四十七
「なんで……っ……」
アレクがギリギリと歯を噛み締めながら再び手を振り上げる。頭を垂れるシンディに向け、その手を振り下ろそうとする。
けれどそうしなかったのは、じっとその様子を見つめる大人たちの視線があったからに他ならない。これ以上はやってはいけないと本人が確かに悟ったからだ。
例えそのまま叩いたとしてもシンディの気持ちはもう変えられないことを、この場にいる全員がわかっている。
「……辞めて、どうするんだよ」
やがて手を下ろしたアレクが小さな声で呟いた。微かに震えた声だ。まだ十三歳の子供であるアレクがどれだけシンディを頼りにしていたかなんてその様子を見ればなんとなくわかる。そしてそれを一番理解しているのは他でもない彼女自身だということも。
シンディが顔を上げた。少しの間じっとアレクを見つめた後、ゆっくりと向きを変えたかと思えばその視線が私を捉える。
「エルと、共に行きたいと思っています」
「…………ん?」
完全に蚊帳の外だと思い込んでいた私は突然振られたそんな話に咄嗟に返答ができなかった。
待て、いつからそんな話になった?
私が静かに困惑していると、シンディはテーブルを挟んだ向こうの椅子の前に立ち、真っ直ぐに私を見つめてくる。冗談だとはとてもじゃないが思えない。
「エル。貴女の旅に同行させてください。ディは戦えます。例え戦いになってもお役に立てるかと」
「……お前が私に着いてくる理由がない」
私は放浪者だ。そしてこれは特にあてのない旅でもある。今回みたいに魔王を名乗るような危険人物がいつ襲ってくるかもわからない。
そんな私の旅に彼女が着いていきたいと思う理由はなんなんだ?
今度は私がシンディの答えを静かに待っていると、返ってきたのはいつもの彼女らしいにこやかな笑顔だった。
「エルが何者になるのかを見てみたいんです!」
「――!」
前にも似たような事を言われたことがある。
あれはダンジョンから出た後。私の行く末を見てみたいと言ってきた奴がいなかったかと、私は思わず隣に座っている男に目を向ける。
「僕はいいと思うよ?」
いや、まあ、それも聞きたかった事ではあるのだけれども。
私が気になるのは、何故示し合わせたかのように同じことを言われるのかということだ。まさか本当に示し合わせたわけでもないだろう。
お前たちにとって私はそんなに興味深い生き物なのか?珍獣か何かと勘違いしてないか?
そんな疑問に頭を悩ませている私を前にシンディはテーブルに手を付いてずいっと距離を詰めてくる。
「それに、旅をしながら、いろんな人にディの踊りを見てもらいたいんです!」
「旅芸人って事だね。面白そう!」
「でしょう!」
と、楽しげに話す二人は早くも親しげな様子である。私と共に行きたい理由も全く同じという二人だ。さぞや気も合うことだろう。しかし……
(シロは、どう?)
私たちの旅はいつまで続くのか。いつまで続けられるのか。シロの命があとどれだけあるのか。それがわからない以上、私は簡単に返事をする事ができなかった。
肩で大人しくしているシロの背中をそっと撫でると、微かに擦り寄るような仕草を見せる。
(いいんじゃないか)
(それは……)
いつか自分がいなくなる時の為に、私の側に人を置こうとはしていない?
そう思ってしまった時点でそれはもうシロに伝わっているのだが。
(珍しく弱気だな)
(誰のせいだよ……)
(俺だろうな)
わかっているなら言うなっての。
少しムッとしたので指先でツンツンと柔らかい羽が集まった頭を小突いてやる。それを見た目によらない強い力で押し返されてちょっとした攻防が繰り広げられるが、それは他のやつに気付かれることはなかった。
(心配しなくても、お前が思っているようにはならないぞ)
(本当?)
(信じられないか?)
