表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
放浪のエル  作者: ゆう
第二章
52/108

幕間―とある少女の記憶―



 空気を含んだような柔らかい桃色の髪が印象的な人だった。風が吹けばふわりと舞い、絡まる事なく静かに戻る。そして流れるような動作で髪を耳にかける細い指。

 飾り気は無いにも関わらず、つい目が離せなくなってしまう人。

 

 馬車を降りたところで使用人と話しているその人のそんな光景を目撃してしまった瞬間、四歳を迎えたばかりの私はふと理解したのである。


 ああ、あの人が私の母親なのだな、と。











 「本当に根本からこの色なんだな……」


 髪をかきあげて鏡を覗き込むと、生え際から毛先まで同じ桃色が続いている事に改めて気付く。今まで気にもしていなかったがこうしてまじまじと見てみると何故だか不思議な感じがした。

 見慣れないものを見ている気分だ。こんな髪色をして生まれてくる人間がいるんだな。真っ先に思ったのはそんなこと。

 


 おそらく私は別の人生の人格を多少引き継いでここにいる。どこかで死んだ人間が、少女として生まれ変わったと言うべきか。そしてその元になった人格の持ち主が住んでいた世界では、こんな髪色の人間は生まれてこなかった。だからこれだけ違和感を覚えるのだろうなと鏡に映る自分を見ながらこの時の私は思っていた。


 この事実に気が付いたのはつい最近で、思い出したという感覚に近い。そう思えばこの急激な精神の発達も納得できるというものだ。


 母とは違い短く切り揃えているものの同じ桃色の髪。瞳の色も同じ金。私の外見に父の特徴は無く、色も性別も母と同じ。まるで生き写しだとは誰が言った言葉だったか。当時はその意味も考えず母とお揃いである事に喜びすら感じたけれど、今ならわかる。あれは皮肉だ。


  男爵家の生まれである母が辺境伯家へ嫁いだ事を良く思っていない連中は山ほどいる。


 しかも私は酷い難産だったらしく、それ以降あの人は二度と子供を望めない体になってしまった。跡継ぎとなる男児を授かれないシファン辺境伯家の未来を憂うのは身内に多いというのがこの屋敷で唯一の子供である私が受けた印象だった。

 だから母が私を男児として育てると決めたことにもそれなりの理解はあるつもりだ。


 

 自分の容姿への興味もすぐに収まり、私はベッドに広げていた本を抱えて部屋を出た。

  幼児の体では分厚い本を二、三冊持つのが精一杯だ。せめて転ぶような無様は晒さないように足元に気を付けながら、横目に見てくる使用人たちを気にも止めずに私は目的地である書庫に向かっていた。今日は特に予定も入っていないので引きこもってやろうという魂胆だ。

 

  あの人が私の母なのだと当たり前のことに気付いてから数日。子供とは思えない程に発達した精神状態の中で、私はこの世界の情報を得る事が何よりの楽しみになっていた。剣や魔術、亜人や魔物。この体にも宿る魔力の存在。何もかもが私の好奇心を掻き立てる。

 

  周りからどう思われていたって構わない。父も母も突然書庫に通い出した子供に何かを言ってくることもない。ならば思う存分にやりたい事をやるまでだ。



「アリシエル」


「あ……母上、どうかされましたか」



 書庫の扉を開く前に呼び止められて振り向いた。相変わらず柔らかそうな桃色の髪。切れ長の目は髪の印象とは少し異なり大人の女性らしさを窺わせる。

 見ようによって印象が変わる。子供の私から見てもこの人はそんな不思議な女性だった。



「先日の件、先生が見つかったの。顔合わせを近いうちにと思って」


「本当ですか!」



 私は母の言葉に喜びを隠せなかった。

 先日の件に先生とくれば、剣や魔術に興味を持った私に習ってみないかと母から提案されたことに他ならない。

 四歳児にそんな物を教えたがる人がいるのか甚だ疑問だったのだが、どうやら先生とやらは無事に見つかったらしい。それ自体も嬉しくはあるが屋敷に閉じこもっている私にとっては初めて外の者と関われる機会だ。これが嬉しくないはずがない。

 顔が緩むのを感じていると、じっと見下ろす母の視線に気付き私は思わずハッとする。



「申し訳ありません。こんなにはしゃぐものではありませんでしたね」



 何事にも冷静に。それがこの母の教えだった。まだ幼い私も今までに何度注意されたかわからない。今回は言われる前に自分で気付けた事に安堵するくらいには、この人は子供相手にも遠慮なく厳しい態度で接してくる。

 現に今も私に向けられる目はどこか鋭さを感じる物だった。



「ええ。顔合わせの際はシファン家の者として恥ずかしくないように振る舞いなさい」


「もちろんです」



 そうして母が去った後、書庫に入って物音を立てないよう一人ではしゃぎ回っていた事は、私しか知らない事実である。





 顔合わせの日、母が紹介してくれたのは私でも名を知っているような有名な魔術師だった。

 彼は名をマガドワと言い、今はもう引退した元教師でもある老齢の男だ。教師の前は騎士団の団長の経験もあるという異色の経歴を持った魔術師で、剣も魔術も扱える貴重な人材とも言える。

