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#59 プレシャス

 ユウちゃんに頭を撫でられたことは、何度もある。

 子どもの頃、近くの森に遊びに行って膝を擦りむいた時、泣いてる私をユウちゃんが慰めてくれた。

 ユウちゃんの家にお泊まりして、一緒のベッドで寝た時も、眠りかけですり寄る私を撫でてくれた。


 昔から、頭を撫でられるのは好きだ。

 きっとユウちゃんのせいだろう。

 ユウちゃんの手は小さいけど、私の心まで包み込んで、優しさを教えてくれる。


 今だって変わらない。

 ユウちゃんに撫でられると、抵抗する気持ちは起きない。


「いっぱい苦しんだんだよね。辛かったね」


 彼女はそっと身を寄せて、動けない私の頭を、胸の中に埋める。


「それだけでいいから。パトナはもう、自分を責めないでいいんだよ……」


 ゆっくりとした労わりの抑揚。

 積み重なっていた闇の最中へ、そっと柔らかな光をもたらす、許しの言葉。

 身体に伝わってくるユウちゃんの温度が、私を安らがせた。


 だけど、それでも、委ねるわけにはいかない。

 理由もないのに、私の心がそう喚く。

 落ち着くには、すべて吐き出さなきゃいけなかった。


「師匠は、私を庇ったんだよ……死んじゃう前だって、満身創痍だった私に、回復魔法をかけて……だから、私が師匠の生命力を奪ったのと同じなの……」

「……そっか。ナグニレンさん、パトナのことを大事に想ってくれてたんだね」

「え……?」


 そっと髪を撫でられた私は、その言葉に戸惑う。

 見上げると、ユウちゃんの親しみ深い瞳に吸い込まれた。


「パトナは役立たずなんかじゃないよ」


 どこまでも優しい一言。

 否定するべきなのに、されるべきなのに……聞き入ってしまう。

 心の中に沈んでいく。


「私も、ナグニレンさんも、パトナが大事。それに……パトナと一緒に来た子だって、そう思ってる」


 ユウちゃんはただ、惜しみなく微笑むばかり。


「ノエッタちゃんはね、パトナのために戦ってるんだよ。なんでか分かる? 私には分かるなぁ……ふふ、あの子もパトナのことが大好きなんだよ」


 受け入れてもいいのかな。

 身を委ねても許されるのかな。

 師匠……


「自分のことを守ってくれる誰かがいるってことは、パトナはその人に必要とされてるんだよ。だから――」


 ユウちゃんは私の前髪のラインをなぞる。

 それから、困ったように眉尻を下げた。


「パトナが自分を役立たずなんて言ったら、私は悲しくなっちゃうな」


 そんな表情を向けられたら、もう認める以外、なにも出来ないよ。

 ああ、私……いつの間にか、みんなの気持ちを見失ってたのかも。


 少し目線を上げて、みんなの表情をちゃんと見れば良かった。

 みんなが思ってたのは、私が役立たずだなんて事じゃない。

 ただ、心配してくれてただけなんだ。


「…………私、大事にされてる?」

「うん!」

「その……必要と、されてるのかな?」

「もちろん。パトナが居てくれなきゃ、私も寂しいよ」


 そう言われて、ふと気付く。

 師匠が回復魔法をかけてくれた理由を、完全に見落としていたこと。

 あの時、もしも師匠が傷を治してくれなかったら、私はきっとエンヴィに殺されてた。


 そっか、師匠は……最後の力を振り絞って、私を生かしてくれたんだね。

 私を信じて、魔法陣を託してくれたんだね。


「…………」


 私って、どうして気付かないんだろう?

 今、自分がやるべきことは――落ち込むことなんかじゃない。

 戻せない過去を振り返って、後悔に浸ってる場合じゃないよね。


 託されたものがあるなら、それを受け取らなきゃ。

 辛いけど、苦しいけど、まだなにもかも終わったわけじゃない。

 周りにいるみんなが、私のことを大事に想ってくれてるから。

 夢はまだ、叶わないと決まったわけじゃないんだから……!


