百四十八
王都の北側にある雲をも突き抜ける巨大な木。それはこの国ができるずっと前から変わらずそこに存在しているもので、今は王都を魔物から護る強力な結界を張っている。
結界自体はシロの魔力を得た木が勝手にやっていることだと前に聞いた。私はそれをシロがあの木を寝床にしていたせいで起きた現象なのだと思っていたが、どうやら違うらしい。
「不死鳥が転生する為には膨大な量の魔力が必要なのです。それを次の転生が起きる千年後へ向けて溜めておくのがあの聖樹。つまり不死鳥と聖樹は別々のものではなく、合わせて一つの生命機関なのです」
「待って。それって、シロが転生するのに木の魔力を消費したら、今ある結界は消えるってこと?」
「そうなりますね。けれど、そもそもあの結界はあの方が通常よりも長く生きたことで生じた副産物のようなもの。消えたところで問題はないのでは?」
「いや問題大有りだからな」
不思議そうに首を傾げるミカエルは、やはり人間に対しての興味が非常に薄い。憎むほど嫌っているのだから仕方のないことではあるのだが、しかしこの認識だけは改めてもらわねば困ると私はあの結界の重要性について軽く話して聞かせることにした。
「あのな、王都は結界の中に作られた。そこに住んでいる者たちは皆それを頼りに生きているんだよ。あの中にいれば魔物に襲われる心配なんかしなくていいからな」
「まぁ、大多数の人間や亜人は安寧を求める生き物だからね。今まで結界があったから安心して暮らしていたはずが、それが急に無くなるのだとしたら混乱は目に見えているよね」
「あ、なるほど。ディは王都にも行ったことはありますが、あの街は結界の外とはまるで別の世界のように感じました。あの穏やかさは魔物の驚愕が無いからだったのですね」
と、どうやらシンディも王都の結界については詳しく知らないようで私とルトは思わず苦笑した。確かに戦闘能力の高い青藍の民からすれば、結界などあってもなくても変わらないのだろう。
けれど戦う力のない者たちは違うのだ。特に魔力を持たない人間や、権力にしか興味のない貴族、そして王族はあの結界に頼って生きているところがある。それが突然無くなったら混乱どころの話ではないかもしれない。最悪暴動が――いや、おそらくシロの転生を阻止しようと動く者が現れる。それができる手段があるのかは不明だが……
私が考え込んでいると目の前でミカエルが「そうですか」とため息混じりに呟いた。
「やはり、愚かですね。お話から結界の重要性はある程度理解しました。しかし、そんなものに頼って生きる者たちなど放っておけば良いと思います」
ミカエルからすれば結局はそうなるか。相変わらず意固地な奴だなとは思うけれど、私はその考えを否定する気はさらさら無い。どちらかと言えば私も同じ部類だとも思うので。
だって、シロが戻ってくると言うのに他人などどうでもいいじゃないか。
しかし、まあ、ここは落ち着いて考えよう。私だっていつまでも世間知らずな子供のままではないのである。
私はムッとしているミカエルをちょいちょいと手招きして近くに来させると、子供の小さい手で紫色の頭を撫でてやった。こうされると固まり切った思考回路が幾分かは柔らいで冷静になれることを知っているからだ。
ミカエルは撫でられていることを理解した途端ピシリと固まってしまったが、そんなことは気にせず私はその頭を撫でながら更に話を続ける。
「私も放っておきたいのは山々だが、王都には知り合いもいるんだよ。それに私がシロと繋がっていることを王族は知っている。もし奴らがシロと聖樹の関係まで知っていたら、結界が消えた責任をなすり付けられるかもしれない」
「…………そんなことになったら、私が、王都を潰します」
「ダメだ。というか私も一応人間なんだが。その盲信的な言動はなんなんだ?人間は嫌いなんじゃなかったのか?」
あんなに殺気立って襲ってきたくせに。こうして大人しく撫でられているのもそうだが、今のこいつの言動は私に対して贔屓が過ぎる。何の心境の変化があったというのだろう。
不思議に思っていると突然撫でていた頭が跳ね上がってズイッと顔が寄せられた。私はその圧に負けて思わず後ろに下がってしまう。
「貴女を人間どもと同じ扱いなどできるものですか!」
「えっ、でも私は……」
人間なんだが、と言いかけた私はジトッとした目線を複数感じて思いとどまる。ミカエルはともかくルトまでか。唯一シンディだけが首を傾げているのが救いである。
「神。貴女は私のような存在と、ご自分の魔力を使って契約をしました。それどころか幻獣の魔力がほとんど流れてこないその状態でも意識を取り戻した。私という存在を維持し続けたまま。それだけの魔力が今も体に残っている証拠です」
「うんうん。ミカエルから話を聞いたラグナも物凄く驚いていたよ。キミはその大天使をテイムしている状態なんだって。ちなみにスライムでもテイムするには膨大な魔力が必要だって話だよ。現代人には不可能なんだとか」
なんだそれ。
今の私は確かにシロの魔力がほとんど無い状態だ。弱まった魔法陣からは流れ込んでくるものも無く、常に稼働していた魔力回路は最早消えかけている。
それでもこうして魔力が枯渇することなく意識を取り戻せたのは、元の私の魔力が戻ってきているからに他ならない。今はその私の魔力もミカエルの存在を維持するのにかなりの量が使われているはずだ。