 

 七十を超える年齢とは思えない程体格も良く機敏に動き回るマガドワは、母が王都の学院に通っていた頃の教師だったらしい。その頃の伝手でこうして来てくれたのだとか。

 今は教師を辞めて隠居していたと言うが、そんな人が母の呼び出しに応じこんな辺境の地まで来てくれるだなんて。私の母は厳しいだけでなく、人望も厚いのだとこの時知った。


 

 月に数度のマガドワの訪問により、私の剣と魔術の技術はめきめきと上達していった。


 剣を握った時の私の様子を見ただけで、貴族のお遊びでやろうとしているわけではないと察したらしい。彼の指導は日を追うごとに厳しくなっていったが、それでも私は未知の技術を扱えるようになる事が嬉しかったし本を読むことと同じくらいこの時間が楽しくてたまらなかった。


 そんな日々が三年ほど続き、剣も魔術もそれなりに扱えるようになってきた頃だ。一人の少女が父に連れられシファン家の屋敷にやってきた。



「ミリア・リーラントと申します。その……本日よりアリシエル様の専属メイドとして雇っていただくことになりました」


「専属メイド?」



 そんな話は聞いていない。そもそも父とはまともに会話をした記憶がない。ミリアを私の元に寄越しただけで一言も説明が無いのはいったいどういうことなんだ。

 少し腹立たしく思うが、父が決めた事なら受け入れるしかないというのもこの時の私は既に理解していたのである。

 

 歳は十三と告げたミリアは聞けば両親を失ったばかりだと言う。二人は父とも親交のある冒険者で、シャンデンの街を拠点に活動していたらしい。

 

 両親が依頼を受け出かけている時は一人留守番をしていたミリアはある日、依頼先で命を落とした両親の訃報を受け取ることになった。そうして身寄りのなくなった彼女が頼ったのが両親と親しくしていた貴族だったというわけだ。



「旦那様には感謝してもしきれません。受けたご恩は必ず働きで返してみせますとも…!」


「ふーん……」



 実の子供には興味もない男が身寄りの無くなった少女を見捨てずこうして仕事まで与えた。父の偉大さをミリアから聞いても、私の心に特に響かないのは仕方のない事だと思うのだ。


 

 それからミリアは言葉通り私の専属メイドとして確かな働きぶりを見せてくれた。父からの伝言が必ず彼女経由な事には少し思うところはあったものの、メイドとしてのミリアの仕事は非の打ち所がない完璧なもの。だから私が彼女に心を許し、頼るようになるのにもそう時間はかからなかった。


 朝の支度から始まり、書庫に閉じこもる私に軽食を持ってきてくれたり、マガドワが来れば始まる鍛錬の支度もいつもミリアが手伝ってくれる。夜は寝付きやすいようにと温めたミルクを用意してくれて、私の日常は彼女に支えられて回っていると言っても過言ではない。

 他の使用人はほとんど私に見向きもしなかったから、頼れる人間が側にいるというのは初めてのことだった。


 

 そうして歪ながらも穏やかに過ぎていく時間の中で、私は確かに成長していった。




 

 

 

 その日は奇しくも私の十歳の誕生日だった。



「アリシエル様!」



 ミリアが焦った様子で書庫に飛び込んできた。こんなに動揺する彼女を見るのは初めてで、何か良くない事が起こったのは明白だった。



「奥様が……!」



 母が倒れたらしい。


 自分にも他人にも厳しいあの人のことだ。何か無茶をして疲れでも出たんじゃないかというのが私の頭に真っ先に浮かんだものだった。

 けれど現実はそんな単純な話ではなく、通された母の部屋でベッドに横たわるその姿を見た時、私は悟ってしまったのだ。


 この人はもう、永くない。



「母上……」



 微かに上下する胸がかろうじてこの人がまだ生きている事を告げていた。触れた手は冷たく、指先が青く変色している。


 どうしてこんな事になっているのだろう。


 出かける事の多い父と違って、この人とは毎日同じ食事の席に着き同じ料理を食べていた。今朝会った時は今まで通りだったのに、この短時間で一体何が?


 私の疑問を察したのか、側にいた医者の男が状況を説明してくれた。



「奥様は少し前から魔力欠乏症を患っておりまして……ですが、ご家族には内密にと……」



 それだけ聞ければ十分だ。


 魔力欠乏症。それは貴族の間でごく稀に聞く病気の名。

 人間の中でも魔力を持つのは貴族に生まれた者のみだ。普通の人間は生きる為に魔力を必要としないのである。元から持っていないのだから当然だ。

 けれど私たち貴族は生まれつき魔力を持っていて、それを生きる為に消費している。そういう機能がある人間なのだ。これも書庫の本を読んで得た知識の一つである。


 この病気は、生きる為の魔力の消費が生成される量を上回ってしまう事で発症する。原因はまだ解明されていない。故に対処法も分からない。患ったら最後、徐々に体は弱っていき限界に達すればそこで命を落とすだけ。

