九十七
ガレオラスの執務室に四度扉を叩いてから入ると、中にいた四人の目が一斉に私に向けられた。
その内の二人はリオと執事だ。執務机の前にある長椅子には緊張しているのかなんだか身を縮こまらせて腰掛けているリオの姿が。その後ろには執事が立っている。そしてテーブルを挟んだ向かいの長椅子には初めて見る男が二人。
一人はまだ幼さを残す少年のようで、歳は十五前後と言ったところか。ムッと閉じられた口元と鋭い目付き。それでも座った時の姿勢が良く、短髪に眼鏡と知的な印象を受ける少年だ。側に置かれた杖のような物は短剣くらいの短さで、アスハイルやネルイルの長物とはだいぶ違うようだ。
対するはその横で椅子の背もたれに体重を預けている細身の男。座っていても背が高いことがわかるそいつは私を見るなり軽く口角を上げてひらひらと手を振ってくるのだ。胡散臭さの塊のような男である。そしてなぜか側には剣。胸には騎士団の紋章。おかしいな。ネルイルに頼んだのは教会の魔術師だったはずなのに。
とりあえずリオの横に遠慮なく座った私は、この場を取り仕切る為に早速口を開いたのだ。
「遅れてすまない。私が教会に申請を出したエルだ。こっちは辺境伯の子息で今はその代理をしているリオ。まずはそちらも紹介を頼めるだろうか」
「わぁ、聞いていた通り。可愛い子なのにしっかりしているねぇ。なんだかキミに雰囲気似てると思わない?」
そう言って少年の肩を叩く細身の男。迷惑そうにそれを払いのける少年。……私は紹介をしてくれと言ったのだが。聞いていなかったのか?
先程まで共に訓練をしていたお調子者の兵士が可愛く思えてくるくらい雰囲気をぶち壊す者の気配に、私は一瞬でこの男は相容れない存在だと悟るのだった。
「俺はレイド。レイド・ログラン。専門は精神干渉系統の魔術で、特に催眠を得意としている教会の魔術師だ」
「わっ、ログラン侯爵家の!私でも聞いたことがあります!王都でも一番と噂の病院を経営しているとか!」
「父がな。残念ながら俺は四男で家の事業には関わっていないんだ」
レイドと名乗った眼鏡の少年は見た目以上に落ち着いた話し方をする。知った名に目を輝かせるリオとも相性は悪くなさそうだ。
しかし、侯爵家の四男か。なるほど。
本人がどれだけ優秀だろうと上に兄が三人もいる以上余程の事がない限りレイドが家督を継ぐということにはなるまい。だから教会の魔術師としてこんな辺境の地へ派遣されて来ることができたのだ。
家柄も能力もこちらの求めていた条件に合いそうだし、先日兵士たちが魅了による精神干渉を受けた件でも意見が伺えそうである。さすがネルイル。これ以上ない人選だと私は一度頷いて話を続けることにした。
「レイド。来てくれてありがとう、歓迎するよ。私は訳あってリオに協力している身だが、ただの旅人でね。近いうちに出ていくから後のことは頼みたい。早速契約の内容だが――」
「ちょっとちょっと、僕の紹介は聞いてくれないのかな?」
いや、用があるのは教会の魔術師だけだ。つまりはレイドと話せれば何の問題もないわけで。けれど明らかに部外者な男が身を乗り出してきたので私は渋々そちらへ目を向けることになる。
胸に騎士団の紋章を光らせているこの男がなぜレイドと共にやってきたのかは確かに気になるところだが、なんだかこいつに口を開かせたら面倒なことになりそうな予感しかしないのはなぜだろう。
仕方なく手のひらを向けてどうぞと促すと、男は一度咳払いして意気揚々と話し始めた。
「僕はソロ。父は騎士団の団長でもあるゾイド・ディラー侯爵さ!キミの話は聞いているよエルちゃん。会えて光栄だ!」
「ネルイルから手紙を預かっているんだ。先に渡した方が良さそうだな」
「拝見しよう」
ソロと名乗った男を横目にレイドから差し出された手紙を受け取る。封もされていない為すぐに中身は見る事ができた。中には綺麗に折り畳まれた紙切れが一枚。書かれた内容次の通りだ。
――余計なのがくっ付いていくかもしれないけど、エルたちならきっと大丈夫よね!
