二十一
今回はルトの過去編になります
「母さん!母さん見て!」
「まぁ、上手に描けてるじゃない」
紙に描いた絵を褒めてくれる母が好きだった。
森に生えている植物の繊維から苦労して自作した紙。そこに鉱物を砕いて作った画材で絵を描くことを覚えた幼い僕は、それを母に褒めてもらうことがこの頃の何よりの楽しみだったんだ。
生まれつき魔力が少ない僕には、紙を作ることも、鉱物を砕くことも容易ではない。なんせ魔術が使えないから。里のみんなが当たり前にできることのほとんどが僕にはできない。
それでも苦労して描ききった花の絵を母が喜んでくれる。それだけでいいと思っていた。
「魔術が使えないエルフなんてかわいそうだよな」
「あんなにひ弱に生まれたのは何故なのかしらね」
「なにか良くないものに取り憑かれているんじゃないか?」
「でも絵を描くのは上手だよ」
「そんなもの、ここで生活するのに何の役にも立たないだろう」
「狩りをしてくることもできないしな」
「それどころかみんなと一瞬に仕事もできない」
「今はまだ子供だからいいけど成長したらどうするつもりなんだろう」
「まったくだ。何かひとつでも魔術が使えたらよかったのに」
魔術、魔術って、みんなはそれに頼りすぎだと思うんだ。
確かに時間と労力はかかるけどゆっくりでも生活はできる。そんなに急がないでよ。
「このままじゃ何もできない大人に育ってしまうんじゃないか」
「もっと厳しく言ったほうがいいわよ」
「いつまでも絵なんか描かせていないで働かせた方がいい」
「遊びはほどほどにさせなさい」
「母親のあんたがしっかり言わなくてどうする」
母さん、見て。綺麗な紙が作れるようになったんだ。ひっかかりも無く描きやすくてこれならもっと上手に絵が描けるよ。
「母さん!」
「スフェルト、もうお絵描きは卒業しましょう」
「えっ……?」
「魔術を教えてくれるって人がいるの。きっとあなたにも使える魔術を見つけてくれるわ」
どうして。僕は魔術なんて使えなくたっていいよ。それより見て。珍しい鉱物を見つけたから加工して絵に色を付けたんだ。綺麗だよ。
「スフェルトには本当に魔術の才能が無い。何をやらせてもできる気配がまるでない」
「お願い、もう少しだけ……このままじゃあの子がかわいそうよ……」
ああ、そうか。母さんは僕のことを心配してくれている。このままじゃ僕が大人になった時に苦労するから。みんなについていけなくなるから。
僕に魔術が使えないから。
――わかったよ。
「あの子は天才だ!全く新しい術式を描いて見せた。しかもそれで魔術が発動したんだ!」
「我々には理解できない術式だった。あんなものいったいどこで……」
「ああ、でもこれであの子もやっと、普通の暮らしができるのね……!」
みんながいつも魔術を使う時に見える術式に、魔物のそれを合わせてみたんだ。何度も何度も失敗はしたけど、でもできるようになった。
僕にだって魔術は使えるんだよ。
「スフェルト、その魔術、いったいどうやって……?」
「この前見た魔術に違う魔術を組み込んでみたんだ。こうした方がもっと便利だよ」
「は……?あれは、我々が長年研究を重ねて編み出した魔術だぞ。それがそう簡単にできるわけ……」
「えっ、でも、見せてくれたから……」
そうして大人になった頃、結果的に里に僕の居場所は無くなっていた。
誰もが僕の前で魔術を使うことをしなくなった。たくさん勉強してたくさん訓練してようやく使えるようになった魔術も僕に見せたら一瞬で模倣されてしまうから。
「母さん。森に花が咲いていたから久しぶりに絵を描いてみたんだ。上手く描けたと思うんだけど、どうかな」
「そんなことより、仕事はどうしたの。あなたはいろんなところで頼りにされているんでしょう?」
「……僕がいると他の子が育たないからって」
「そう……、そうよね……なんでもできてしまうのは羨ましいわ……」
母さん。母さん。
僕は魔術なんて使えなくてもよかったんだ。ただ、僕が描いた絵をあなたが喜んでくれる。それだけでよかったんだよ。
「そんなことより、か……」
僕は三十年暮らした里を出ることに決めた。
旅に出て見聞を広めたいと最もらしい言い訳はつけてみたけど、引き止めようとしてくれる人は誰一人としていなかった。
それから気ままな一人旅が始まった。
見ただけで魔術が使えるからと言っても、僕に魔術の才能が無いことに変わりはない。攻撃魔術だって威力はそんなに高くない。大型の魔物と遭遇した時は隠れるか逃げるかしてなんとか生き延びる生活だった。
