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26 夫婦でお出かけ③

 馬はエレンの体に無理のない速度で駆け、やがて枯れた大地の向こうにきらきら輝く川が見えてきた。


「あっ、あれがミーシャの言っていた?」

「そうだ。……あそこで休もう」


 馬は小川の手前で停止し、先に降りたミハイルがエレンの方へ両腕を差し伸べた。


「……?」

「体の向きを変えて、降りてこい。おまえくらいの体重なら、受け止められる」


 ……それはつまり、ミハイルの腕の中へ飛びこんでこい、ということだろうか。


(き、緊張するけど……一人じゃ降りられそうにないし)


 まごまごしていても仕方ないので、エレンは思いきってミハイルの方へ飛び降りた。彼は少し立ち位置をずらして難なくエレンの体を受け止め、そのままそっと地面に降ろしてくれた。


 ミハイルはエレンには「座って休憩していろ」と言い、自分はてきぱきと馬の装備を外し、休憩を取らせるために小川の方へ連れていった。

 久しぶりに長い時間馬に乗ったので、足と尻は少し疲れているし体も凝っていた。


(騎士様は全速力で馬を駆って、その上で戦うんだから……すごいな)


 まばらに生えている草の上に持ってきていたシートを敷き、その上でううん、と伸びをする。


 冬を間近に控えたリュドミラだが、幸運にも今日はほどよく晴れている。空を見上げても鳥の影はないが、柔らかい日光が雲間から差し、エレンの体を優しく温めてくれていた。


「……寒くないか?」


 馬を川辺に残し、ミハイルが戻ってきた。

 彼に尋ねられたエレンはそちらを見、首を横に振る。


「大丈夫よ。……もうすぐ、雪が降るんだよね」

「ああ。年によって微妙に積雪量は異なるが、ひどいときには低めの家屋が沈むくらい降る」

「すごい……」

「俺としては、エンフィールドの温暖な気候が信じられない。……エンフィールドは暖かいから軽装で行け、とは言われていたが、まさか春だというのにあそこまで暑いとはな」

「そういえばリュドミラの騎士様たちは、暑そうにしていたわね。小川に入って涼んでいなかった?」

「していたな。あまりに暑いからか、たまにボリス様もその中に混じって――」


 滑らかに話していたミハイルははっとしたように目を見開き、そして黙ってしまった。

 彼の口から生前のボリスの話を聞くのは、これが初めてかもしれない。


 エレンの隣にすとんと腰を下ろし、それっきり黙ってしまったミハイルの横顔を見つめる。

 彼は、ボリスの名を出したことを後悔しているような、戸惑っているような……むしろ、ボリスの名を口にしたことに驚いているような、複雑な表情をしていた。


「……昔のあなたが話すことの六割は、カヴェーリン公のことだったわね」


 エレンがぽつんと言うと、「……そんなにか?」と不思議そうな声が返ってくる。

 ボリスの話題を続けたことを不快に思う響きはなさそうで、ひとまずほっとできた。


「ええ。ボリス様はこんなに素晴らしい、お優しくて強い……ってね。あとの三割は故郷のことで、一割は食べ物のことだったかしら」

「……そう言うおまえも、口を開けばカミラ妃殿下のことばかり言っていたような気がする」

「あら、それはあなたに対抗するためよ?」

「そうだったのか」


 三年越しに理由が分かったからか、ミハイルは妙に納得した様子だ。その表情がどうにもおかしくて噴き出すと、じろりと睨まれた。


「……人の顔を見て笑うな」

「ごめん。あなたって結構天然なんだな、って思って」

「人を阿呆扱いするのか」

「阿呆と天然は別物でしょ。……ほら、お茶でも飲みましょう。疲れが取れる薬を入れているのよ」


 なおもじとっとした目で見てくるミハイルに微笑みかけ、エレンは立ち上がった。


(特製のお茶を飲んで、弁当を食べれば、ミハイルも少しは笑顔になるかな)










 誤魔化し笑いを浮かべて荷物を取りに行った妻を見つめ、ミハイルは嘆息する。


 晩秋の柔らかな光を浴びて微笑む妻が、眩しい。

 眩しくて……自分の心に巣くう黒い部分が影としてはっきり見えてしまうようで、エレンを見ていたら息が苦しくなる。


 エレンは、いい女性だ。

 気が強くて、口が達者で、ミハイルにも物怖じせずに物申す、貴重な女性。

 カミラ王太子妃殿下からも愛されているし、騎士団の者たちもエレンに興味津々の様子だ。


 エレンは「まだ妻らしいことは何もできていない」と言うが、自分にはできすぎた妻だ。

 だからこそ、自分が長い時間拘束し、触れ、困らせるわけにはいかない。


「……エレン。おまえだけはどうか……幸せに」


 ミハイルの呟きは、こちらに背を向けて籠を持ち上げているエレンの耳に届くことはなかった。

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