼くと香りが引き立ち甘さも増した気がするので肉の後に食べるには最適のデザートになってくれた。
鍋に丸ごと放り込んだだけでこの仕上がりなので、これ以上弄らない方がいいと判断した結果がこれである。
この日の夕飯はまたもや薄切りの焼肉だった。
次の日の当番はシンディだ。
昼間に狩ったロックバードの肉を使って彼女が作ったのは、街の飯屋でも見かけた事のある香草焼きという料理だった。
ここは森の中。野草は幾らでも採取できる。私も干し肉を作る際に使う野草が幾つかあるので、肉を焼くのに野草を使う事は特に抵抗はないのだけれど……
「なんか、不思議な香りがするね?」
「不思議というか、嗅いだことのない匂いだな……シンディは野草に詳しいのか?」
「はい!前の旅で一通りのものは食べましたから!」
なるほど。彼女は実際に食べて野草の種類を覚えたというのか。ならば何を使っていても少なくとも命に関わるようなものではないはずだ。
私は本を読んだだけの知識しか持っていないので、実食した人間がいるというのは有り難い。
そして私たちは恐る恐る不思議な香りのする香草焼きを食べたのである。
味は香りの割には美味く、普段の肉と違った感じを堪能できたので大いに満足できるものだったと言っておこう。
しかし、数時間後に私とルトが襲われた眩暈は馬鹿にできるものではなくて、私たちはシンディの胃袋の丈夫さを目の当たりにしただけだった。
こうしてたった一周でこの実験は取りやめになったのである。
私は次に人のいる街に着いたらどこかで料理を習おうと、そう決意した。
それからまた一月程が経った頃、私たちはようやく森を抜け、街道から王都の西部に位置するとある街に辿り着いた。
街の名はリガンタ。大きな闘技場のある武の街だ。闘技場を中心に煉瓦造りの家が立ち並び、街のあちこちのは剣闘士と見られる人物を模した像が立っている。
クランデアは芸術や技術の街といった印象だったがこのリガンタは武人の街という印象で、歩いている人間や亜人も体格の良いものばかりで少し暑苦しさを感じてしまう。
そんな街で私たちを待ち受けていたのは、クランデアからルトを追いかけて――追い越して先にリガンタに到着していた、教会所属の魔術師の兄妹だった。




