三十二
死にかけの鳥。こいつは今そう言ったか?
「あれ、言ってなかったんだ?」
私の一瞬の動揺が伝わってしまったのか、まるでおもちゃを見つけた子供みたいにそいつは笑うのだ。そしてすぐに哀れむような目を向けてくる。
細かな心の動きを察知し、内側にスルリと入り込んで来るようなその様子に、魔王の片鱗を見た気がした。
「かわいそうに。死ぬ前の最後の晩餐だってことくらい伝えてあげればいいのに。本当にかわいそう」
シロは何も言わない。ただ静かに、やれやれと首を横に振る子供を見下ろしている。
否定をしないのは、少なくともその必要がないからか。
何か言ってくれたらいいのに。そうしたら、私はきっとそれがどんな内容だって信じるだろう。
いつもは口に出さすとも聞こえる声がさっきからずっと聞こえない。
「だからさぁ、そいつが死んだらオイラのとこに来いよな。同じように魔力使わせてやってもいいし」
今度は子供らしくニッと笑ってそいつが私を見上げてくる。
魔力が欲しいというのは事実なのだと思う。そうでなければこんな得体の知れない奴が私に構う理由がない。代わりにこいつの魔力を使わせてくれると言うのなら、今の私の状況からもさほど変化はないかもしれない。
もしこの先シロに何かがあって私だけが取り残されるとしたら……確かに、これは良い条件なのだろう。
「……もし、」
例えば、あの雨の夜に出会っていたのがこいつだったら。私はどうなっていただろう。
そう考えて、自分の内にある契約の証に触れるつもりで胸に手を当てる。
死にたくなかった。死ぬよりはマシだと思った。だから私はシロと契約した。私の選択はいつだって、自分が後悔しないことが基準になっている。
シロと共に旅をするようになって、今日までに後悔したことは一度もない。
だからこそ。
それはきっと、これからも。
あの日に出会ったのがこいつだったら私はきっと今ここにはいない。そう思う。
だって、あの時私が最終的に決断できたのはシロの純粋な言葉があったからだ。
屋敷にいた間誰かに褒められることも、認めてもらうことも無かった十年という時間。たった十年。けれど、あの瞬間の私にとってはそれが一生だった。
それを、シロが――幻獣フェニックスが初めて認めてくれた。必要としてくれた。
たったそれだけのことに胸が熱くなってしまうのは、私が子供だからなのかもしれないけれど。
だからこそ私は目の前の子供と、肩にいるシロへ向けて同じ言葉を告げるのだ。
「この契約が無くなる時が来るなら、私は一緒に死ぬよ」
命を差し出すと決めた。自分で選んだんだ。シロと共にいることを。骨の髄まで幻獣フェニックスのものであることを。
だから、食われるならシロがいい。
死ぬなら連れて行ってくれ。
「お前には渡さない。絶対に」
私の魔力には価値がある。それを教えてくれたのはシロだ。そんなシロが魔王と呼ぶこいつも欲しがるなら確かにそれなりの価値はあるのだろう。
ならばその使い道は私自身が決める。少なくともこいつには渡さない。
「あーあ、上手く手懐けられちゃってるのかぁ。残念」
「少しも残念そうじゃないけどな」
「だって奪う方が楽しいじゃん。でもまぁ、今回は見逃してやるよ。お前たち面白すぎ」
うん、やっぱりこいつは敵だ。私はそう判断した。
今後魔力目当てで私やシロにちょっかいをかけてくるのなら、全力で相手をして討ち倒してやる。
今度こそ片手鍋を持ち出した私に子供はサッと立ち上がると距離を取って宙に浮いた。羽があるわけでもないのに飛べるのか。羨ましい。
「あっ、そういえばオイラのこと教えてなかったな」
「別に知りたくもないけど」
「まあそう言わずに。えー、オイラの名前はゼグ。生まれたばっかだけど魔王の性質を受け継いでんだ。前の記憶は無いけど知ってはいるって感じだな」
昔倒されたという魔王とは別個体の魔王。だが情報はある。
なるほど、だからシロもこいつも生まれ変わったと認識しているわけか。
どう考えても復活より厄介な状況になっている。なぜ私は巻き込まれているんだろう。まだ悪魔にすら出会ってなかったのに初っ端から魔王が現れるなんて思ってもいなかった。
というか本当に魔王なら王都周辺に現れているらしい悪魔もこいつの仕業なんじゃないだろうか。生まれたばかりと言っているし、悪魔が最近になって出現し始めたことと無関係ではないはずだ。
この街にいたことも引っかかる。なんの目的で魔王が人の街にいる?
わざわざ私を追ってきたわけじゃないだろう。
「なあ、お前は?名前なに?」
「誰が教えるか」
「ええー、まあ知ってるんだけどなー」
なんだかこのゼグという魔王と話していると無性に腹が立ってくるな。今回は見逃す気でいるならさっさとどこかへ行ってくれないだろうか。
そんな思いで睨みつけるとゼグはまた笑ってからパチンと一度指を鳴らす。するとその後ろに黒いモヤのようなものが現れた。あれはいったいなんだ?