楽しいことはある。見つけた遺跡を探索すること。そこで見つけた珍しい生き物や花や景色なんかを絵に描くこと。一人で没頭できるそんな時間が僕には心地が良かった。
でも、感情を共有し絵を見せる相手がいないのはほんの少し寂しかった。
外の世界は思っていたよりも殺伐としている。
人や亜人は身分に縛られていることが多く、それなりに栄えた場所では人攫いが横行していた。親もいない貧しい子供、病気の人、老人なんかは特に大変な思いをしている。
だからほんの少しだけ力になれたらいいと思って与えた道具は誰もがすごく喜んでくれた。たくさん感謝されて、何よりこんな僕の力が誰かの役に立っていることが嬉しかったのは事実だ。
でも、どこにも居着くことができなかったのは、自分のこの力が異質なものなのだと理解はしていたからだ。
旅を始めて何十年かが経った頃、海の近くの洞窟に小さな祠を発見した。
きっと昔の人たちが海の災害を鎮めるために作ったもなのだろうと思う。この辺りの海は荒く水害も多い地域だったから。
そんな祠の周辺を調べていたら、奥に続く細い道があることに気が付いた。覗いてみればかすかに塩の匂いがする。海に直接繋がっているのかもしれない。と、なんとなく進んだその先で僕は出会ったんだ。
「こんなところにエルフとは珍しい」
「なっ……えっ……!?ドラゴン!?」
それはそれは見事な青いドラゴンだった。
青と言っても深い海のような青だ。翼の内側や角なんかは金色で、でも変に目立つということもなく落ち着いていて重厚感がある。まるで芸術作品のようだと僕は思った。
その場所は岩が削り取られたようなそこそこ広い空間で、ぽっかりと開いた穴の向こうはそのまま海に繋がっている。低い波がひっきりなしに押し寄せていて、海が荒れればこの場所は埋もれてしまうんじゃないだろうか。
そんな岩の岸辺にその青いドラゴンは静かに座っていた。
もちろん驚いて逃げ出そうとした。けれど僕がそうしなかったのは、ドラゴンが酷い怪我を負っていて体内の光り輝く魔石が見えているような深刻な状態だと気付いたから。
助からない、と悟ってしまったから。
「だ、大丈夫……?」
我ながら間抜けな問いかけだったと思う。大丈夫なはずがない。というかドラゴンだって僕みたいなちっぽけな存在に心配されたくはないだろう。
けれどそんな間抜けな問いかけがよかったのか、ドラゴンは僕がここにいることを許してくれた。無害なエルフだとわかったんだと思う。
「貴様はエルフのくせに魔力が薄いな」
「……うん。だけど術式があれば魔術は使えるよ」
「ほう、どんな魔術を使うのだ?」
「普通の魔術さ。あとは魔物の魔術とかも…」
「魔物のそれは貴様らの魔術とは別物よ」
「そうなの!?あっ、だから他の人にはわからないのか!」
僕は見えてしまうから同じものだと思っていた。全くの別物なら仲間たちが理解できないのも頷ける。
どうやら僕の術式は真に人の道から逸脱したものなのだとこの時初めて気が付いた。
それから僕は毎日そこへ通うようになった。
ドラゴンの命があとどれだけ保つのかはわからない。けれど、一日の大半を寝て過ごす様子は少しでも力を蓄えているように見えた。
目を覚ましている短い時間は僕と会話をしてくれる。術式は知っていても使えていなかった魔法の使い方なんかも多くはこの時教わった。
眠っている様子を描いていた絵を見られた時は少し慌てたよ。だって死にかけた姿なんて残されて嬉しいはずがない。
それでも手が止められなかったのは、目の前にあるその光景を美しいと思ってしまったから。
「鉱物を画材を使っているのか」
「うん。鉱物を砕いて魔物の素材を少し合わせたりすると画材が作れるんだよ。いつもそれを使って描いてる。僕はあんまり戦えないから手に入れるのは苦労するんだけどね」
それでもこうして旅をしながら絵を描き続けているのは結局は好きだからなんだろうな。
「それなら、いいものがある」
そう言ってドラゴンが差し出したのは自分の魔石と血液だった。
驚いたなんてものじゃない。足元の岩に滑って持っていた道具をぶちまけるくらい僕は動揺した。
目の前のドラゴンの魔石は砕けていて、今はもう残骸が胸の辺りに残っている程度。でもそのカケラは落ちて波打ち際の岩の間で光っている。
これを使えって?いったい何を言っているんだ。
「ドラゴンの素材なんてそれこそ世界中が欲しがる貴重品だ。僕なんかが貰うわけには……」
