#55 インステッド
拠点の扉は開いたままだったのに、誰も不審に思わなかったのだろうか。
外から見たら、私の眠り方はきっと異常だったのに。
朝の街に充満する空気が、肌に障るものだった。
様子がおかしい。
さっきからずっと、嫌な感覚がこびりついている。
武器屋や宿屋の近くに、慌てた雰囲気の人だかりが出来ていた。
状況を把握するためにギルドへ足を運ぶと、そこにも同じような人たちが。
なにが起きているんだろう。
ある冒険者の会話を盗み聞きする。
『街の近辺に魔物が現れてるらしいぜ』
『やべーな……いつからそんなことに?』
『衛兵の報告によると、明け方の時点で数匹見たらしい』
魔物が街の近くでうろついている?
なら異常事態なのは間違いない。
街の人たちが慌ただしいのも、それが原因みたいだ。
だけど、どうしていきなり……
そもそも、最近になって魔物が活発に行動し始めたのは――ああ、そうか。
魔物の活動範囲は、魔物に適応できるマナが、一定量まで充満しているエリアに限られる。
一般的には、人の生活圏よりもダンジョンやその周辺のほうがマナに満ちているため、魔物の棲息地域もそのあたりになる。
しかし最近、ダンジョンを離れる魔物が目撃されるようになった。
災厄が復活した影響である。
その身に絶大なる闇の魔力を宿す災厄は、ダンジョンと外界のマナ比率を不安定にした。
結果として、今や街にまで魔物が現れているのだ。
となると、おそらく冒険者は駆り出されている。
緊急クエストという形で、ほぼ強制的に魔物狩りをさせられているはずだ。
街の安全のために。
「…………」
あの場でエンヴィを止めることが、もし出来ていたなら。
きっと、こんな混乱が起こることもなかった。
災厄の存在を知っているのは、今は私だけだ。
他の人には話さないようにと……口酸っぱく言われてきた。
だから、この事実はサンロードさえ知らない。
今、ギルドに踏み込むと、私も討伐に加わることになるかな。
今さら。
なにもかも手遅れなのに。
どうしよう。
それだけじゃなくて――あぁ。
「……ニョッタ、師匠」
今、もしも傍に居てくれたなら。
手遅れだなんて、弱気なことを言う私を……
どうすればいいの?
私はエンヴィに勝てない……
ただ、ずっと、師匠の背中を見ていただけで。
そんな私なんかに、なにが出来るの。
あの震える睫毛が、哀しい蒼眼が、頭をよぎる。
その度に、また頭がグラグラし始めて、立っていられない。
近くの民家へもたれかかって、肩で息をした。
「…………っ、ハァ……、ハァ…………っ」
魔物を押し返して、その後は?
またエンヴィが襲ってきて、その次には災厄が襲ってきて。
それで私はどうするの、なにが出来るの?
役に立つ?
なんの?
ふざけるな、本当にふざけるな。
「……っ…………ししょお…………っ」
なにが「協力」だ。
なにが「ランク7」だ。
なにが「成長」だ。
なにが……なにが、なにが、なにが。
私なんか、始めから居なきゃよかったんだ。
そしたら師匠は、守りながら戦ったりなんて……そうだ、そうだよ。
自分の存在が堪らなく憎い。
道の隅っこへ行って、うずくまって、顔を伏せた。
とめどなく流れてくる涙を、どうすることも出来ずに。
私は役立たずだ。
なんにも出来やしない。
「うっ、く……うぅ…………っ! ぐす…………っ」
悲しいだけで、悔しいだけで。
どこまで私は役立たずなんだろう?