「……眼を覚ませ。恐れずに前を見ろ……」


 ありがとう、師匠。

 私を信じてくれた気持ち、絶対に無駄にしないからね。


 ユウちゃんの胸から顔を離す。

 そして、今度は真正面から彼女の眼を見た。

 誰かに縋るのは、もうおしまいだ。


「ありがと、ユウちゃん……! 私、今なら頑張れると思うっ!」

「……ふふっ、おっけー。落ち込んだら、また私の所に来てもいいよ?」

「も、もう……! 大丈夫だよ、完璧に立ち直ったから!」


 私は腕を捲って、力こぶを誇示した。

 すると、ユウちゃんは「ふふっ」と笑って、ちょっと隆起してる部分をチョンチョンする。


「わっ、すごーい。筋肉あるんだね、パトナ」

「まあね! なんせ私、ニョッタ師匠の弟子だから!」


 この筋肉も、鍛えた魔法も、すべて師匠からもらった力だ。

 役に立たないなんて、勝手なこと言っちゃダメだよね。

 これからは大事にするぞ……ここにあるもの、全部!


 ✡✡✡


 覚悟を決めた私には、もうなんの迷いもない。

 全速力で飛ばして、トラフやノエッタたちの元へ向かった。


 道中、ゴブリンは数を減らしている様だった。

 ふたりの尽力のおかげだろうと思ったけど、ユウちゃんは村のみんなの功績を唱える。


「ナグニレンさんに言われて、みんなゴブリンとの戦い方は学んでるんだよ?」

「えっ、そうなの?」

「私もナグニレンさんから、対魔物用の魔法陣とか貰ったしね」

「へー、知らなかった……」


 ユウちゃん、そんなもの貰ってたんだ。

 あれ?

 でも、魔法陣ってことは、魔力が無いと使えないよね?


「どうやって使うの?」

「ん? 破ったら使えたよ。パトナにも有効だったね」

「なるほど、破るんだ……って、なんで私がターゲットなの!?」

「だってパトナ、違う方向に走ろうとするからさー」

「ちょっ……」


 もしかして、私を気絶させたのって……

 なんて恐ろしい使い方してるのさ、ユウちゃん。


 それにしても師匠ってば、誰でも使える魔法陣まで作れたんだ。

 師匠と私の差って、ちゃんと埋められるのかなぁ。


 ……あっ。

 もういいや、考えないことに決ーめた!

 絶対に災厄を倒すぞ!!


 ――そんなこんなで、前線に戻る。

 やっぱりゴブリンは見当たらない。


 ゴブリンキングのグロテスクな死体もあった。

 背中にトラフの剣筋を刻んで、きちんと転がっている。

 身体の大きい魔物は、消えるまでに時間がかかるけど……早く消えないかな。


 要塞のあたりまで帰ってくると、トラフとノエッタが、みんなを安全な場所へ誘導していた。


「トラフ! ノエッタ!」

「……パトナか」

「あっ……ぱ、パトナ……」


 ふたりとも、あまり芳しくない表情を浮かべる。

 まだ心配をかけてるみたいで、なんだか申し訳ない。

 よし、元気になったところを見せなきゃね。


「トラフ! やるじゃん!」

「なにがだ」

「あのゴブリンキング、一撃でしょ?」

「ああ……当然だろ」


 軽く背中を叩いたら、トラフは鬱陶し気な顔をした。

 それは置いといて、次はノエッタだ。


「ノエッタ、ごめん! さっきはありがとね!」

「へっ?」

「おかげ様で、もう万全だよ! どんな魔物でもドンと来い!」

「……! ふ、ふんっ! まあ調子が戻ったなら、良かったんじゃない?」


 腕を組んで、私から顔を背ける彼女。

 ツンツンだけど、喜んでくれてるかな。


 さて、じゃあ魔物討伐と行こうか!