(ううん、信じるよ)
――信じるからね
例えこの先何があったとしても、私はきっと今聞いたシロの言葉だけを信じて前に進むのだ。とっくにそう決めている。
今はその言葉を貰えただけで満足だった。
「シンディ」
「っはい」
私が名を呼ぶと、ルトと話していた彼女がパッと顔を上げて私を見る。使用人上がりなだけあって呼ばれた時の反応が早い。
そんなシンディと真正面から向き合って私は少し照れ臭さを感じながらそっと手を差し出した。
「その……前にも言ったけど、私の旅は自分勝手なものだ。それでもいいなら、よろしく」
その瞬間花が咲いたようにパァッと顔を輝かせたシンディは、私の手を両手で握りしめたのだ。
「よろしくお願いします!!」
こうして私たちにまた新しい旅の仲間が加わった。
踊り子を夢見る少女。戦闘民族――青藍の民の一人であるシンディ。
いずれこの国を揺るがす大きな事件の中心になる三人が、ついに揃った瞬間だった。
その後、リリシアが黙り込んでしまったアレクを連れて部屋を出ていく直前、私に向かって頭を下げてきたので、こちらも一度立ち上がって同じように頭を下げておいた。彼女は態度が一貫していて尊敬に値するものであると判断していたから、そうするのが当然のように私も行動したのだが。
その様子に驚いたのはリリシアだけではなかったようで、両隣にいたルトやシンディ、更にはドルガントまでもがじっと私を見てくるから何かまずかったかと首を傾げてしまう。
「……貴女は、どこかの貴族の者なのかしら」
やってしまった。
私は社交界に出たことはないのだけれど、産みの母に厳しく言われていたせいか体に染み付いている癖みたいなものがある。ただの挨拶だろうが、それが付け焼き刃でないことくらい見る者が見ればわかるものだ。
否定も肯定も出来ずに黙った私の心情を察したのか、リリシアはそれ以上何も言わずにアレクを連れて応接室を出ていった。
そういえば結局アレクは謝罪の一つも言わなかったな。まあ、もう会う事もないだろうし構わないか。忘れることにしよう。
(誰かこの空気をどうにかしてくれ……)
残った私と他三人の間に漂う空気は、私に対する興味で少しだけそわそわしたものだった。
本当に珍獣にでもなったような気持ちになりながらも我関せずといった態度を崩さずにいると、再び応接室の扉が開いて人が入ってくる。
スラリとした身なりのいい中年男。
このクランデアを含む王都の北の土地を幾つか統治する領主ギルバー・モンティス伯爵、その人である。
「エルというのは君だね」
話し方は、思っていたよりも落ち着きがある。
仕方がなかったとはいえ賠償金を背負ったシンディを解雇したと言うから、もっと強面の男を想像していたがどうやらそうでは無いらしい。
物腰の柔らかい対応に私も自然と肩の力が抜けていくのを感じていた。
私たちはそれぞれ軽く自己紹介した後、向かいの長椅子に腰掛けた。
まず切り出されたのは、アレクの愚行に対する謝罪だ。
エルフであるルトを力で捩じ伏せようとしたこと。私に対する数々の暴言。シンディの人権を無視したようなこれまでの扱い。これらは己が子供を大切に思うばかりに見逃してしまった行いだと。領主自ら頭を下げるその姿にシンディがあわあわと手を彷徨わせている。
「腹は立ったけど、私とルトに関してはドルガントから謝罪とポーションも受け取っている。特に言うことはないよ」
「ディもです!アレク様には感謝していますから……!」
「そう言ってもらえると有り難い。実は私も妻に酷く怒られてしまってね……」
うん。なんだか容易に想像できる光景だ。あの気の強そうなリリシアのことだ。こうなるまでアレクを叱らず放っておいたギルバーや自分に対する怒りは計り知れない。
妻に酷く怒られ反省していると言うならこちらからはもう何も言うまい。
「それから、街を護ってくれてありがとう。君たちがいなかったらどうなっていたことか。復興もこんなに早く進んだのはルトの魔術のおかげだと聞いているよ」
「……あれを暴れさせたのは私だとは思わなかったのか」
正直何かしら責任を押し付けられるんじゃないかと思っていた。事実、アレクには言われたし。ドルガントから見張りを任せた件も聞いているはずである。
私の言いたいことも理解しているのだろう。ギルバーは曖昧に笑顔を浮かべた後、懐から小箱を取り出してテーブルに置いた。
「これは?」
「謝礼と――牽制、かな。できれば受け取ってほしい」
小箱を引き寄せて蓋を開けてみる。気になったのかルトとシンディも横から中を覗き込んでいる。
そこには、この国の王族の紋章を模った金のペンダントが入っていた。
「なるほどね」
私は金貨よりも一回り小さなそれを雑に指で摘み上げて顔の高さまで持ってくる。
トップに使われている素材は本物の金だ。そこに金属のチェーンが付いていて、首から下げられるようになっている。
金に王族の紋とはつまり、この国での絶対の権力を意味している。王族である証として身につけるものであるというが、このペンダントはその権力の一部を振るうことを許された者にのみ配られる、身分や力の証明書のようなもの。
これを持っている限り、どこの街への出入りも自由になる。街に入る際の税金が免除されるというわけだ。
ギルドへの登録ができない今の私にとっては確かに有用なものだろう。
ドルガントだな、とすぐさま気付いた。
私がギルドに登録できず困っていたことを知る者の中で、これを私に送る重要性を理解しているのはあの男だけだろうから。
扉の横に黙って立っているドルガントをチラリと見るが、目は合いそうになかった。
「わかった、受け取っておくよ。一先ず謝礼として、な」
私はその場でペンダントを付けて見せた。
その様子にギルバーとドルガントが胸を撫で下ろしたのがわかったが、ルトやシンディは意味がわかっていないようだったので、私も特に何かを言うことはしないでおこうと思う。
付けている限り行動が逐一国に報告されるとか、今気にしていたって仕方のないことなので。




