百十七
「えっ、大神官相手に喧嘩を売ってきたって?」
「正確には神殿にだけどな」
夕方。昨日と同じような時間に宿に戻ってきたルトとシンディは、床で地図や絵が描かれた紙を広げていた私を見てすぐに何かがあったことを察したらしい。自分たちの荷物を整理してからそれぞれのベッドに座って話を聞く体勢になった二人に、私は昼間の交渉のことをかいつまんで説明した。
大神官スノーツ。そして聖女。奴らはシロの力を狙っている。これからも私がシロと一緒にいる限りずっと追い続けてくると言うのなら、早めに対処しておくに越したことはない。
「こんな短時間でそんな大事になるなんて……」
「そんなに大事なのですか?」
「うん。神殿はともかくこの国では聖女の名前の持つ力が大きすぎる。本当にエルが聖女と事を構えるとなれば国にとっての一大事だよ」
そんな大袈裟な。軽く笑いながら私がそう言えば、ルトにじとっとした目を向けられた。どうやら事の重大さをわかっていないのはシンディだけではなく私も同じらしい。
いや、だって。先に仕掛けてきたのは向こうじゃないか。一応私は手を引けと言ったぞ。そうすれば見逃してやるとも言った。なのに否を返してきたのだからもう潰すしかないだろう。国なんか関係ない。これは私と奴らの問題だ。
やる気は十分といった私の様子にルトは今までに無いくらい深いため息を吐いていた。
「エル。キミは自分がどれだけの力を持っているのか自覚してないんだと思うけど、キミ自身の成長も含めて本当に凄いものなんだよ」
その言葉、そっくりそのまま返してやろうか。ついそう言ってしまいそうになったけれど話が進まないのでやめておいた。論点をずらすのは良くないよな、うん。
私の力。私自身の成長。
そう言われても正直よくわからない。
今私の内にある魔力は全て借り物だ。体が成長しないとはつまり、いくら鍛えても筋力だって変わらないということだ。
内面の部分で言えば少しは成長できていると思うし、魔術や魔法の知識に関しても旅を始める以前よりかは確実に多くなっている。新しい剣も得て前よりもできることが増えたのも事実。それを成長と言えば確かにそうなのかもしれないけれど。
「わからないって顔だね。まぁ、無理もないと思うけど」
そう言って、ルトは困ったように笑みを浮かべながらも話を続けた。それはルトの目に映る私についての話である。
「出会った時からずっとキミは可笑しな人間だったんだ。もちろん性格や内面の話じゃない。僕もいろんな場所を旅してきたけど、それでも一度も見たことのない状態だったってことさ」
人間でありながら魔物の力の証である魔法陣を内に有していること。それは酷く不安定で、危なっかしくて、人としての輪郭すら揺らぐこともあったという。見ている側としては常にハラハラさせられていたとルトは言った。
けれどそれは時を追うごとに安定感を増し、定着し、今では私の輪郭が揺らぐことも滅多にないそうだ。それはなぜか。私の体が魔物の魔力に適応してきているからだ。
「寝ている時が一番わかりやすいかな。キミの体はシロの力に適応する為に変化している。体自体が何も変わっていないのは魔物の性質によるものだね。代わりに人間として必要な要素が全部髪に流れているみたいだけど」
「数日寝ると髪だけ伸びるのはそういう原理だったのか……」
魔物は魔力溜まりから発生し、その瞬間から姿が変わらない。稀に上位種に進化する個体もいるが、それは能力に合った姿に変化するのであって、人間のように徐々に体が成長していくわけではないのである。私の見た目が変わらないのはおそらくこの性質のせい。
そして、本来人間として必要としている要素――食事なんかから得られるもののほとんどが髪に流れ込んでいる。つまり髪は私に残された唯一の人間らしい部分ということで。
「これは正しく成長だよ。キミの体は、人間から成長しようとしているんだ」
「えっ。じゃあ私はもう人間じゃないってことなのか」
正直かなりの衝撃である。確かに私は体が成長せず、睡眠や食事を必ずしも必要としないので、こんな状態で人間と言えるのか疑問に思っていたけれど。本当に人間ではない別の何かに変化してしまっているなんて。
今までに「お前は本当に人間なのか」と聞かれることが度々あったけれど、次からはどう答えたらいいんだろう。
「亜人とも違うし、そこは僕にもまだわからないけど。でも、そういうわけだからキミってかなり貴重な存在なんだよ?」
「……みたいだな」
