#54 ナイトメア
「はは……っ、もう手一杯だったんだろ?」
抑揚を乱しながら、エンヴィが話す。
師匠を貫くレイピアを、その手に握ったまま。
「パトナを殺すのに……僕は全力だったんだ」
「…………ッ」
「足手まといを庇ってれば、いつか隙を晒すと踏んでね……」
その言葉とともに、銀の刃が素早く抜かれる。
血液を撒き散らして、私のほうへ力なく倒れる師匠――
唇を痙攣させた師匠は、開いた口から血を吐いた。
私は完全に硬直して、ただ青褪める。
起こったことを理解できずに。
次に覚えた感覚は、全身の毛が逆立つような焦燥だった。
「師匠ッ!!」
叫ぶ。
早く、なんでもいいから、なんとかしなきゃ。
応急処置をすれば、まだ間に合うかもしれない。
道具は……服の袖で……ダメだ、とにかく止血を。
身体が動かない。
師匠が死ぬなんて、一番いけないことなのに。
すぐに口で、身体で、指で――お願いだから死なないで。
「師匠!! しっかりして、師匠……っ!! すぐに処置をするから!!」
身体を引きずって、師匠の顔に触れた。
まだ体温はある、命はある。
でも、すぐじゃなきゃダメだ。
今すぐに助けてあげなきゃ。
まずは止血して……それから、それから……
呼吸を安定させて、あげて……!
「……ぁ、と…………っ」
「――ッ!! 師匠!? 喋っちゃダメ!!」
「な…………」
わけが分からなくなって、頭がぐらぐらする。
目の前の光景が、まったく信じられない。
そんな私の鼻に、師匠の手がそっと触れた。
「……っ!? え…………っ」
震える手。
彼女はなにも言わない。
そのまま、おもむろに回復魔法を発動した。
「……ッ!!」
身体に温かい感覚が伝わってくる。
だけど、こんなの望んでない。
師匠の気力を、私が奪っちゃいけないんだ。
「ま、待ってよ、師匠……っ!! ダメっ、使わないで!!」
「かハッ……、あ……っ」
「やめてよ……! いやだっ、私なんかいいからぁ……!!」
顔を振って、彼女の指から逃れる。
それでも魔法は掛かり続けて、私の身体を癒していく。
もう私がターゲットになっていて、どうやっても拒否できなかった。
疲労から覚醒していく頭で、手錠が外れたことに気付く。
足が動くようになって、頭の血も、肘の痛みも消えていく。
それだけじゃなく、魔力さえも少しずつ回復していった。
どれだけ傷が癒えても、頭の中はぐにゃぐにゃで、取り返しがつかないって気持ちが溢れる。
身体の温かさに反して、血の気が引いていく。
なんとかして魔法をやめさせなきゃ、師匠が…………
「これじゃ師匠が…………ッ!! 師匠が、死んじゃうよぉ…………ッ!!」
「ふ…………グッ、うっ…………」
「どうして……!? お願いだから、お願いだから!! もうやめてっ!!」
どれだけ呼びかけても、師匠はなにも答えてくれない。
その身体は、倒れた時の姿勢のまま。
「かはッ、ふゥ……っ」
血を吐きながら、焦点の合わない蒼眼で、私を見つめていた。
そうやって、少しずつまぶたを降ろしていく。
長く凛々しいはずの睫毛が、微かに弱々しく震えている。
目を閉じないよう、ほんの僅かに抵抗している。
「師匠!! ダメっ、目を閉じないでよぉ……ッ!!」
「…………」
「あぁっ、師匠……!! 師匠!! ダメだよ、師匠ォ……っ」
睫毛の先に宿っていた、縋るような彼女の意思は、やがて止まる。
静かに目を閉じて、まったく動かなくなってしまう。
「あっ……」
私の顔に当たっていた息遣いが、耳を澄ませて拾っていた呼吸の音が、ぱたりと途絶える。
きゅっと結ばれた口の端から、一筋の雫が垂れ落ちて、きめ細やかな肌に赤い川を引いた。
心で確信して、頭で否定して、少し待っても、なにも変わらない。
辛抱して、ずっと見つめて、目を開くって信じても。
なにもかも知らないふりをして、彼女の顔をじっと捉えても。
なにも変わらなかった。
これは嘘なんだ。
嘘なんだ。
私が騙されたら、私の頭にパサッて箒を乗せて、嘘だって……そう。
微笑んで、頭を撫でてくれるに、決まってるんだ。
「――……し、しょう。ねぇ」
勝手に曲がりそうな口角を、無理やり自然な笑みに変える。
それから、いつもみたいに――
「バカだなァ!!」
大声とともに、師匠の身体へレイピアが突き刺さった。
そして、また赤色。
私がなにか思う前に、心と身体が勝手に決めた。
エンヴィを殺すと。
……絶対に、殺す。
「エンヴィ……エンヴィ…………っ、エンヴィ、エンヴィエンヴィエンヴィぃぃぃぃ!!」
「はははははァっ!!」
傷も痛みも無くなった身体で、満身創痍のエンヴィに掴みかかる。
とにかく顔を殴って、手元からレイピアを奪おうとした。
「お前、人間だから!! 結局、がはッ…………!! これしか能がない!!」
「絶対に許さない!! お前だけは絶対に……ッ!!」
「無理だよ!! 足手まといのお前にはさァ!! ぶッ」
何回でも殴って、角も折る気で引っ張った。
手首を掴んで、手から得物を取ろうとしたら、忌々しく逃げていく。
その度に歪んだ笑みを浮かべるエンヴィを、怒りに任せて殴った。
エンヴィは足を使って私をあしらおうとした。
「あは、あはははは、ありがとう!! 役立たずのでシぼッ」
「死ね、死んでよ!! さっさと死ね!!」
「ぐはァっ!? ふっ……へ、はへへ、お前のおかげ!! 師匠が殺せたの、さ!!」
「黙れぇぇッ!!」
魔法も使えずに、身体を引きずっていくエンヴィ。
そんな状態で逃げ切れるわけがない。
苦戦したけど、とうとう捕まえて、レイピアを奪いきる。
魔族の黒っぽい血が、もみくちゃになった服に擦れる。
「ハァ…………っ、くっ、クソが……っ!!」
「やった……!! 喰らえッ!!」
エンヴィが師匠にやったみたいに、噴出させてやろうと決意した。
そうして剣を掲げた時――突き刺そうとした身体へ、サッと魔法陣が当てられる。
消滅の魔法陣だ。
「――ッ!!」
いつの間に、奪われてた?