師匠が居なくちゃ、もう前を向くことさえ……
「…………パトナさん?」
――耳元に降ってきた。
優しくて、聞きなれた……安心みたいなラーンの声。
顔を見なくても、彼女の表情はだいたい分かる。
きっと心配してくれるんだ。
だけど、それに返事をすることも、今は出来そうにない。
心配をかけちゃいけないと、直感的に思った。
だから、泣いてるのを見せられずに、俯いたままでいるしかなかった。
「ど、どうしたんですか……? もしかして昨日、なにかありましたか?」
彼女はすぐに私の隣に来て、そっと肩に手を添えてくれる。
声を潜めて、身を寄せてくれた。
「…………っ」
触れられると、縋りつきたいと思ってしまう。
昨日を思い返したら、すぐに師匠の笑顔が蘇って、辛くなる。
あったこと全部、なにもかも伝えたかったけど、どうやっても声が出せなかった。
嗚咽だけが飛び出しそうで、いつものようには喋り出せない。
だから、普通じゃないって思われたのだろう。
ラーンはもっと私にくっついて、ギュッと手を握ってくれた。
「大丈夫ですよ。辛そうなの、分かりますから……」
なにも言い出せない私を、彼女は許してくれた。
それだけで、まぶたの裏に柔らかな光を感じた。
涙の温かさと一緒に、差し込んでくる。
握ってくれた手を、強く握り返した。
それから、今度は私から身を寄せて、彼女の胸に顔を埋めた。
「…………うっ……、ぐす……っ! らぁん…………!!」
「いくらでも待ちます。私はここに居ますから、安心してくださいね」
「う……うわぁーん…………!!」
ラーンの身体に身を委ねて、私は思いっきり泣いた。
その間も、彼女は私の背中をさすってくれたり、手を握っていてくれた。
涙はとめどなく溢れるけど、心が温かくなる。
そっか。
私はひとりじゃない。
✡✡✡
騒がしいギルドを避けて、ふたりで拠点に籠る。
外から人々の大きな声が聞こえてくるのを、扉を隔てて聞き流した。
「…………」
私はまだ黙って、イスに座っていた。
机の上にある消滅の魔法陣は、視界に入れたくなかった。
ひたすら俯いて、自分の握った両手に宿る、暗い気持ちを見つめる。
ラーンは特に急かさないけど、時折、なんでもない声を出す。
「今日は慌ただしいですねぇ。街に活気があるというか……」
返事をしなくても、それを責めることもせず、マイペースに話してくれた。
その抑揚は、一定の温かみを維持している。
変に私を焦らせないようにと、穏やかに笑ってくれていた。
静かな部屋。
でも、今の私には、それが落ち着かない。
必要以上に静かすぎて、ペンの音さえしてこないから。
騒がしくしたら怒られるのも、もうないのだろう。
怒られるなら、いくらでも騒ごうとするのに。
自分の気持ちなんか無視して、とにかく喚くのに。
胸が締め付けられていく。
ラーンのおかげで、寂しさは少しだけ癒えても、本当には埋まらない。
目を瞑っていたかった。
もう一度だけ眠れば、今度こそ夢だったって、そんなこと。
「……ない、よね」
呟いてから、私は歯を食いしばって、顔を上げた。
そっと振り向いてくれたラーンに、やっとの声を放つ。
「ラーン…………っ!」
「!…………はいっ」
姿勢を正して、緊張した顔になるラーン。
少し唐突だったのかもしれない。
私はなぜか怖気づいて、つい声が引っ込みかけたけど、続けた。
「あのね……信じられないって、思うんだけど。昨日…………」
「…………」
「……あの……あの、ね。昨日、私……師匠が……し、師匠が、ここに居ない……のは…………っ」
「あ、あのっ、パトナさん……! 慌てなくていいですから、少しずつ、ゆっくり話しましょう……?」
「あうぅ……っ、ぐすっ、うん…………っ」
昨日のことを、なにもかも全部、伝わるように話したかった。
けど、急げば急ぐほど、どんどん言葉が性急になっていく。
感情の沈んでいくスピードに、言葉が置いて行かれてしまう。
悲しそうなラーンの顔を見ると、自分がどんな表情をして話してるか、だいたい見当がつく。
いつかのノエッタや、いつかのシムとエルグが、苦しみながら話していたのを思い出す。
みんなと同じように、今の私は苦しんでいるのかもしれない。
自分とみんなを重ねると、ほんのちょっとは冷静になれる。