「戯けが。誰もやるとは言っとらんわ」
「えっ?」
「貴様、形状変化の魔法を知っているだろう。あれを使ってこの素材で画材を作ってみよ」
「ええ……?」
何を無茶なことを言っているんだこのドラゴンは。
そもそも僕にその魔法は使えない。
例え外から魔力を取り込んだとしても発動が安定しないのだ。そういくら説明してもドラゴンはわかってくれなくて、結局やるだけやってみようと決めて恐る恐る魔石の欠片を拾い集めた。
近場の平らな岩に紙を一枚敷いて術式を刻む。そこに魔石の欠片を一つ置くと、その横にドラゴンが血を一滴垂らした。
そうして術式に触れると、それは一瞬青い光りを放ち、そして爆発した。
「けほっ、けほっ、いったぁ!」
僕は衝撃で転がり岩に頭を打ちつけるわ、立ち込めた黒い煙を吸い込んで咽せるわ散々だ。
「本当に才能が無いな」
「ひ、ひどい……」
「ほれ、もう一度だ」
「ええ〜!」
そうして何度か試したけどやっぱりできなくて。
魔石の欠片はダメになってしまうし、こんなこと続けても意味ないんじゃないだろうか。それでもなぜかドラゴンは諦めてくれないんだ。
「ふむ。何か形あるものを思い浮かべて触れてみよ。貴様に足りぬのはイメージだ」
「イメージ……」
形あるもの。画材。といえば、僕にとってはやっぱり鉱物だ。でもそれは今魔石があるし、もっと別の……そういえば、人間の貴族たちが面白そうなものを使っていた。
鳥の魔物の羽を使った、羽ペンという道具である。あれは羽の軸が空洞になっているのを利用したよく出来た道具だった。
もし、魔石であれを再現できたとしたら。
「いや、でも僕にできるかな……」
「何か思いついたのならやってみよ。次は我も手伝ってやる」
「えっ、そんなことできるんだ……」
それなら最初から手伝ってくれたらよかったのに。そんな文句は胸にしまって、もう一度岩の上に術式を描いた紙を広げた。
そこに魔石の欠片と、血液を一滴。
「そういえば、貴様の名を聞いていなかったな」
「あー……えっと……ス……うーん…………ルト!そう、ルトだ!」
「今考えたな。我に嘘を付くとは肝の座ったやつよ」
「い、いや!嘘じゃなくて!なんて言うかさ、僕の名前を呼ぶのって故郷の仲間たちくらいだから。いい思い出はあんまり無いし、この際だから名前も変えちゃおうかな……なんて」
どうせこの名前だって呼ぶのはこのドラゴンだけだ。
旅先で出会った人たちは僕の魔術を見るとみんな魔術師、だなんて呼ぶんだ。特に道具を譲った人たちはそう。喜んでもらえるのは嬉しいけど、気軽に話せないのがちょっと寂しい。
こんなに会話ができたのだって本当に久しぶりなんだ。相手がドラゴンっていうのは驚きだけど、でも。
「と、友達には、特別な名前で呼んでもらいたいな……とか……ほら、あ、愛称っていうかさ……そんな感じで……」
いや、憧れてたわけじゃないよ。うん。
ダメかな、と恐る恐る見上げてみる。ドラゴンはいいとも悪いとも言ってくれなかったけど、頭を下ろして僕の側に来たと思ったら「ルト」と一度だけ呼ばれたので受け入れてくれたと信じたい。
「ほら、やるぞ」
「うん。えっと、羽ペンみたいなイメージで……」
画材。絵を描くための道具。どうせなら無くならないものがいい。見た目はそうだな……このドラゴンのように海を固めた感じで。金色の装飾は絶対にあったほうがいい。
細かいイメージを浮かべなから術式に触れると明らかに今までとは違う綺麗な青い光りが広がった。
これは僕だけの力じゃない。ドラゴンの魔力がほんの少しだけ流れてくるのを感じる。本当に手伝ってくれているんだ。
そうしてどれだけの時間が経ったか。青い光が次第に収まった時、そこには美しい道具が出来上がっていた。
イメージ通り、海を固めたような深い青色に金の装飾の入ったペンだ。中には液状にした魔石と血液を混ぜた液が入っている。これは使っても使っても減らない魔力の液。色はその都度変わるように術式も組み込んである。
「で、できた!できたよ!」
きっと僕だけの力じゃ永遠に完成しなかった。ドラゴンが手伝ってくれたから作れた奇跡の道具である。
これで描いた絵はいったいどんなものになるんだろう。
「そうだ!試しに、キミを描いてみても――」
側にいたんだ。
僕を手伝う為にいつもは高いところにある頭を下げてくれた。僕が教えた名前をたった一度だけ呼んでくれた。
側に、いたはずなのに。
そこには、亡骸だけが横たわっていた。