それはわかるけれど、正直あまり実感の無い話に私は他人事のように二人の話を聞いていた。
ラグナが言っていたならば私がテイマーの真似事をしてミカエルという大天使を従えている状態であるのは事実なのだろう。それはいい。しかしそれが現代人には不可能というのが少し気になる。
彼女はその力を持った人間が新しく生まれてくることはないと言った。だからこそテイマーの魔術師は貴重で、この世界には数える程しかいないとされているのだろう。それが魔力量の問題だとすれば、その力を扱える程の魔力を有した人間が現代には生まれてこないとも言える。
時代が進むにつれ魔術が退化しているように、人間が持てる魔力量もどんどん減ってきているのか……それとも、魔力に対する適性が無くなってきているのか。それはわからないけれど、そんな世の理に反する事態が私に起きている。二人が言っているのはこれだろう。
「シロの魔力のせいかな。もう何が起きてても驚かないよ私は」
「そんな楽観的でいいんですか……」
おそらくシロの魔力に体が慣れたことでそれだけ保有できる魔力量も増えたのだと思う。
自分の体がおかしな変化を遂げるのにはもう慣れたものなので、私はあまり気にしなかった。おかげでミカエルの存在を維持しながら私も活動できるのだし。何を悲観的になることがあろうか。
「これなら聖樹も登れるだろ。だったらなんでもいい。魔術は……使ってみないとわからないが、何かあった時に戦えるくらいには使えたらいいけど」
後で試してみるか、と思っていると側に居たミカエルが座り直してまたもや不機嫌そうな顔をする。この短時間で随分と感情が表に出るようになったものだ。最初はあんなにもツンツンしていたのに。
いや、もしかしたらこれが本来のこいつなのかもしれないな。もともと人懐っこい奴で、それがロキルなんかの研究に使われて人を信用できなくなっていた。私は一応こいつの命を救ったことになるので、それで慕ってくれているだけだ。
だから意を決したように「私も共に行きます」と言い出したミカエルの言葉を、私はすぐさま「ダメだ」とばっさり切り捨てた。
「なぜです。私ならば貴女に何があっても助けになると思いますが」
私も今の自分が通常では考えられない量の魔力を保有していることは理解した。けれどそれはあくまでも本来の私の魔力であって、シロのような特別なものではない。
戦いだって今までのようにはいかないだろう。それはわかる。だからミカエルがいてくれたら助かることもまた事実。けれど、私がその言葉に頷くことは決して無い。
じっと見据えた女の目は、何に怯えているのか、微かに揺れている気がした。
「――他人の為に生きようとするな」
私がそう言えば、息を飲んだのがわかる。
「せっかく役目から解放されて、これから自由に生きられるんだろう。私なんかに構っていないでその時間は自分の為に使えばいい。その代わり全てに責任が伴うけどな」
私は既に魔力を渡した代わりに情報をもらっている。だから後は好きに生きればいいと思うのだ。これからも魔力は渡し続けることになるので、それが気になると言うなら私が本当に困った時に少し手を貸してくれたら有り難い。私がミカエルに望むことはそれくらいなのである。
私が死ねばミカエルも死ぬはずなので、今まで以上に自分の命は大事にしなければとは思っているが。今はシロの再生の魔法もほぼ使えないから余計に。それが私の責任だとも思うから。
「やりたいこと、何かないのか?」
そう問えば、ミカエルは少し俯いてしばしの間黙った後、ゆっくりと震える唇を開いた。
「……生きたい。平和に生きたい、です。仲間たちと一緒に」
こいつの言う仲間とは、同じ天使たちのことなのだと思う。ここにいるのは二千年を孤独に過ごした天使だ。仲間との再会を望み、平和に生きたいと思うのは真っ当な願いに私は感じた。
けれどそいつらが今どこにいるのかはシロですら知らなかったはずだ。この広い世界を当てもなく探し回るのは時間だってかかるだろう。
ならば、良い案がある。
地面に手を付いて身を乗り出した私は、ミカエルの名を呼んで取引きを持ちかけた。
「私が旅のついでに天使を探そう。だからお前はここで、街を更に発展させてみるのはどうだ」
もちろん天使が暮らしやすい街だ。かつて天使は地上で暮らしていたと言うし、住みやすい街ができれば戻ってくることもあるかもしれないし。
人間を受け入れるかどうかはミカエルが自分で決めればいい。まだ憎いと言うなら今残っている住人だって追い出してしまえばいいと私は思う。
全てはミカエル次第だが、もし街を発展させていくのなら私も近くに来た時に立ち寄らせてもらえたらそれで良い。この空間やこの場所に存在する鉱物は私も調べてみたいと思っていたのだ。
そんな取引きでどうだろうという私の提案に、俯いていたミカエルは顔を上げて目を瞬かせていた。
けれどすぐにその雰囲気が明るいものへと変わっていったので、かなり前向きに考えてくれそうだとわかる。私はそれだけで満足だった。
「つまり、神を崇める国を起こすのですね。それは素晴らしい提案かと思います」
「……なんて?」
少し可笑しな方向に話が進みそうなことには頭を抱えたくなったが。まぁ、お前がそれでいいならいいんじゃないかな……うん。