見ていると次第にそのモヤはゼグの体を包み始め、そうして徐々に薄くなっていく。
よくわからないが、転移の魔法のようなものだろうか。どうやらようやく帰る気になったらしい。
「それじゃあまたな、アリシエル!考えといてくれよー!あっ、エルの方がいいんだっけ?」
「魔力も渡さないし次そっちで呼んだら殺す」
と、最後にまた癪に触ることを言い残してゼグは消えていった。いったいどこへ行ったのやら。
叶うなら二度と姿を見たくないと思うのだが、この縁は不思議なもので、これから先何度も繋がることをこの時の私は考えてもいなかった。
こうして魔王という脅威が去ったことで私たちの間に静寂が訪れる。
結局シロはあれから何も言わなかった。ゼグの言葉の真偽もわからない。
だが、それでもいいと私は思っている。
不安が無いとは言わないけれど、きっといつか必要になった時に話してくれる。そう思うから。
「それよりどうしよう……こんなに明るいと塀飛び越えるわけにもいかないしな……」
また税金を払って街の中に戻るのも損した気分になる。それなら暗くなるまで外で時間を潰した方がいいかもしれないな。と、私はその時たまたま目に入った鉱山の入り口に向かって歩き出していた。
まったく。ゼグも面倒なことをしてくれたものだ。
そして数日経った夜。
「エル?いったいどこに行ってたんだい?」
「いや、鉱山に入ったら迷って出られなくなってさ」
「鉱山!?あそこに入ったのか!?」
ジャラジャラと抱えていた色とりどりの魔石をテーブルに置いて椅子で一息ついた私に、ルトとドルガントが驚いて寄ってきた。クラリスはまだ職場から戻っていないらしい。
鉱山の中は進めば進むほど本でも見たことのない魔物が出てくるものだから、面白くなってしまい狩りまくっていた結果がこれである。
内部が入り組んでいたせいで外に出るのに数日かかった。しかし後悔はしていない。
「Aランクの冒険者でも攻略の難しい鉱山だぞ……」
ドルガントによると、あの鉱山は少し前まで冒険者の修行場として解放されていた場所なのだそう。
珍しい魔物がいる分手に入る魔石も価値が高い。もちろん挑戦する冒険者は後をたたなかった。だが、出現する魔物のランクがまばらで迷いやすい構造をしている為とにかく危険だったのだ。
Aランクの冒険者パーティが挑んだものの、リーダーが酷い怪我をして命からがら逃げてきた時に領主とギルドマスターが話し合い、ついには立ち入り禁止エリアとなったらしい。
「ふーん、冒険者も大したことないんだな」
「まぁ、エルの実力はSランク冒険者と比較しても同等かそれ以上だと思うし今更驚かないけどさ。僕も珍しい魔物は見てみたかったなぁ」
「それなら祭りが終わったら行こうか」
「わぁ、いいね!」
あの鉱山に出てくる魔物をルトが絵に描き売り出したらそこそこ売れるかもしれないし。
よし、ルトにはこの街にいる間に商人ギルドへ登録してもらおう。絵描きとしての名も売れるし、何より旅の資金源になる。この機を逃す手はない。
そうして、仮にも立ち入り禁止エリアへ堂々と踏み込むことを決めた私たちを、兵士長であるドルガントは頭が痛そうな顔で見ているのだった。
「それよりも、デザインの方は固まったのか?」
「あっ、そうだった。衣装のことでエルに幾つかお願いがあるんだよ」
お願いとはなんだろう。
ルトが奥から持ってきた紙を魔石の横に広げると、そこにはびっしりと文字が書かれていた。
「これは?」
「クラリスからの発注書ってところかな。デザインの方向性はあらかた決まったんだけど、やっぱり本人と一度会いたいって。後はいろいろと魔物の素材を集めてほしいみたいだよ」
「確かに一度も会わずに衣装を作るのは無理があるか。わかった。そこはなんとかするよ。それで魔物の素材?そんなもの何に使うんだ?」
「布とかアクセサリーの材料になるんだよ。やっぱり良い物には良い素材が使われてる。エルに頼めば大抵の物は用意できるよって話したらこんなことに」
「なるほど……」
一番多いのはスパイダー系の糸だろうか。よく使う物は仕立て屋にも在庫はありそうだが、今回頼んでいるのは普段使いしない華やかなステージ衣装である。スパイダー系の上位種を指定しているのは、それが最適とクラリスが判断したからなのだろう。見たところ出会う確率も低そうな魔物だが、まあなんとかしよう。
「引き受けるよ」
「ありがとう!あと、エルには魔法でアクセサリー作りとかもお願いしたくて……あっ、一番重要なのはベールって言うひらひらした布で――」
つらつらと喋り続けるルトの話を聞きながら、もしかしたら自分の仕事が一番多いかもしれないと私は静かに覚悟を決めていた。




