三十四
祭りの日は丁度満月になるらしい。
静かな夜の街を月を見ながら並んで歩いていたら、シンディがそう教えてくれた。
「その日だけは朝から夜までずっと街が賑やかで……ディはそれがとても好きなのです」
「この街が好きか?」
「はい。いろいろあったけど……でも、ギルバー様にアレク様、兵士長や兵の皆さんにも出会えました。街にもたくさん、良くしてくれた人たちがいます。ここは、ディにとっての出会いの街なのです」
隣を見れば月を見上げるシンディが楽しそうに笑っていた。夜なのにその姿がどこか眩しく思えて、私は自然と目を逸らしてしまう。
彼女はこの街で自分に降りかかった不運を既に乗り越えているのだろう。横暴なアレクのせいで今でも不便は多いだろうに。本当に凄いことだ。
対して、私はどうだ。
例えば、あの美しい金髪の女だとか。話すら聞いてくれなかったあの人とか。もし今目の前に現れたら、私はいったい何を思うのだろう。これは、もうなんの関係もない人たちだと理解しているからこその単純な疑問だった。
体の変化は実感した。ならば心は?
そっちは少しでも成長できているのだろうか。そんなことを考えてしまう。
「あの、聞いてもいいですか?」
その問いかけに遠くへ意識を向けていた私はふと我に返る。シンディはいつの間にか立ち止まっていて、私が振り返ると問いかけの続きを口にした。
「エルはどうして旅をしているのですか?」
――旅をしている理由
「冒険者ではないと聞きました。でもエルほど強い人をディは知りません。騎士団の人でもないのでしょう?」
十歳といえば通常なら加護されるべき子供で、権力も力も持たない弱い存在と言えるだろう。旅からは一番遠い安全な場所にいたっておかしくはないはずだ。
けれど私は旅をしている。力をつけて、危険も承知でこの広い世界に飛び出した。
きっとそれはシンディも同じだったのだ。
今の私と同じくらいの時に生まれ育った村を出てこの街に辿り着き、兵士になった彼女だからこその疑問。
「私は……」
すごい奴になりたいという曖昧な目標がある。でもそれが何を指しているのかは自分でも未だにわかっていない。
貴族の地位を捨て、冒険者にもなれず、恐らく商人にもなれず、ルトやシンディのような明確な夢があるわけでもない。
そんな今の私は放浪するだけの有り余る力を持った一人の子供に過ぎない。
屋敷で暮らした十年間は、将来家督を継ぐと思っていたアリシエルのものだった。それだけはわかる。あの頃はこんな風に旅をする人生なんて想像したことがなかったから。
そんなアリシエルはもういない。
だから私は――今を生きている、この神を意味する名を貰った私は。
権力に屈さず、誰にも虐げられず、力をつけ、自力で選んだ道を堂々と進んでいけるような、そんな人間に――エルという名に相応しい人間になれたらいいと思うのだ。
名が全てではないとわかってはいるけれど、見合う生き方をしたいと思う気持ちは自由だ。
今はまだ、道半ば。
「私はきっと、自分が何者であるべきかを探しているところなんだ。実に子供らしいだろう?」
そう言った私にシンディは少し驚いたような顔をした。何か明確な目的があるとでも思っていたのだろう。だが、残念ながら私にそんなものは無いのである。
多くを得て、築き上げて、最終的に私自身が選べるようにしておきたい。私の為にも、シロの為にも。それにはきっと時間もかかる。
だからこそシロには長生きしてもらわねば困るのだけど。肩で大人しくしているシロの体をそっと撫でながら思う。
なあ、あんたは、何を思ってこんな大層な名を私に与えたんだ?
(教えてくれない?)
