#57 ノー
say it ain't so
拠点の裏で、寄る辺なく佇むロクサーヌ。
彼女を馬小屋から離して、その背を借りる。
トボトボと歩く姿は、言葉よりも寂しい。
彼女も、もう知っているのだろう。
ニョッタ師匠が亡くなったことを。
ロクサーヌの姿は、誰に説得されるより現実的で、今の私には切実に映る。
「……ごめんね、ロクサーヌ。私のせいだね……」
背中から声を掛けて、彼女の逞しい首元に、そっと手のひらを添える。
彼女は嫌がったりせずに、静かに受け入れてくれた。
おかげで、また少しだけ、寂しさが癒えた気がした。
「急ぐぞ、パトナ。村が危ない」
「……うん」
私の後ろにはトラフが乗っていた。
マレッド村のことが気掛かりみたいで、一刻も早く出発したいようだ。
ロクサーヌの負担にならないよう、重い装備は脱いで、最低限の武器だけを携帯している。
襲われているのは、グリードの城下町だけじゃない。
各地の小さな村や街だって、同じような状況になっているはずだ。
ダンジョンが近くにある場所は、特に被害に遭いやすい。
魔物の被害が大きくなってからというもの、高レベルのダンジョンには、ギルドの監視員が派遣されるようになった。
だけど、レベルの低いダンジョンだと、その地区の自治に任せる場合もある。
当然、防衛にも地区ごとの優先度があるため、都市との関わりが薄い地区は放置されがちだ。
マレッド村は王都に近いほうだけど、作物と日用品を売り買いするくらいの関わりしかなく、交流が盛んな他の村ほど重要に見られていない。
私が王都に来る前も、簡単に魔物の侵入を許してしまうくらい無防備だった。
不幸中の幸いながら、もう襲われる経験はしているし、少しくらいの魔物なら退治出来るだろうけど……
魔物が氾濫し始めている今、また壊滅させられる可能性も高い。
「大丈夫かな……」
ふと、ユウちゃんの顔が浮かぶ。
連なるように、村のみんなの顔が浮かぶ。
それから、実家が壊されたらと考えて、焦りが強くなった。
ここでジッとしていたら、大事な故郷が壊されてしまう。
気後れなんか振り払って、なんとしてでも守らなきゃ。
「ロクサーヌ!」
私は声と脚でロクサーヌに合図を出す。
緩やかな速度で慣らして、切り替えて走り出そうとした時――ノエッタに声を掛けられた。
「ま、待って!! ストップ、パトナ!!」
「わあっ?!」
彼女はいきなりロクサーヌの前に出て、両腕を横に広げる。
いきなりだったけど、咄嗟に手綱を引いた。
ロクサーヌは落ち着いた様子で、ピタッと止まってくれた。
「あ、危ないよ……!」
「あたしも連れて行って! 乗せて!」
「えぇ……っ?」
同行を申し出たノエッタの瞳は、いつになく真剣なものだ。
マレッド村よりも、グリード図書館のほうが大事なはずの彼女なのに……どうして?
「な、なんで行くの?」
「はぁ!? き、決まってるでしょ!」
「??」
「そ、そんなの……あんたのことが――」
と、そこまで理由を言いかけて、口を噤む。
ノエッタは息を飲んで、頭をブンブン振ってから、また言い直した。
「まままま、マレッド村に行きたいだけよっ!!」
「!?」
「どんなところか気になるのよ!!」
「!?!?」
なに言ってるんだろう、ノエッタ。
もしかしてジョーク?
