四十六
ボロボロになった服の代わりにとクラリスが用意してくれたらしいシャツとブレーに着替えた私は、シロをいつも通り肩に乗せルトと共に伯爵邸を訪れた。
改めて見ると大きい屋敷だ。私が暮らしていた屋敷とどちらが大きいだろう。
剣や魔術の鍛錬の時間以外は書庫に篭るばかりであまり外に出たことがなかったから、そういえばあの屋敷の外観なんてじっくり見たこともなかったなと今更思う。
庭を歩いているとどこから私の名を呼ぶ声がして、見れば何故かメイドの衣装に身を包んだシンディがやってきた。
「エル!よかった!起きたのですね!」
「うん。心配かけたみたいだな。ありがとう。で、その格好は?」
「これですか!」
くるり。ドレスを翻しながら一回転したシンディがそのまま綺麗にカーテシーを披露する。さすが、鍛えているだけあって体の芯がブレずに美しい。そこら辺の令嬢なんかよりよっぽど様になっている気さえする。
「リリシア様に頂いたんです。前のものはもうやめなさいと言われてしまって」
「それはそうだろうな」
最初に出会った時から祭りの日の夕方までシンディが着ていたのは奴隷のような薄い布で作られたボロボロの服。明らかに今までが異常だったのだ。
アレクの指示でそうしていたのかもしれないが、手入れの行き届いていない伸びきった髪も相まって見ている方も心配になる装いだった。
それが今はどうだ。
綺麗に整えられた美しい藍色の髪。陽の光を受けて輝く赤紫の瞳。清潔なメイド服。洗練された動作。どこからどう見ても貴族に仕える使用人の姿である。
「よく似合っているね。シンディはなんでも着こなせそうだ」
「そうでしょうか、今まであまり服を気にしたことはなかったのですが。でも……ふふ、そうだといいなぁ」
ルトの言葉にどこか嬉しそうに笑うシンディは、なんだかんだとやっぱり女なのだ。美しい服にも惹かれるし、褒められて照れるところも年相応の少女に見える。
しかしそんな二人の間に何かが芽生える気配は全く無く、ルトは早々にメイド服の細部に興味が移ったし、シンディは私の格好が気になったらしく、しゃがんでまじまじと見始めた。意外と似たところもある二人である。
「エルも華やかな服が似合うと思います」
「巻き込むな。私にそんなもの必要ないよ」
動きにくい格好はもう懲り懲りだ。私は一度だけ着たことのある簡素な赤いドレスとそれを用意した屋敷のメイドの姿を思い出していた。
さて、この話はここまでとして、シンディにドルガントに呼ばれている事を伝えると話は通っていたらしく、私たちはそのまま彼女に連れられ屋敷の中へと足を踏み入れる。
通されたのはテーブルとそれを挟むように長椅子が置かれた応接室。そこで少し待つように言われ椅子に腰掛けて待つ事数分。一度出ていったシンディが戻った時、一緒に入ってきたのはドルガントと厄介息子のアレクだった。
「なっ!あの時のガキ!」
「あ?」
私の姿を見た途端指を刺してそんな事を言うものだから、つい睨み返してしまった。
小さく悲鳴を上げながらドルガントの後ろに隠れた子供のなんと情けない事か。いちいち腹を立てる労力すらもったいなく思えてくる。
「エル、まずは回復したようで何よりだ。時間を取らせてすまない」
「そいつと会わせる為に呼び出したのなら私は今すぐ出て行くけど」
「まあそう言わずに……アレク」
「アレク様……」
ドルガントの堅い声に名を呼ばれてびくりと肩を揺らしているのが微かに見えた。シンディはそんなアレクを心配そうに見守っている。
どうやらこの状況を見るに、謝る流れになっているらしい。もちろん私ではなくアレクの方が、だ。
彼らの間でどんなやり取りが成されたのかは不明だが、こうして相手を呼び付けてでも謝らせようとしているのには何か意図がありそうだ。
ドルガントが言い出したことなのか、それとも。
「だ……が……!」
絞り出すような声が聞こえたと思ったら、次の瞬間には怒鳴り声が応接室に響き渡ることになる。
「誰がそんなガキに謝るかよ!!」
領主の息子としてのプライドがそうさせるのか、はたまた本当にただ私みたいな子供が気に食わないだけなのか。
ドルガントの後ろから出てきたアレクはまた私を指差して声を荒らげる。
「なんで父上もこんな奴に謝れなんて言うんだよ!どう見たってただの小汚いガキだろうが!」
