#44 リコンシリエーション
師匠のことが、また少し分かった昨日。
おかげで今朝は快調だ。
起き抜けに拠点から出て、澄んだ街の空気を吸う。
「おはよう、師匠!」
空へ腕を広げて、背中越し、私より早く起きていた師匠に挨拶する。
彼女は「ええ、おはよう」と、いつも通りに返してくれた。
それから、またいつもの机に座るのだった。
「ね、師匠。今日もお菓子、買ってきていい?」
「ワッフルかしら?」
「うーん……なるべく別のお菓子にするよっ」
ワッフルは師匠とお父さんにとっての大事なお菓子だ。
だったら、私も師匠との特別なお菓子が欲しい。
今日、余裕があったら探してくるんだ。
えへへ……なんか今日は、なにもかも上手くいく気がするよ。
✡✡✡
ギルドでシムたちと落ち合う。
そして、すぐに“春思う樹木”へ行った。
桃色に染まった木々の間に、桃色のはなびらが舞っている。
少し足を踏み出せば入れそうだけど、実際はそうはいかない。
ダンジョンの中に入るには、はなびらを肩に乗せなければいけないのだ。
肩に乗せた瞬間、今まで見ていた景色はガラリと変化して、桃色の世界に吸い込まれる。
ちなみに、このはなびら、意外に手で掴まえるのは難しかったりする。
でも、今回は入り口で待ち伏せするだけ。
エルグがいつダンジョンに来たかは、はっきりしない。
でも、まだクエストをクリアするには早い時間だ。
念のためギルドの人に確認したけど、まだ完了報告もないらしい。
ダンジョンから出てくるか、やって来るか。
そのどちらかで、必ず彼女に会えるはずだ。
「お前ら、ここに立ってんのかよ」
「心配すんな、アヴェンが来たら散る。それでいいだろ」
「正直……あんまり見られたくねェんだが」
「知るかよボケ! あたしの勝手だろッ」
盗賊王さんは聞き耳を立てて、ダンジョンから出てくるエルグを待ち構える。
そしてシムは、ダンジョンにエルグか来ないか見張っていた。
シムの表情は緊張気味に強張っている。
謝っても受け入れてもらえるか分からなくて、不安でしょうがないのだろう。
仲間の死は、そう軽いものじゃないから。
私が着いてきたのは、このためだよね。
応援してあげないと。
「シム。大丈夫だよ」
「……パトナ」
「誠心誠意、しっかり頭を下げれば、分かってもらえるはずだから!」
「どうかねェ」
「ま、まぁ最悪、殴られたりとかするかもだけど……でも、そんな、悪いほうには行かないって信じてるよ! 私は!」
掛けてあげられる言葉は少ないけど、出来るだけ元気に声を掛けた。
すると、シムはおもむろに飴を咥えて、空を見上げる。
「そうかい」
横からじゃ顔は見えなかったけど、その声音は後ろ向きじゃなかった。
少しだけど、力になれたかな。
私は見守ることしかできないけど……頑張れ、シム。
――逸る気持ちを落ち着けながら、待ちぼうけ。
みんなで今か今かとエルグを待ち構える。
思ったけど、こんな風に待ち伏せされてたら、エルグは戸惑うだろうなぁ。
「何事でありますか!?」ってな感じで。
ダンジョンはただ静かで、何者も拒まないような佇まいをしていた。
ただでは入れないし、入ったら出られるか分からないのに。
ぼんやり眺めていると、一色に染まった世界は、たまに恐ろしくなる。
別の場所へ目線を泳がしたりして、時間を潰していた。
「来ねぇな、アヴェンのヤロー」
「…………やっぱ帰るか」
「あ!? てめッ、ペスカ――」
待機中の気持ちの起伏で、シムが弱気に流れた、その時。
盗賊王さんは機敏な動きで、ダンジョンのほうを視認した。
「……! 誰か来やがるぜッ!」
その合図で、私たちは即座に身構える。
いよいよエルグとの対面だ……!
本当のことを、彼女に伝えないと!
決定的な瞬間が近付いてくる。
ダンジョンの中にいる人は、私たちの眼には見えない。
だけど足音は次第に、こちらに近寄ってきた。
決意と緊張に、ぐっと眼を見開くシム。
そんな彼の肩を、私は両手で押さえた。
「大丈夫……! 上手くいくよっ!」
「……へ、へへ。期待しとくぜ」
かくして、ダンジョンに舞っていたはなびらが、突風に吹かれる。
吹き付ける魅惑の色に、私たちの視界は奪われた。
眼を閉じて、次に開けると、そこには――
見覚えのある、水色の短い髪。
見慣れないマントを羽織って、懐かしい長剣を手に、涼しい顔で佇む男の子。
キリっとした短めの眉と、少し釣り目気味な水色の眼。
昔から愛用している、前をボタンでキッチリ閉じた青い服と、身軽そうな青いズボン。
少し見ない間に、ちょっとだけ変わった顔付き……
彼は、私を見た。
そして口を開く。
「パトナ……お前、このダンジョンに用か?」
現れたのはエルグじゃない。
私の幼馴染であるトラフだ。
「トラフ!?」
久しぶりに会ってしまった。
ま、まさかこんなところで再開するなんて……
たまにギルドとかで顔を見ることはあったけど、目の前にすると、一緒に旅立った時と雰囲気が違う。
前はちょっと刺々しかったのが、今は頼りがいがありそうというか、男らしいというか。
服に隠れてあまり目立たないけど、筋肉も逞しくなってる。
「く、クエストに来てたの?」
「ああ、ダンジョンボスの素材をな。手こずることはなかった」
「そ、そっか……さすが……」
クールに剣をしまって、背負っていた織物を取り出す彼。
見ると、それは白い着物……ダンジョンボスの魔物、“コダマ”の着物だ。
それを見た瞬間、私はハッとした。
コダマの着物を取ってくる依頼は、私たちも受けていたはずだ。
このクエスト自体、あまりポピュラーな素材じゃないから、別の人が頼んでいたとも考えにくい。
ということはつまり。
トラフも同じクエストを受けてたってことだよ。
私たちのパーティは、先を越されちゃったってこと?
