#53 ダークネス
師匠が空気の振動を起こすと、エンヴィは大きく横へ飛ぶ。
すると、さっきまで彼がいた場所は、連なる爆風に埋め尽くされた。
攻撃を返すように、エンヴィの魔弾が師匠へ襲いかかる。
けれど、師匠はそれを避けることすらせず、身体で受けた。
なのに無傷で――それどころか、返ってエンヴィの隙を突いてしまう。
「ふッ」
「ぐはァッ!?」
掌底に突き飛ばされたエンヴィは、一瞬で遠くまで消えていった。
だけど、この戦いに距離は関係ない。
息を吐く暇さえなく、次の瞬間にはテレポートによる空間の捻れが起き、エンヴィが戻ってくる。
師匠の頭上から降ってきた彼は、黒い魔力を纏った拳を振りかぶった。
「ニョッタァァァッ!!」
「効きませんわよ」
迎え撃つ師匠は、攻撃を手のひらで受け止めた。
結果、魔力と魔力の衝突が起きる。
突風さえ生ぬるく思える、暴力的な魔法の波は、私のバランスを簡単に奪った。
「うわぁぁっ!?」
私はひとり、無力にも飛ばされてしまう。
衝撃を和らげる物がなにもない空間だけど、今度はなんとか、受け身を取ることだけはできた。
すぐに立ちあがって、次の衝撃に備える。
遠く離れても、魔力の奔流は未だに伝わってくる。
誰にも割り込めないような勝負が繰り広げられていた。
名も知らないダンジョンの中、拡散する魔力が混ざり合って、空中は終末を思わせる色に染まっていく。
そんな中で、私はただ突っ立っていることしか出来なかった。
援護も、回避も、戦いの次元が違い過ぎて意味がない。
師匠の背中に張り付いていることさえ、私には出来そうになかった。
「…………なんでっ」
やけくそ気味に腕を構えて、遠くからエンヴィを狙い打とうとする。
けれど、テレポートで瞬時に移動してる彼を補足するのは、至難の技だった。
おまけに空間のマナが乱れていて、魔法自体の創成が難しい。
それでも、やらなきゃ。
役に立つんだ。
「“唄え、短き命……! 勇気の欠片、誓いを守れっ!”――脈打つ情熱っ!!」
時間をかけて、なるべく大きな火球を創り出す。
それから、空気中で乱雑に動くマナを大雑把な目印にして、気合いを込めて撃ち出した。
「いっけぇぇぇぇぇーーーーーっ!!」
私の心臓、脈打つ情熱。
いつだって私は、この魔法と一緒に成長してきたんだ。
これが届かないなんてこと、あるはずがない!!
戦闘を続けるふたりへ、火球はまっすぐに突き進んでいった。
荒ぶるマナの激しい波にも耐えて、火の粉を散らしながら飛んだ。
私の希望は、エンヴィだけを貫くために燃えた。
成長したんだ。
強がりなんかじゃない。
本当に、思うことで。
――でも……
「…………あぁ……っ」
希望が師匠の傍らへ届きそうになった時。
デタラメな魔力が吹き付けて、大きな火球は丸ごと消し飛んだ。
まるでロウソクの火が吹き消されるかのように。
テレポートが空間を歪ませて、そこから無数の闇が降り注ぐ。
すると、どこからともなく光の布が現れて、すべての闇を覆った。
それは大きなベールのように広がって、やがて翻って霧散したら、晴れた視界にはなにも無かった。
無尽蔵の攻撃と、大規模な相殺。
それが繰り返されて、飛び回るエンヴィが少しずつ疲弊していく。
師匠はその場を動かずに、すべてを魔法で解決していた。
唇が震える。
ダメなのに、眼で追うだけで精いっぱいだ。
なんの役にも立てない。
「私だって、私だって……っ!!」
エンヴィの言葉が蘇ってしまう。
『ゴミを守るのは大変だねぇ、ニョッタ!!』
人を貶めたいだけの、下らない言葉のはずなのに。
さっき聞いた時よりも、胸の内を抉るようだった。
真っ向から否定できなくて、じりじりと心を蝕まれる。
拳を握りしめた。
冷静にならなきゃ、心を落ち着けなきゃ、集中しなきゃ。
魔法を使うのに支障が出る。
私になにも出来ないって、そんなの諦めだ。
諦めたら先はないんだ。
苦しくたって踏ん張って、意地でも道を作れ。
それが出来なきゃ、エンヴィを――弱い自分を倒せないっ!