「アレク。エルはこの街の恩人だ。ギルバーだってそう言っていただろう」
「はぁ?お前までそんな絵空事を言うのかよ。魔王だって倒せなかったって言うじゃんか。あれだけ街を壊しといて!むしろこいつが原因だろ!」
それは半分以上正解なので返す言葉もない。
思わず腕を組んでうんうんと頷く私に隣に座っていたルトだけが苦笑いをしていた。しかしそんな私たちそっちのけで彼らの話は進んでいく。
「エルがいなければ我々はどうなっていたかわからない。ギルバーからの謝礼の前に、まずはお前たちの確執を解くべきだと話しただろう」
「屋敷を護ったのはシンディとそこのエルフだって話だろ!そいつがいなくたって……いや、いない方が上手くいったんだ!――シンディ、お前も見ただろ!あのエルフの魔術!あれがあれば魔王だって倒せていたはずだ!やっぱり俺の見立ては間違ってなかった!」
あれを手に入れることがこの街の――延いては父であるギルバーの為にもなるのだと。今度はルトを指差すアレクはこんな馬鹿でも一応父を慕う息子なのだろうなと私は感じていた。
街の為に。父の為に。厳選した力ある者を側に置いておく。それ自体はなんら不思議な事ではない。
罪人として放り出されそうだったシンディを迎えたり、ルトに目を付けたあたり人を見る目だけは確かにあるのだ。この性格と高すぎるプライドだけどうにかすれば良い跡継ぎにもなれるだろうに。
「ダメです。アレク様」
シンディは私たちを隠すようにアレクの前に立ち塞がった。あくまで冷静に。激昂する主人を諭すシンディの姿は、これまでの二人の関係を窺わせた。
「彼は道具ではありません。彼の力もアレク様の物ではありません。ディも間違っていたんです。だから、一緒に謝り――」
パシン、と。
シンディの言葉を遮ったのは、アレクの平手打ちだった。頬を打たれて視線を落としたシンディがそのまま口を紡ぐ。
「そもそもお前が負けなければ全て上手くいったんだ!お前が!戦うしか……っ、」
戦うしか能のないお前が。そう言おうとしたんだろう。だが、その言葉は続けられなかった。なぜならアレクは見たからだ。戦いなんかとは全く別の場所で光り輝く彼女の姿を。
あの日のシンディの姿は少なくとも、アレクを黙らせるだけの効果はあったらしい。
沈黙が落ちた応接室で、次に口を開いたのはここにいる誰でもなかった。
「品評会は中断となりましたが、結果は明白」
静かに開けられた戸の向こうには凛とした佇まいの女ーー伯爵夫人であるリリシアの姿があった。あの品評会の主催者である彼女はアレクの実の母親でもある。
突然現れた母の姿に飛び上がるほど驚いたアレクを見れば、その存在がどんなものかくらいは察せられるというものだ。
応接室に入ってきたリリシアが真っ直ぐにシンディを見る。
「品評会の優勝者に与えられる賞金は、あの日集まった者たちからの募金なのです。今回はこんな状況にも関わらず相当な金額が集まりました。何故だかわかりますね」
何故か、なんて。それこそ明白だろう。
シンディはこのクランデアの街が好きだと言った。そうしてこの街に尽くしてきた。あの日も訓練場に残ってたった一人悪魔と戦った。それをこの街の連中は知っている。
ドルガントも、クラリスも、ギルバーも、リリシアも。私が知らないだけできっと他にも沢山。集まった金額は、それだけ彼女の夢を応援したい者がいる証なのだ。
「……はい」
シンディは噛み締めるように短い返事を口にした。
もしかしたら彼女には事前に伝えられていたのかもしれない。突然言われたにしては随分と冷静だったから。少なくとも私にはそう感じられた。
ならば、きっとシンディには考える時間が与えられていたのだろう。
賞金の使い道。今後の身の振り方。そして、アレクのこと。
「……アレク様。ディは――」
シンディは頭を下げた。アレクに向けて。深く深く、頭を下げた。
汚い言葉を浴びせられたことも、理不尽な暴力を振るわれることもあったという。それでもシンディにとってのアレクは恩人で、数年間側で護り続けた大切な主人だった。
けれど、いつかは必ず終わりはやってくるもので。
「本日をもって、護衛の仕事を辞めさせていただきます」
夢を追うと決めたシンディは、ついにこの関係に終止符を打ったのだ。