……負けた!
「負けた!」
「遅いぜ、サンロード」
「え!? その発言、知ってるじゃん!」
「気が乗ったんだよ。たまにはこういう競争もいいな」
「わざと受けたね!?」
してやったりと言った表情で、ゆっくり着物をしまうトラフ。
どう考えても、サンロードがクエストを受けたって知ってた。
わざと追い抜いたんだな、こいつー!
真実を知った私は、トラフに復讐を決意した。
ガーってなって、服に噛みつこうとした。
すると、それを別の誰かに止められる。
「クエストは早い者勝ち!」
「うわぁっ!?」
白くて細い手が、私の腕を引く。
眼を向けると、腕を掴んでいたのは、一人の女の子だった。
“春思う樹木”に舞う花びらより、少し濃い色の髪。
前髪は流して、後ろ髪は赤みがかったリボンでツインテールに纏められている。
桃色の瞳に、細いけれど表情豊かに動く眉が、とても可愛らしい。
女の子らしいブラウンのブラウスに身を包んだ、絵に描いたような美少女。
そんな彼女は、私に身を寄せながら、いたずらっぽく笑う。
「僕たちのほうが早かったんだから、恨みっこなしだよ!」
「え、えっと……トラフのお仲間さんだよね?」
「そ! トラフと一緒に死線を潜り抜けた、パートナーとも呼べるべき存在だよ!」
私から手を離すと、彼女は誇らしげな顔で胸を張った。
そして、おもむろにトラフのほうを振り向くと、ウインクをする。
「ふふふ。紹介よろしく、トラフ!」
「ああ……えっと、彼女はティム・ローグだ。盗賊で、俺のパーティのメンバーだ」
「うん、サイコーの自己紹介だ! 大好き、トラフ!」
紹介されるや否や、彼女はトラフに抱き着いて――なんと、頬にキスをした。
過激なスキンシップ!
ど、どこに眼をやれば!?
「悪い……やめてくれ、ティム。少なくとも、パトナの前では……」
「なんで? 幼馴染だから? じゃあパトナちゃんに聞こう!」
「いや、なにを?」
やりたい放題の彼女の眼が、また私を捉える。
「パトナちゃん! 僕とトラフについて、どう思う?」
「ど、どうって……その……」
自由過ぎるよね、ティムちゃん。
いきなり言われても、そんなの分からないよ。
ていうかショッキングだよ、久しぶりに会った幼馴染に恋人が出来てるとか……
困ってたら、またティムちゃんのほうから喋る。
「言葉にできないほどお似合いってことだよね?」
解釈がポジティブ過ぎるよ。
自由過ぎる彼女に振り回されてると、横からシムが口を出す。
「あー、つまり……お前らは幼馴染で、知り合いなんだな?」
「あ、うん。ごめんねシム、置いてけぼりにして」
「構わねェよ。ただ、エルグじゃなかったもんで、なけなしのアレが空回ってるだけだ」
なけなしのアレってなんだろう。
と、思いつつ、シムを見ると……彼は少し疲れた顔をしていた。
どことなく、さっきより疲労しているように見える。
そうだよね……シムは疲れるに決まってるよ。
いつでも話せるようにって、心構えしてるんだもんね。
うーん、できるだけ早く来てくれないかな、エルグ。
「パトナちゃん、その人だぁれ?」
「あ、この人は――」
首を傾げるティムちゃんから尋ねられて、私はシムを紹介しようとした。
その時、シムが自分から口を開く。
「俺はシム・ペスカだ。ある個人的な事情があって、ここで人を待ってる。パトナと向こうの女は、その個人的な事情に勝手についてきたヤジウマだ」
私と盗賊王さんも、ついででダイナミックな紹介のされ方をされてしまった。
ヤジウマ扱いは酷いよね、間違ってないけど。
それにしても、その自己紹介にすら、多少の憔悴が覗いていた。
眉間に寄った皺が、彼の穏やかじゃない心中を表している。
休んだほうが良さそうだ。
「シム、大丈夫? エルグはまだ来ないし、休んだほうが……」
「いや、いい。いつ来るか分からねェしな」
木陰にでも座って、心を休めるように言っても、シムは首を振る。
そして、具合の悪そうな顔で言葉を続けた。
「俺は今まで、散々逃げてきた。本当のことを言わずに、コソコソと過ごして……罪悪感よりも、臆病さが勝ってたんだよ」
「シム……」
「もうこんな生活はやめなきゃいけないことも、本当は前から分かってたんだ。今日、やっと決心がついた……無為にしたくはねェんだ」
私が思っている以上に、彼の覚悟は決まっている。
昨日、一度だけ言いそびれて、より固く結ばれた決意だ。
少しの心労くらいで、易々と折れるものじゃない。
シムの男らしいところを、私は初めて見た気がする。
それに感動して、もっと応援しようとした。
けど、その時。
トラフたち以外、誰も現れていなかったダンジョンから、小さく声がした。
「――…………シム氏は、本当にリーダーなのでありますね?」
聞き覚えのある声と口調。
その存在に気付いた時、一気に体温が下がった。
咄嗟に振り向く。
最初に眼に入ったのは、額にある大きな傷と、不安定な表情。
耳もとを隠す、緑色の髪――そこに立っていたのは、紛れもなくエルグだった。
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