整理がつかない気持ちも、ラーンを信じて、思うままに投げることにした。
「……ラーン。全部、言うから。聞いててね……」
「分かりました。しっかり聞いてます」
涙を拭った私は、微笑む彼女に向けて、とにかく喋ることにした。
「……ラーン、師匠は……死んじゃったの。昨日、テレポートで…………」
「…………!」
「悪いヤツが、いて……でも、本当の原因は、私だったんだ……っ、私が師匠を殺したの……!」
ちゃんと話せてるかなんて考えずに、感情のままの言葉をラーンに託す。
彼女は黙ったまま、驚いた表情を浮かべたけど、そっと押し殺した。
「師匠は……私を守ってくれたの……! だけど、私はなんにも出来なくて…………っ! 悪いヤツにも、抵抗できなくてっ! 役立たずのまま、ここに帰ってきた!!」
私は眼を伏せて、キツくまぶたを閉じて、感情の山を崩した。
言葉は勝手に湧き出てきて、抑制のない口から飛び出す。
そのすべてが、今の私。
「私がいなかったら、師匠は今も生きてた!! 私が先にエンヴィに殺されればよかった!! 師匠の足手まといになるくらいなら、夢なんか叶えようとしないで――どうせひとりじゃ叶えられないのに、私なんか…………!! いつも師匠に頼りっきりで、魔法陣を描くのだって教えてもらって…………、えぐっ、ひっぐ……なんにも、なんにも出来ない…………っ! 私じゃ叶えられないよ……! 師匠に……ぐすっ、災厄も魔物も、師匠が居なきゃダメなのに…………私には、どうしても師匠が居なくちゃ…………うぅ、あぁ…………っ」
許せないのは、自分も、エンヴィも同じくらい。
師匠が居ないなんて、私には考えられないよ。
あの時、どうして私は……呆然としていたの?
暗闇の前に、為す術や無力だとか、一瞬だって考えちゃいけなかった。
あれは諦めだったんだ。
だけど、そうやって自分を責めても、まだ心のすべてじゃない。
情けないけど、役立たずだけど、自分のせいだけど――それでも、結局、最後に埋まらない気持ちは……
「――私…………っ、ニョッタ、師匠と、一緒にいたかった…………っ」
もう会えないなんて、信じたくないよ。
もしかしたら。
今思えば、ふたりで死ねたほうが、まだマシだったのかな。
それで一緒にいられるなら、心残りだってない気がするよ。
死……?
考えたこともなかったな。
「パトナさん……ッ!」
後悔に耽っていたら、そっとラーンの身体を感じた。
彼女にギュッと抱かれて、私は動けなくなる。
「私、思うんです……! パトナさんは、きっと悪くありません……!」
「…………ラーン……」
いつからか話すことに一生懸命で、ラーンの表情さえ見ていなかった。
だから、こんなに強く抱きしめられるなんて、考えもしなかった。
「だから、『代わりに』だなんて言わないでください……っ! お師匠様も、そんなこと望むはずないです……!!」
彼女の体温と、今にも泣き出しそうな声が、私の寂しさをまた癒してくれる。
ひとりじゃないってことを、この短い間に、二度も気付かされてしまう。
ニョッタ師匠のことばかり、頭に浮かんでいた。
だけど、今この瞬間、私と一緒にいてくれる彼女がいる。
それに、師匠が望まないこと……死んだりしたら、また怒られちゃうかな。
――自然にそう考えて、怒られるのに少しだけ憧れを抱いたのは、嘘とは言い切れない。
だけど、ラーンが傍に居てくれる今だけは、そんな考えをバカにできた。
「……しばらく、こうしてて」
「…………! はい……パトナさんが、寂しくないように……!」
ラーンの優しさに甘えて、私は目を閉じる。
彼女の存在を確かに感じながら、心に空いた穴を塞ごうとしてみた。
そんなこと、出来るわけなかった。
そのうち、もう考えることもやめて、ただラーンにしがみつく。
それで安心して、しばらくは心が温かかった。
「…………んっ!?」
「むっ」
音のない世界で、声だけ聞こえた。
目を開けると、開いた扉の前に、ふたりが立っていた。
少し汚れた格好の、ウィングとセンコウ。
彼らは私たちを見て、なぜかギョッとしていた。
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