人間と魔物の性質を併せ持つ存在。使うのは主に幻獣の魔法で、最近はルトの術式もかなり覚えてきたし、剣があれば魔術だってそこそこ自由に扱える。こんな奴が伝説にもなっている聖女と事を構えてみろ。
何が起こるかわからない上に、最悪どちらかが命を落とせば国の損失にもなり得るのではなかろうか。一応私には王族と同等の権力を一部だが振るうことが許されているのだし。
「大事だな……」
「わかってくれたみたいで嬉しいよ」
にこりと笑ったルトは、大きな事をやり遂げた後のような清々しさを纏っていた。
とはいえ決まってしまったことは変えられない。私と神殿の全面戦争は最早避けられない事態である。
あれだけ私が挑発しても自分たちが関わっているとは一言も口にしなかったスノーツだが、交渉は決裂と言った時点で認めたようなものだった。あの場でリオから連絡が来たことも、こちらの交渉に合わせて奴らの仲間が動いたとしか思えない。
ならばスノーツは交渉が決裂することも視野に入れていた筈だ。あの場で大きく取り乱す様子も無かったのでそれは間違いない。どちらに転んでも構わないと思っていたのは、私も奴らも同じということだ。
つまり神殿にとって私と敵対することは想定内。私と戦う準備は既に進められている。これはやはり避けられない戦いだ。そう思った方がいい。
「話はわかりましたが、その聖女様はエルでも勝てない相手なのですか?ディは正直、エルより強い人がいるとは思えないのですが」
「買い被りすぎだよ。私は最強じゃない。人間離れした力を使っていることは事実だが、弱点と言える部分は山ほどある。それに――」
床に散らばっていた紙を手に取り二人に見えるように前に出す。そこに描かれているのは、この街に来る前に立ち寄った森で出土した機械人形の箱だった。ルトが描いたその絵を今眺めていたのには意味がある。
「神殿はこれと関わりがあると私は思っている」
「えっ、でもそれは、ずっと昔に作られたものという話ではありませんでしたか?」
「ああ。だが、あの箱は言わば魔術具の完成系なんだよ。今まで私たちが見てきた道具と同じ性質の魔力を感じたのがその証拠」
作成者はロキルの関係者か?
考えたくはないが、まさか本人がまだ生きているなんてことはないだろうな?
私のような成長しない人間がいるのだから、長寿や不老不死が実現していたっておかしくはないとすら思えてくるから頭が痛い。私が今までに読んだ歴史書や魔術書にはロキルの最期までしっかり書かれていたので、そんなことにはならないと信じたいが。
ともかく、あの犯罪集団と神殿の関係性がまだはっきりしない今正確なことは言えないのだが、もし繋がっているとすれば当然魔術具を持っているはずなのだ。
「正直こんなものを持ち出されたら私は手も足も出ない。なす術もなく殺されるだろうな」
「そ、それは大変です……!」
だからこそ突破口が必要だ。手元にある情報だけでどこまで探れるかはわからないが、やらないよりはマシだと考えよう。
と、そこで私はふと思い立ってルトとシンディを交互に見た。床に座り込む私とベッドに座る二人では目線の高さが違うから見上げる形になるのだが。その距離がなんだか遠く感じてしまう。
「その……」
なんと言ったらいいか。この時の私は迷っていた。
これは私の戦いだ。しかしこのままだと二人を巻き込んでしまう。それがいいのか悪いのか、私には判断ができなかったもので。
言い淀んだ私の様子に二人は顔を見合わせて、そして互いに笑ったかと思えばベッドを降りて私の側で同じように床に座るのだ。
目線が近くなったことでまるで同じ場所に立ったかのような錯覚に陥る。安堵した、のかもしれない。どうやら私はこの二人を相当頼りにしているらしいと改めて気付く。
「もちろん、僕たちも着いていくからね。戦いの役には立てないかもしれないけど、この目がキミの力になることもあるかもしれない」
「戦いでしたらお任せください。エルもルトも護ってみせます。魔術具もディには関係ないようですし、きっと力になりますよ!」
そんな言葉と気持ちになんだか照れ臭くなった私は、つい視線を落として「ありがとう」と一言呟くことしかできなかった。
そうして私たちは地図を見ながら神殿までの道筋を決めたり、魔術具に対しての意見を交換したり、と共に戦いの前の静かな夜を過ごす。
こうなってしまってはこの場所に長く留まるのは危険である。なので明日には街を出ると決めて、旅の準備も始めながら。
ここできっちり決着を付けて、早く平穏な旅に戻ろう。私はそんな決意を固めていた。