ぜんぜん面白くないけど……
「乗せるぞ、パトナ」
「え!? なん――」
「時間が無い、ゴネられるよりマシだ」
「なっ、ゴネてないわよ!!」
――結局、ノエッタも行くことになった。
ちょっと人数が多いから、最低限の荷物だけにして、今度こそ走り出す。
ロクサーヌなら平気だ。
「ノエッタさん、トラフさん……パトナさんのこと、よろしくお願いします……っ」
走り出す前、ラーンがふたりへ頭を下げた。
「ええ。ラーンちゃんも気をつけて」
「……こっちは気にするな」
私とトラフ、そしてノエッタは、マレッド村に向かうのだった。
✡✡✡
村までの短くない道のりを、ロクサーヌは駆け抜けていく。
決して軽くない私たちを乗せながら、上品な足運びを乱すことなく。
どこへ向かうかも知っているみたいで、休憩さえ必要としない。
手綱を握る私は、ロクサーヌの優雅さに見惚れていた。
挫けることを知らない彼女の姿が、どこか師匠に似ている気がした。
私よりもずっと前から、師匠と一緒にいたんだ。
きっと悲しみだって、私なんかよりも大きいのに……
「強いね、ロクサーヌ」
呟く。
自分が立ち上がれずにいるのが、とても情けなかった。
なのに、そう思っているのに――私はどうして、なにも整理できないんだろう。
ロクサーヌの速さに運ばれているようで、本当は遅れている。
これだけ明らかな現実を、未だに悪夢みたいに感じていた。
頭痛に苛まれるたび、そう思い込もうとしていた。
分かってる。
死は、目の前で見た。
否定なんかできない。
「――パトナ……」
「……なに、ノエッタ?」
私のお腹にしがみついていたノエッタが、ふと話しかけてくる。
いつものような無骨っぽい呼び方じゃなくて、どこか心細いような声音。
私がいつもと違うから、彼女もいつもと違うのだろうか。
卑怯な私は、ロクサーヌの扶助に夢中なフリをした。
曇っているであろうノエッタの表情を、わざと見ない。
「…………」
ノエッタはなにも言わなかった。
風を切って、長い沈黙が流れていく。
しがみつく彼女の腕に、ちょっと力が入る。
言葉を探しているのかな。
お互い、この会話を解くものが見つかるまで、黙ったまま。
そのうち、ノエッタが言った。
「……こうしてて、いい?」
言葉と同時に、私を拘束する。
少し動きにくいほど、ギュッとしがみついてくる。
私は「いいよ」とは言わなかった。
だけど、ノエッタはずっと、村に着くまでそうしていた。
✡✡✡
――やがて、思い出のある村の入り口へたどり着く。
だけど、内情を見た私たちは、その惨状に息を飲んだ。
「く……っ!」
「ひ、ひどい……」
危惧していた通りだった。
入り口のゲートや柵は壊されていて、井戸の鶴瓶も落ちていた。
周りの家は、前よりもぐちゃぐちゃになっていて……
なによりも、そこら中にゴブリンが歩いていた。
潰れた民家の中から食べ物を引きずり出し、我が物顔で喰らう。
蹂躙の光景に他ならない。
「許さねぇ……ゴブリンどもッ!」
怒りに任せて飛び出すトラフ。
彼の振るった精悍な剣は、油断していたゴブリンを一瞬にして斬り裂いた。
仲間の断末魔に、周りのゴブリンが反応を示す。
怒りなのか、嘲りなのか、なんだか分からない奇声を上げた。
「キシャアアアッ!!」
「グギャッ、グギャッ!!」
さっきまでバラバラに行動していたのが、一斉にトラフへ襲い掛かる。
集まってくる有象無象を、彼はすべて一太刀で斬り裂いた。
そうしながら、私とノエッタへ指示を出す。
「村のみんなを探すんだ! 早く行け!」
「う、うんっ」
彼に言われた通りに、私はロクサーヌに合図を送る。
疲れを見せないロクサーヌは、また颯爽と走り出してくれた。
後ろにはノエッタが乗ったままで、周りを見回してくれていた。
しばらくして、彼女は声を上げる。
「パトナ、右! 無事な家があるわ!」
「ほんとっ!?」
無事と聞いて、私はすぐに進行方向を変える。
右を正面にすると、確かに被害のない民家があった。
いや、民家っていうよりも……周りを石に囲まれた、小さな砦だ。
あんなの、今までのマレッド村には無かった。
けど、立ってる場所で考えたら――村長さんの家?