「――負けて、たまるか…………っ!!!」
大きく発声すると同時に、私の周りにも空間の歪みが現れる。
さっき見たのと同じように、闇が降り注ぐ前兆を感じた。
すべての亀裂は、完全に私だけを狙っている。
「師匠に守られるだけの私じゃ、なんにも成長してないっ!!」
エンヴィは私を殺す気なのだろう。
それなら、私はその殺意を防ぎきって、絶対に一発は返してみせる。
役立たずじゃないってことを証明してやるんだ。
「“夢錻力、紫苑の花!! 覗けば見落とし、掴めば旗!! 谷底に咲く、濡れた咆哮”――自縛の金剛星ッッッ!!」
空高く両手を掲げて、支えきれるギリギリの重さの球体を創り出す。
それに魔力を流し込んで、限界まで増幅した。
耐えられなくなったら即座に相殺して、また増幅、相殺、増幅…………
出来上がった魔力の塊は、身体が潰れそうなほど重い。
でも、この塊にすべての想いを込めているのだから、そんなの当然だ。
自分の気持ちを支えきれないなんて、あり得ない話なのだ。
グッと歯を食いしばって、全身の力で耐えた。
刹那。
亀裂は広がり、空中を傷付けて、悍ましい闇を吐き出す。
霧のように立ち込める暗黒が、自縛の金剛星を包んで、球の皮膚を遠慮なく削り取ってきた。
「ふぎっ、ぐうぅぅぅ…………ッ!!」
精いっぱいの魔力をつぎ込んで、すり減る魔法を強化し続ける。
暗黒は勢力を増していって、際限なく降りかかってきた。
全力で押し返しているのに、闇は晴れない。
膠着状態……違う、少しずつ押し負けてしまっている。
このままじゃ、私の魔法が壊されてしまう。
息が上がりそうだ。
充満する暗黒は、私の心を映し出しているみたいで。
跳ね除けなきゃいけないのに、力が足りていない。
覆われてしまう……身体も、心も、闇に壊されてしまう。
「う、うぐぅ……ッ!! あう、うぅ……!!」
黒い魔力が、球体のコアまで浸食してくる。
そのまま心臓を狙い打たれて、小さくなっていた自縛の金剛星は、魔力暴走を起こして爆散した。
「うああああっっ!!!」
衝撃をモロに喰らって、私は地面を三度も転げた。
身体を強く打ち付けた時、足首のあたりに激痛が走る。
どうやら骨が折れてしまったらしい。
「あぐっ、ううぅ…………っ」
肘を強打した後、うつ伏せの状態から立ち上がろうとした。
だけど、痛みで足が動かせない。
仮に立ち上がれても、歩ける状態ではなさそうだ。
爆散によって少しは晴れていた霧も、またすぐに群れを成す。
それらは形を変えて、今度は球となる。
亀裂からは無尽蔵に魔法が押し寄せてきていた。
手で身体を支えているから、自縛の金剛星を構えることは出来ない。
他の魔法で対抗するしかなかった。
「くっ、ふぅ……っ! “沈黙よ、応答願う……愛しい距離、弓渡るガラス玉、唄う瘡蓋と落ちる塔! 望まぬことを望み、消えぬ命の最期に触れる!”」
比較的、カバー範囲の広い魔法である、失われし世廻鳥を詠唱する。
私の頭上に現れた魔法の球体は、周囲に小さな球体を呼び出す。
いくつかの小さな球体は、円周に沿ってクルクルと回った。
「“届かぬ光よ、花を選んで、私に会いに来て”――失われし世廻鳥!!」
詠唱を終えると同時に、それらは弾になって飛び散る。
私の視界を埋め尽くしていた闇を、勇ましく迎撃してくれた。
正直、この魔法をひとりで扱いきる自信はなかった。
それでも、今は限界を超えるつもりで扱いきるしかない。
そうじゃなきゃ殺されてしまう。
頭から流れてくる血が、邪魔をするように視界を塞いだ。
集中を乱されながらも、すぐに袖で拭って、また目の前を凝視する。
休まることのないエンヴィの魔法を、とにかく全力で凌ぐために。
でも、そうする意味はないのかもしれない。
私が出せる最大威力は、間違いなく自縛の金剛星だ。
それで抑え込めなかった暴威に、どうして他の魔法で対処できるだろう。
迎撃に使える弾は、いつしか底を尽き始めた。
魔力が限界を迎えているのだと分かる。
霞む視界と、頭を支配する疲労を無視して、増幅を続けた。
長くはもたないと悟りながら。
「ハァ…………、ハァ…………っ」
広がっていく闇の前に、私は無力だ。
身体の自由を奪われて、魔法も満足に使えないまま、ただ必死になっている。
頭の中で繰り返す言葉は、たったひとつ。
(諦めちゃいけないんだ)
それがどんな意味を持ってるか、もはや分からない。
意味なんて無くて、ただ自分を動かすために、一心不乱に念じているだけなのだろうか。
前方はなにも見えずに、一面の黒に支配されていく。
その時、迎撃を続けていた私の魔法が――狙いを外して、闇の狭間に消えていった。
「あ……」
狭間さえ闇に覆われていく間に、ひたすら念じていた言葉も途切れた。
このまま飲まれて、なにも分からなくなる。
私には、闇を退けるだけの力が無かったのだろうか。
蓄えてきたはずの力は、なんの役にも立たないのかな。
死にたく、ないのに…………
「――パトナっ!!」
死に飲まれる瞬間、声が聞こえた。
朦朧としていても分かる、師匠の声。
その時だけ、身体が力を取り戻して、しっかりと眼が開く。
頼もしい師匠の背中が、すべての闇を掃うのが見えた。
彼女はローブをはためかせて、一瞬にして暗黒を消し去った。
「起きなさい、パトナ!! ここで終わっては、あなたの夢は――」
その声は、肉が斬られた生々しい音に遮られた。
私の視界に、今度は赤い色が撒き散らされる。
赤は飛び散って、温かさと水の感触となって、私の頬に着地した。
「…………し、しょう?」
師匠のお腹から、鋭い煌めきが飛び出していた。
レイピア。
切っ先に鮮血を垂らすそれは、確かに彼女の身体を貫いている。
「が、ふッ」
師匠の口から、赤色が飛び出した。
たとえ少量だったとしても、決して口から覗いちゃいけない、忌まわしい色。
すべて私に降りかかってくる。
なにが、起こってる、の……?
イヤだ。
こんなの、あり得ないよ。
「……あはは、ニョッタ・ナグニレン……殺されるって、どんな気分だい?」
師匠の背後から覗く、黒く長い角。
息継ぎ混じりのエンヴィが、低い声でそう言った。
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