 今朝はまだ元気だった母が、突然死の淵に追いやられた事も納得だった。



「……先生。少し、席を外してくれる、かしら」



 薄らと目を開けた母の声。いつもの覇気は全く無い。まだ意識があった事も奇跡に近いその状況で、母は医者を部屋から追い出した。


 

 二人きりになった静かな部屋。母はいったい私に何を言うつもりなのだろう。今まで私たちの間に母娘(おやこ)としての会話はあまり無かったはずだ。今更母親ぶられても反応に困るなと思っていた私にかけられたのは、思いがけないものだった。



「私は酷い、母親、だったでしょう?」



 微かに口元を緩めながらそんな事を言い始めるのだ。母親ぶられる以上に反応に困る言葉である。



「そんな、ことは……」


「いいのよ、自分でもそう、思うから……あやまる気もない、もの……」



 口調は穏やかなのに言っている事はだいぶ酷い。この人が笑うところを私は見た事がないのだけれど、元気なら嘲笑っているんじゃないかとすら思うほど。

 

 だからか私も湿っぽい空気はここまでにして子供らしくないため息を一つ。



「別に、酷いだなんて思ってないよ。私は私のやりたい事をやっていただけだし。あんたには結構感謝してる」


「あなた……素はそんな感じ、なのね……」


「知らなかったでしょ」


「ええ、やっぱり母親、しっかく、ね……でもあなたも、貴族には、むいていない、みたい……」


「今更何言ってんだか」



 男らしくあるように。貴族としてのマナーは一通り叩き込まれている。そうしたのは他でもないこの人だ。私も今更向いていないと言われようがこの道を諦めるつもりはない。


 私は父の跡継ぎとして生きる。その為なら生涯性別を偽る事くらい厭わない。その覚悟ならとっくの昔にできている。

 そう伝えると母はどこか満足そうに微笑んだ。記憶にある限り私が見た初めての笑顔だった。



「私はただ、ちからに、なりたいだけなの……」



 掠れた声に耳を澄ませる。その言葉が私に向けられたものでは無いとわかっているからだ。けれどその言葉を聞くべき人間がここにはいない。



「あいしていたのよ……ほんとうに……」



 この厳しい人があの男のどこに惚れたと言うんだろう。聞いてみたい気持ちはあったが私は口には出さなかった。力強く輝いていた金色から光が無くなっていくことに気付いたから。


 話ができるうちにもっと会話を積み重ねていればよかったのだろうか。一人書庫に籠るのではなく、この人に読み聞かせてもらえばよかったのだろうか。

 そうしたら、私の事ももっと知ってもらえたのかもしれない。この人のことももっと知れたのかもしれない。後悔しても遅いのだけれども。



「ありし、える……」



 名を呼ばれた気がして顔を上げる。


 つぅ、と目尻から流れ落ちる一粒の涙を見た。



「おとこのこだったら、よかったのに……」



 そんな母の最後の言葉は、私にとっての呪いの言葉になっている。






 母の葬儀は身内のみで密やかに執り行われた。


 結局私は涙の一つも流れず、なんだか現実味がない光景をただぼんやりと眺めていただけで、気付けばミリアに付き添われて部屋に戻ってきていた。

 

 あの人がいないシファン家の屋敷。もう厳しく言われることもない。好きなようにはしゃげるし、男だったらなんて言われることもない。

 

 それなのに、どうしてだろう。


 私はあの人忘れられず、その日からより一層男としての振る舞いを磨くようになっていった。







 母の死から一月か、二月が経った頃。


 父がまた私の知らない女を屋敷に招き入れた。金髪の女だ。飾り気の無かった母とは似ても似つかない派手な印象の女である。

 しかも今度はまだ幼い男の子供を引き連れて。



「はじめまして、アリシエルさん。私、レイラン・アースフォードと申します。この子はリオ。シファン家の跡継ぎになる子ですのよ」


「………………は?」



 何が起きているのかすぐには理解できなかった。


 アースフォード家と言えば、王都に屋敷を持つ伯爵家の一つである。多くの団体や企業に多額の寄付をしており、教会や騎士団も動かせる権力を持つという。死んだ母の家よりもよっぽど上の身分である。

 

 そんな家の人間が何故こんな辺境の地にいるのだろう。しかもなんだ、シファン家の跡継ぎって。


 レイランと名乗った女の後ろに隠れ、顔だけを出してこちらを見上げる子供に目をやる。父と同じ銀色の髪。目の前の女と同じ青い瞳。どこか父の面影のある顔立ちは、嫌でも血の繋がりを感じさせる。



「私、この度旦那様と結婚する事になりましたの。だからどうか、これからこのお屋敷で一緒に仲良くやっていきましょうね」



 当たり前ように振りまかれる笑顔。あの人は最後にたった一度しか見せてくれなかった物なのに。目の前の女は幸せそうに笑っている。


 私はそれを受け入れることがどうしてもできなかった。









 幕間、終

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