ちょうどあの辺にあったはず。
中に入るのに、ロクサーヌから降りようかと思ったけど、あまり得策じゃない。
ロクサーヌがゴブリンに襲われる可能性だってある……それなら、ちゃんと一緒にいた方がいいはず。
そう考えて、このまま村長さんの家に突入することにした。
「行こう!!」
掛け声とともに踵で合図して、鉄で出来た馴染みのない扉へ突っ込む。
怯みのないロクサーヌの速度は、なんと――頑丈な鉄を蹴破った。
「うわーっ!?」
「なんだァ!?」
「キャーっ!」
強度を誇るはずの扉が、まるでハリボテみたいに呆気なく吹っ飛ぶ。
それから、中にいる人たちの悲鳴が聞こえてきた。
少し興奮気味のロクサーヌを宥めてから、周りを見ると、懐かしい顔ばかりだった。
「みんな、無事だったんだね……!」
「ぱ、パトナ!?」
村長さんは私を見て、驚いた声を上げる。
他のみんなも、しばらくの間はあんぐりとしていた。
「あ、あれ? みんな……?」
どうしよう……もしかして、私のこと覚えてない?
なんて不安になったのも束の間、今度は一斉に声が上がる。
「おおっ、パトナ!! おかえり!!」
「まあまあ、しばらく見ない間に大きくなってっ!」
「がっはっは、立派な女にはなれたか!?」
おじさん、おばさん、お兄さん、お姉さん、村長さん……
みんなが私に声をかけて、「おかえり」って言ってくれた。
「見ろ、パトナ! 俺達はな、村長の家を砦にしちまったんだぜ!」
「いざという時、魔物どもから隠れられるように、村人総出で作った要塞よ!」
「ふぉふぉふぉ。この通り、ワシの家は要塞になってしもうたんじゃよ」
良かった……私の帰る場所は、まだ残ってる。
ゴブリンなんかに負けるマレッド村じゃない……!
故郷の温かさに満たされると、自然と笑えた。
「えへへ……ただい――」
「キシュアァ!!」
おかえりの返事を言いかけた。
その時、背後からゴブリンの声。
身体に緊張が走って、反射的に振り向く。
なにも考えなくても、無意識に魔法の構えが取れた。
そして詠唱。
「“唄え、短き命! 勇気の欠片、”」
そのままの勢いで、感覚だけで、魔法を扱えればいいのに。
私の頭には、余計な言葉が蘇る。
《ゴミを守るのは大変だねぇ――》
《無理だよ!! 足手まといのお前にはさァ!!》
すると――手が震えた。
小さな震えは指先から発生して、たちまち肘に伝わって、心を邪魔する。
「……え……あ、あれ……?」
また痛くなる、頭が。
割れるように痛い。
いきなり目の前が歪み始める。
「うっ……ハァ……ハァ…………っ」
まずい、呼吸まで苦しくなって来た。
このままだと……魔法の制御が出来なくなる。
冷静に、しっかり……
《お前のおかげ!! 師匠が殺せたの、さ!!》
黙れ、黙れ、黙れ。
魔法の邪魔をするな、エンヴィ。
――だけど、師匠?
私は、私は…………
「うっ、うあぁ……!」
感情のうねりに合わせて、身体を流れていた魔力が暴れ出す。
暴走することがハッキリと分かった。
だからと言って、今から止めることなんてできない。
「うわあああぁぁっ!!」
ワケが分からなくて、叫ぶ。
不安定な魔力の波は、秩序を持たない魔法と化す。
コアが歪な手順で形を成して、マナの外套を纏い、瞬く間に身を隠していく。
それは逃げるように私の手を離れると、周辺に突風を巻き起こし……
――魔法は暴走した。
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