明らかに今の状況を示唆した文面である。
それにしても一応騎士団長で侯爵の子息を名乗っている男を余計なの扱いか。どうやらこの男、元からこの性格らしいな。周囲からも適当にあしらわれている事がこの短い手紙からでも十分に読み取れる。
ならば放っておいて問題はないだろうと、私は手紙をしまって再びレイドに目を向けた。
「契約の内容だが、こちらからは基本的にこのリオの手助けを頼みたい。彼は見ての通りまだ幼く、周りが手を貸していても辺境伯代理としての領地運営にはまだ難がある。今は例の事件もあって容易に使用人も増やせない。ガレオラスが回復して安定するまでは側で助けてやってほしい」
「ああ、そのつもりで来ている。事件の方も情報は共有されているから詳細は結構。こちらからの要望はこれを」
そうしてまた差し出された別の紙を受け取り目を落とす。そこには雇用に伴うレイド側の条件と、報酬の希望額が記されていた。私はそれをその場でリオと執事にも見せ確認すると二人からも頷きが返ってきた。
「問題ない。後でこれを元に契約書を作らせるからまた確認を頼む」
「承知した」
出来上がった契約書に互いの署名をすれば契約は成立となる。署名をするのはリオなので私の役目もこれでほぼ完了と言ってもいいだろう。
レイドに仕事を引き継いだら私の旅もいよいよ再開できるというものだ。
やはり私は一つ所に留まるよりも動き回っていた方が性に合うようで、少し物足りなさを感じていたからこれでよかったのだと思う。
リオのことは気になるものの、ルトの転送の術式があればいつでも手紙のやり取りはできるので心配はしていないし。
はぁ、といろいろと意図を含んだため息を溢して椅子に深く座り直した私に、完全に放置されていたソロがケラケラと笑い始める。
「なんだか大人びた行動をするなぁ。エルちゃん本当に十歳?」
見えないなぁ、と。尚も笑うこの男はそういえば結局なんなのだろう。ようやく考える気になった私は、騎士とは思えないくらい軽い口調で話すソロに改めて目を向けてみた。
やはり一番に目を引くのは胸に輝く騎士団の紋章だ。そしてわざわざこんな所に呼んでもいないのに来たという事実。騎士団と言えば以前スイストンの街で会ったサファイアことサフの存在もある。もしそこから話がいっているのだとすれば、考えられるのは私の監視と言ったところか。しかしそれなら騎士団長の身内でなくとも良さそうだが。となれば考えられるのは、別の目的である。
「……お前、王族の回し者だろう」
「わぁ、凄い。簡単にバレた!」
ふと思い至った考えを口にすれば、隠す気のない返答が返ってきた。
まあ、恐らく本当にこいつには隠す気がないのだと思う。隣に座るレイドが驚いていないのがいい証拠だ。これは事前に共有されている事実と見て間違いはない。
騎士団や教会よりも強い権力を持つ王族の命令ならばいかに本人が鬱陶しくても連れてこないわけにはいかなかったとか、きっとそんなところだろう。
どこかに所属するというのは面倒事ばかり増えていけないな。私はこの時少しだけレイドに同情した。
「一応僕はレイドくんの護衛ってことになっているから。あっ、ちなみに給料は騎士団を通して出ているから気にしないでね。泊まる部屋だけ借りたいかな!」
「追い出したい」
「気持ちはわからなくもないがそれはやめた方がいい。こいつ、これでも腕は確かだ」
王族の命で動く人間に逆らえば何をされても文句は言えない、か。むしろ戦って黙らせられるならそうしたいところだが、周りを巻き込むのは望むところではないので今回は受け入れておくとしよう。邪魔だと判断すればこちらも容赦はしないがな。
その後、私は執事に二人を客室に案内するよう促して、最初の顔合わせはこれにて終了したのである。
「なんだか精神的に疲れた。甘いものが食べたい気分だ」
「でしたら是非エルに食べていただきたいケーキがあるのです!皆さんをお呼びしてティータイムにしましょう!」
「おお、いいな……って、リオお前、ソルトーのところに行ったのか」
「あっ」
すぐに両手で口を覆っても言ってしまった事が無くなるわけもない。この屋敷にはケーキを作る材料も道具も無いのだがら、抜け出してシャンデンの街で甘味処を営むソルトーの店に行っていたことは明白である。
短距離だが転移が使えるリオにとって誰にも気付かれずに屋敷を抜け出すことくらい簡単だろう。
今朝からこの執務室で書類と向き合っていたと思ったのに私が兵士たちの訓練に顔を出している間にそんなことをしていたとは。執事が一緒にいたと思ったのだが、さては共犯か?
この忙しい時に何をやっているんだと思いつつも、リオの息抜きになるのなら少しくらいはいい気もする。
「うん。ケーキ、いただくよ」
それで私も共犯だと告げれば、リオはそれはそれは嬉しそうに笑うから結局は許してしまうのだ。