「破るかい!?」
「あぁ…………ッ!!」
私は刃を振り下ろすことを躊躇った。
そのタイミングを見計らって、エンヴィが蹴り上げを繰り出す。
「うッッ…………!!」
「ははっ!!」
顎に掠って、痛みに意識を持っていかれる。
すると、いきなり消滅の魔法陣が舞った。
「せいぜい守りなよ、あははっ!!」
「あぁっ、魔法陣が……!?」
エンヴィが放り投げた魔法陣は、私の懐のあたりで無軌道に翻る。
落ちていくのを咄嗟に掴もうとしたら、その手は空を切ってしまう。
てこずった挙句、地面に着地したのを急いで拾って、すぐにエンヴィへ注意を戻した。
「はは、だから言ったのさ……!! 役立たずってね!!」
「…………!!」
見ると、エンヴィの周りでマナの収束が始まっていた。
マナは魔力となって、あっという間に魔法へと変化していく。
その変遷の圧倒的な速さに、伸ばした私の手は追い付けない。
「…………ッ!」
「当然、帰る余力くらい残すさ!! じゃあね、パトナ!!」
「待て……!!」
テレポートの魔法が発動する瞬間、私の指先は、かろうじて魔法に触れた。
次の瞬間、魔法は私とエンヴィを包んで、強い光とともに発動した。
✡✡✡
感覚はテレポーターを使った時と同じで、光の後に広がる光景も理に適っていた。
目を開くと、私は――街の中に戻ってきていた。
「…………」
ほぼ無意識に、使命のように閃いて、エンヴィの姿を探した。
でも、どこにも居ない。
隠れているのかと気配を探ってみる。
暗い。
明かりになるものがなくて、周りが視認し辛かった。
……いくら警戒しても現れる様子はない。
そもそもエンヴィは逃げる側だった。
ということは、取り逃がしたと考えるのが妥当なのだろう。
「…………っ」
歯を食いしばったら、また殺意が漲ってくる。
どうしても許せなかった。
そこから、許せない理由をすぐに辿ってしまう。
「……師匠は?」
一瞬前まで煮えるようだった憎悪が、不用意な自分の声で、すべて消え去る。
お腹の内側へ、重い一撃を入れられた気がした。
思わず膝を突きそうなほどの。
足が勝手に動いて、なにも見えない道を歩きだす。
現在地がどこかも分からないけど、目指す場所だけははっきりしていた。
意思がなくても止まることはない。
考えなんか、整理する以前の問題だった。
「…………師匠、は、いない?」
暗い。
平衡感覚を失って、壁にぶつかって、頭がグラつく。
壁伝いに歩いた。
とにかく、少しでも早く、まだ間に合うように……
でも、気付かされるまでもない。
――手触りで、拠点の扉が分かった。
すぐに開いて、そこで初めて魔法を使う。
「“唄え、短き命……勇気の欠片、誓いを守れ”――脈打つ情熱」
ポッと灯った、暖かい光。
それによって映し出されたのは、誰もいない拠点だった。
誰も座っていない、なにも乗っていない机があった。
「…………い、ない…………の??」
頭で分かったことが、声になると問いかけに変わった。
「いない?」
どうしてか、確信を持った口調では、絶対に口にはできなかった。
苦しくて、何度も声を出す。
何度も。
何度も口にした。
やがて、自分の声を聞くのさえも堪えられなくなって、地面に崩れ落ちる。
へたり込んでから、開けっ放しの扉と、空っぽの拠点を感じてしまった。
なにも信じたくない。
夢で、嘘だ。
きっと目が覚めたら、私はきっと、師匠はきっと…………
「……だって……師匠は…………」
頭から吹き出すみたいに、いきなり高熱が襲ってくる。
これ以上、自分の身体を支えられそうになくて、硬い床の上に倒れた。
そして、そのまま動くこともできずに、なにも考えないで目を閉じた。
「……ニョッタ、ししょう…………」
手の中にあるものをギュッと抱く。
ああ、もう、こんな夢からは覚めなきゃ。
朝になったら、きっとすべて終わってるから。
纏わりつく重みとか、わけが分からない世界とか、なにもかも。
こんなの、おかしいんだ。
おかしいんだ。
…………
……………………
………………………………
✡✡✡
――起き抜けに後ろを振り向くと、開け放たれた扉があった。
私はまだ、こんな硬い床の上で寝ていて……どんな風に帰ってきたのかも、あやふやで。
でも、知りたくもないのに、朝がすべてを晒してしまった。
空っぽの拠点と、どこにもない姿。
「……あ、あぁ…………」
叫びたかったのに、掠れた声しか出ない。
もしも現実のほうが嘘だったら。
未完成の魔法陣が、私の手を離れて、床の上へひらりと舞った。
ダメなんだ。
分かったよ、どうして思い知らされるの?
ニョッタ師匠は、ここに居ない。
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