#35 イデアル
魔導師になりたい。
そう言われて、私はまずシムの素養を確かめた。
残念ながら、魔導師とは誰にでもなれるものじゃない。
先天的な魔力の有無、魔法を扱うセンスの有無、めげずに知識を身に着ける根性。
などなど……壁になる要素はごまんとある。
そういう諸々の事情で、彼がなるのは絶望的だ。
魔力が無いというのが、そもそも絶望的だ。
「残念だけど諦めてください」と言うしかないと思う。
でも、シム本人の眼は真剣だった。
経験のあるレベル8なら、それくらいの事情は知ってそうなのに。
「実は俺よ、共同クエストってやつを受けちまったんだ」
バツが悪そうな顔をして、口を開くシム。
共同クエストとは、何人かの冒険者に協力を要請する依頼だ。
通常、クエストの依頼は一パーティ、または個人にする。
しかし、どうしても人数が必要なタイプの仕事は、別形式のクエストとして複数の冒険者に依頼するのだ。
様々なパーティ、ソロ冒険者が集まって、一丸となってこなす……それが共同クエスト。
「それがどうかしたの?」
私が尋ねると、彼は眉間に皺を寄せながら、ジョッキのビールをちびちび飲む。
片手に棒付き飴を持て余していた。
「エルグが受けてるんだよ」
「……同じ共同クエストを?」
「そういうつもりじゃなかったんだが、奇しくも被った」
「あー、それは……困るかもね」
減っている気配のないビールを机に戻して、また飴を咥える彼。
食事のジャマっぽいし、もう噛み砕いちゃえばいいのにな。
「あいつに顔を見られるわけにはいかねェ。できりゃあ戦ってる姿さえ見せたくねェ」
「そうだね。面影で正体がバレるかもしれないし……ところで、もしバレたらどうなるの?」
「殺されるぜ、俺ァ……エルグは極端なