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#52 アドマイア

 酒場を出て、拠点に戻る私たち。

 目的が分からないエンヴィも、そろそろ居なくなっただろうか。

 まだ拠点で待っていたら、かなりしつこいと思う。


 ギルドと拠点はそれほど遠くないけど、もう夜遅くで、街の明かりを頼れない。

 師匠は明かりを灯す魔法を使って、道中を見えるようにしてくれた。


「消滅の魔法陣も、あともう少しで完成しますわ」

「さっすが師匠!」

「けれど、最後の制御がどうしても描き足せませんの……膨大な魔力を束ねて、一方向の光として射出するための、重要な制御が――」


 そこまで言った師匠は、ふと立ち止まった。

 いきなりで戸惑ったけど、私も同じように足を止める。


 師匠に呼びかけようとした、その時――肌に僅かな痛みが走った。

 神経をくすぐるような、嫌な魔力の奔流。


「……師匠」

「エンヴィね」


 師匠がその名を呼ぶと、目の前に時空の捻れが現れた。

 それは一瞬にしてエンヴィを吐き出し、閉じてしまう。

 見たことのある現象……テレポーターを使った時と同じだ。


「あはは、僕が大人しく帰ると思ったかい? 君になにもせず、コケにされたまま帰ると?」

「お帰り願いますわ」

「そんなわけないだろうが……ッ!! 殺してやる、ニョッタ・ナグニレン!!」


 エンヴィは自分勝手にキレて、正体の掴めない魔法を展開した。

 大きく広がった時空の捻れは、たちまちにして私と師匠を引き込んでいく。


「うわわっ!?」

「テレポート……ですわね」


 為す術もなく、私たちは捻れに飲まれてしまった。


 ✡✡✡


「いてっ」


 空中から弾き出された私は、地面にべしゃっと倒れ込む。

 もう少し丁寧に転送してくれないかなぁ……


 なんて、言ってる場合じゃない。

 一体なんのつもりで、エンヴィはこんなことをしたの?


「師匠! どこ!?」


 とにかく、師匠とはぐれないようにしなきゃ!


「ここにいますわ」

「あっ、ししょ……いてっ」


 声に振り向くと、隣に師匠を見つけた。

 それと同時に頭をチョップされてしまう。

 痛くない。


 良かった、師匠が近くに居て……


「暢気だねぇ、パトナ! なにも考えてないのかな!?」

「むぅっ!?」


 いきなり煽られた私は、ムッとしながらエンヴィのほうを見る。

 彼は赤い眼を鋭く光らせて、苛立たし気な表情をしていた。


「ここはダンジョンの中だよ。邪魔が入らないように、わざわざ移動してやったんだ……感謝しろよ」

「誰がお前なんかに感謝するもんか!」

「あー、うるさいねぇ。君なんか、本当はどうでもいいんだよ」

「はぁー!? 連れて来といて、なに勝手なこと――」


 私が喋っている間に、エンヴィは魔法を発動した。

 それによって、私の両手首に見覚えのある枷が嵌められる。


「うわっ!?」


 枷があまりにも重くて、私は立っていられなくなった。

 重心を持っていかれて、あえなく地面にへばりつく。

 体感だけど、自縛の金剛星(ジュピター)より重い。


「黙ってろ、小娘……」

「こ、こんなもの……!」


 躍起になって外そうとしても、身動きひとつ取れない。

 口だけしか動かせないような状況だった。


 そんな私を無視して、エンヴィは歪な笑みを浮かべる。


「さあ、ニョッタ・ナグニレン! 僕と殺し合おう!」

「…………」


 師匠は静かにエンヴィを睨む。

 けれど、動き出そうとはしなかった。


「あれ? どうしたんだよ、早く来なよ……街に帰りたいなら、弟子を助けたいなら、僕に従え!」

「……殺し合い、ね。あなた、災厄の復活はどうしますの?」


 冷たい眼をする師匠。

 殺し合いなんて下らないと、言外にそう語っていた。


「はぁ? 僕の言ったこと聞いてなかったのかよ? もう封印は解いたんだよ!!」

「それは嘘でしょう」

「なんだと……ッ!? 僕を安く見るのも大概にしておけよ!! 真実だ!!」


 師匠が疑うと、エンヴィは苛烈な表情を浮かべて怒った。


 でも、真実だなんて……私には信じられない。

 封印を解いたなら、こんなところで殺し合いなんかせずに、さっさと災厄を解き放つはずなのに。

 エンヴィは一体、なにを考えてるの?


 不審に思っていると、彼は笑いだした。

 さっきまで恐ろしい顔をしていたのに、今度は嘲りの笑みを浮かべている。

 奇怪なまでにコロコロ変わる表情が、ちょっと不気味でさえあった。


「――あぁ、負けを認めたくないの? そっか、そうだよね。天才の君が負けるなんて、あってはならないことだ……でも残念、本当のことなんだよ。僕はやっと災厄の封印を解き、復活間近まで漕ぎつけたのさ!」


 自信ありげにそう語るエンヴィは、勝ち誇った顔をしていた。

 信じられないけど、本当に封印は解かれてしまったの?

 でも、だとしたら……


「……封印が解けたのなら、あなたはなにが目的ですの?」


 師匠が尋ねる。

 すると、さらに口角を上げるエンヴィ。


「決まってるさ……君の悔しがる顔が見たかった。劣っていると思っていた僕に負けて、無様な負け犬顔を晒す、その瞬間を見たかったんだ……!」


 彼が語った理由は、私には理解し難かった。

 聞いて、一番最初に思ったのは……


「く、下らない……」


 その一言だけ。

 あまりにも拍子抜けで、思わず口に出してしまう。


 その瞬間――私の目の前で、フラッシュが起こる。


「――ッ!?」


 眩さに眼を閉じて、もう一度開けた時には、目の前に師匠の背中があった。

 致命的な一撃から庇ってもらったことが、すぐに分かった。


「そんなに弟子が大事かい、ニョッタ!! それとも、ハクサ・グレムの娘だから!?」

「……そんな些細なこと、今さら関係ありませんわ」

「はははははッ!! いずれにせよ、君はそいつを庇わなきゃ気が済まないんだろ!!」


 師匠の背中の向こうで、威勢よく喋るエンヴィ。

 けれど、彼の身体は、次の瞬間に吹き飛ばされていた。

 なにが起こったか分からない。


 始まった戦いについて行けない私は、呆然とするしかない。

 ただ戸惑っていたら、師匠はこっちに振り向いて、耳元に囁いた。


「エンヴィに狙われないように、どこかへ隠れなさい」

「――……っ!!」


 それだけ言って、また背中を見せる。

 前から飛んできた魔弾を掻き消すと、エンヴィへ追い打ちをかけるべく、高速移動を行った。


 この期に及んで、私はまだ足手まといなの?


「……こんな手錠、すぐに外してやる……!」


 黒くて重い、邪魔な手錠から抜け出そうとする。

 手首を動かして、身体を捻って、必死で自由になろうとした。

 魔法で出来た物に対しては、すべて無駄な動きでしかなかった。


 悔しい。

 私は……ランク7になって、ようやく師匠に追い付ける気がして。

 肩を並べられたなんて思わないけど、ただ背中を眺めていた頃とは違うって、そう信じてたのに。

 こんな拘束ひとつで、また役立たずになってる。


 これじゃダメなんだ。

 災厄を倒すっていうなら、もっと強くならなくちゃ。

 なにがなんでも解除してやる……!


「魔法の構成要素が分かれば、どうってことないはず……!」


 魔法を打ち消す方法は、大きく分けてふたつある。

 まずひとつは、魔法のコアを破壊して、形を保てなくすること。

 ふたつめは、その魔法を構成しているマナに、アンチマナをぶつけて相殺させること。


 コアを壊すのは、いわば力技。

 小包を壊して中身を取るようなものだ。

 それでいくと、相殺のほうは、丁寧に包みを開いていく作業である。


 今、選べるのは相殺のみだ。

 苦手な方法だけど、物理的に逃れることは不可能だから仕方ない。


 ――まずは集中して、魔力の流れを探る。

 眼を閉じて、肌の刺激を頼りに、コアを見つけにいく。

 自分の魔力と魔法のリズムを同調させて、少しずつ、丁寧に……


「……ここ、かな」


 脈拍のリズムが心臓に伝わってくる……コアだ。

 今、私と魔法は同じ鼓動で存在している。

 対話するように、存在をもっと深く結びつけていく。


 そのうち、拘束魔法のマナが、私の身体に入り込んできた。

 元を辿れば、これはエンヴィの魔力で――そのせいか、一瞬だけ異物感を覚えた。

 けれど、拒絶してはいけない。

 受け入れて、包みをキレイに開くみたいに、要素を紐解いていく。


(ほとんど闇や魔属性のマナ……アンチマナは光……だけど、私には……)


 闇属性に対しては光属性だけど、普通の人間は光属性を持ち合わせていない。

 光は神の属性とされていて、教会で然るべき祝福を受けた者でないと使えない。

 また、闇は魔族の属性とされ、人間が用いることは禁じられている。


 該当するマナを操れない以上、相殺はできない。

 とはいえ、大部分が相殺不可能でも、部分的に可能だ。


 残りのマナを解析して、ひとつずつ潰していく。

 完全に消滅させることはできなくとも、マナが消えれば魔法は弱くなる。

 特に、地属性のマナが消え去ると、拘束は段違いに軽くなっていった。


 両腕は不自由だったけど、なんとか立ち上がることは出来た。

 今まで動けなかったことを思えば、大きな進歩だって思う。


「魔法は……“唄え、短き命。勇気の欠片、誓いを守れ”――脈打つ情熱(フレイム・ヴェイン)!」


 拘束されたまま構えても、詠唱すれば魔法も出る。

 コントロールも大丈夫。

 今はこれで十分だ。


「よし、これで……!」


 戦える――そう信じて、師匠のところへ駆けだす。

 そこへ時空の捻れが現れて、エンヴィの姿が飛び出した。


「うわっ!?」

「死ね、パトナ」


 彼は片手で私の顔を覆うと、闇の魔法をチャージする。

 私は咄嗟に避けようと考えて、タイミング的に避けられないことを悟った。

 せめて翳された手に噛みつこうとしたけど、そう判断する前に攻撃が被さってくる。

 最後のあがきで顔を背けると、衝撃は私の耳を吹き飛ばした。


「あぐあァァぁっ!!」


 弾けた闇の衝撃で、身体は紙のように吹き飛んだ。

 耐えがたい痛みと、不自由な両腕のせいで、受け身も満足に取れない。

 なにもないダンジョンの無機質な床に、何度も身体を打ち付けながら転がった。


 耳が付いてるか、気になりはしたけど、確かめる余裕はない。

 這いつくばって、すぐにエンヴィの姿を捉え直した。

 彼のほうも、すぐに私を追おうとして――高速移動してきた師匠に捕まる。


 私の目の前で、また闇が弾けた。

 けれど、さっき私が飛ばされたようなことにはならない。

 師匠の頼もしい背中は、衝撃をものともしなかった。


「ゴミを守るのは大変だねぇ、ニョッタ!!」

「わたくし、そんなものは守りませんことよ」


 闇の中でさえ、ニョッタ師匠の背中は輝いている。

 思ってしまうことは、どうしようもなかった。


 カッコいいな。

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