 ……って、意気込んでも、魔物が居なきゃ意味無いか。

 もうゴブリンは粗方やっつけたっぽいし……

 一応、魔法の試し撃ちくらいはしたいんだけど。


 剣身に付着した血を拭いて、腰の鞘に剣を仕舞うトラフ。


「ゴブリンキングも倒したし、避難も順調だ。当面の脅威はおそらく去ったな……」

「そうね……なら、帰らない? あたしは街が心配よ」

「ロクサーヌが居ないと帰れないだろ。パトナ、ノエッタと一緒に帰れ」

「え? トラフは?」

「村に留まる。安全が確保できるまでな」


 マレッド村のことを考えると、トラフは街に帰れないようだ。

 確かに、村にトラフが居るなら安心である。

 ゴブリンなんかには負けないだろうし。


「それじゃ、私たちは――」


 ……「村に帰ろう」って、言おうとした。

 そんな私の上を、突如として黒い影が通過した。 


「え?」


 ノエッタと顔を見合わせて、同時に上空を仰ぐ。

 大きな影の主は、悠然と滑空していた。


 空を裂く巨大な翼。

 堅い鱗を纏う皮膚。

 筋肉の凝縮された腕と脚に、四本の鋭利な爪。


 その威圧的な体躯はやがて、でたらめな風圧を起こしながら、地上へ舞い降りる。


「くっ……!」

「うわぁっ……!?」

「な、なんでよ……っ!!」


 私たちを圧倒した巨躯は、地上に足を付けると、恐ろしい牙をギラつかせた。

 そして、けたたましい咆哮によって、地上の者すべてに恐怖を植え付けた。


「グオオオオオッ!!」


 ――ドラゴン。

 レベル7以上のダンジョンにしか生息しないという、非常に強力な魔物だ。


 私の袖にしがみつくユウちゃんは、吹き荒ぶ向かい風に眼を凝らす。

 袖を引いて、疑問を投げかけるのだった。


「ドラゴンって、こんなところに来るの……っ?」

「ううん。普通は来ないけど……」


 突風に掻き消されない大声で、トラフが話す。


「ユウ、ノエッタ、離れてろ!! レッドは凶暴で見境がない性格だ、巻き込まれるぞ!!」

「は、はぁいっ! トラフ、パトナ、頑張ってねっ!」

「あたしじゃ役に立てそうにないわ……っ! パトナ、死ぬんじゃないわよ!」


 ドラゴンの気性を考慮して、ユウちゃんたちを退避させる。

 私とトラフはふたりを背中で庇いながら、なんとか逃がしてあげた。


 毅然として逃げない私たちを捉えると、レッドドラゴンはまた吠えた。

 強風と威圧がいっぺんに襲いかかってくる。

 グローウィノで強化された足腰じゃなかったら、きっと吹き飛ばされていたと思う。


「パトナ、ドラゴンとの戦闘経験は?」

「ブルーと一回だけ……ラーンの事前知識が無かったら、罠に嵌められて負けてたと思うよ」

「俺はイエロー数十体だ。不用意に縄張りに入ったことがある」

「えぇ……よく生きてたね……?」


 お互いのドラゴン経験数を言い合う。

 どうやらトラフのほうが慣れてるみたいだ。


 ドラゴンという魔物は、色によって性質が大きく異なる。

 凶暴で見境のないレッド、実利主義で狡猾なブルー、縄張り意識の高いイエロー、穏やかだけど怒ると怖いホワイトなど……

 遭遇したら危険な順に並べると、レッド・ブルー・イエロー・ホワイトって感じ。

 要するに、レッドを引いたのは運が悪いと言える。


 今、ここで戦えるのは、トラフと私だけだ。

 ふたりでなんとかしなくちゃいけない。


「行けるな、パトナ」

「もっちろん! ドラゴンなんて肩慣らしだよ!」

「フッ、嘘つけ」

「勝てばいいんでしょ!」


 私は腕を構え、トラフは再び剣を抜く。

 臨戦態勢に入った私たちに、ドラゴンは大きな翼を広げて、威嚇を仕掛けてきた。


 見ててね、師匠。

 任せて良かったって思わせてあげるから!!

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