(……今はまだ)
(わかったよ)
今はその返答があるだけ良しとしよう。
「それじゃあ、私は行くよ。お前を襲う奴なんかいないと思うけど、屋敷まで気を付けて」
「あ……えっと、エル!」
「ん?」
「エルはきっと、何にでもなれます!」
今度は私が驚く番だった。
シンディの長い前髪の奥から力強い赤紫の瞳が真っ直ぐに私を射抜いている。
「ディには難しいことはわかりません。でも、エルが道に迷っているわけでは無いことはわかるんです。だから、大丈夫!」
道に迷っているわけでは無い。その通りだ。私は今進んでいるこの道が間違いだとは思っていない。
自分探しの旅をしていることも、シロと共にあると決めたことも。全部私自身が選択したことだから。
だが、それを人から言われるのは少しむず痒い感じがする。なんだか、私のこの生き方が認められたみたいで。
私は意味もなく辺りに視線を彷徨わせて、それからなんとなく髪を一房指に巻いた。
「……ありがと」
それからはどうにも気持ちが落ち着かなくて、シンディと別れて街の外に出た私が魔物を探し始めたところで大きくなったシロに押し潰され、強制的に睡眠を取らされた。
保護者っぽいシロが戻ってきたので文句はない。おかげで次の日の朝には元気いっぱいの私がいた。
そして今日からはクラリスの発注書にあった魔物の素材集めが始まるのだ。
「タランキュラスなんてこの辺りにいるのか?狩る以前の問題な気がするんだが」
タランキュラスとはスパイダー系の上位種で、大きさは人の子供の半分ほど。スパイダー系の中では小さい部類である。
その見た目は実に華やかで、白と濃い桃色が入り混じったような花にも見える美しい蜘蛛だ。持っている毒は弱いがすばしっこく、目撃情報はあれど討伐した記録はさほどない。
主に深い森の奥に生息し、張り巡らせた糸に絡まった魔物を捕食して生きている。逆に言えば糸が張り巡らされている場所にはタランキュラスがいる可能性が高い。
ただ厄介なのが、タランキュラスの糸は半透明なので視認するのが困難なのである。
今まで不用意に森に踏み込みこんだ冒険者が糸に絡まりどれだけ喰われてきたことか。
そんな魔物の素材を要求してくるクラリスは、可愛らしい見た目からは想像もつかない様な無茶を言ったものである。
本気で良いものを作ろうとしてくれている証拠なので出来る限りのことはするつもりだが……そもそも見つからなかったらどうしよう。
「こんな時に冒険者ギルドが頼りになったらな……」
「無理なものは仕方がない。ほら乗れ」
背中を差し出したシロにひょいと乗ってしがみつけば、すぐにバサバサと羽ばたく音と浮遊感が襲ってくる。
なんだか二人だけというのは久しぶりな気がするな。まだ感覚的には旅を始めて数ヶ月くらいしか経っていないのに不思議なものである。それだけ賑やかな場所にいたということだろうが。
「うーん、タランキュラスは出会ったことないからどんな魔力かわからないな……」
「ポイズンスパイダーは見たことがあったろう。あれに似ているぞ」
「それってスパイダー系みんなそうなんじゃない?」
シロに王都の北側を広く飛んでもらいながら魔力感知で辺りを見渡してみる。
出会ったことのない魔物の方が多い私からすれば、地上は未知の魔力に溢れていて最早ちょっとした異世界に感じた。シロが何も言わないのでそれらしいものはいないんだろう。
王都の東側の森は通ってきた場所だかタランキュラスは見ていない。クランデア周辺の森にも何度か足を運んでいるが一度も遭遇しなかった。
あとはもっと西に行くか、更に北へ行って山へ入るかだが……
「とりあえず西に。人気がないところで一旦降りよう」
そうしてクランデアから西にしばらく進んだところにある、やたらと暗い森に私たちはやってきた。
見たところ木や草はクネクネと曲がった種類が多く、それが絡まって太陽の光を遮っていてかなり暗い。これは地面に足が付いてから気付いたが、空気中にもどんよりとした魔力が薄く広がっているようだ。
その不気味さに恐怖するようなことはないが、正直ここに入って数日で出てこられる自信が無い。主に私の興味的な意味で。
「む、中にいるな」
「そっかぁ」
ならば仕方がない。と、私は迷わずその森に足を踏み入れた。
僕も行きたかった!と後でまたルトに言われる気もするが、タランキュラスの糸を持ち帰る為だ。そう言い訳しようと心に決めた。




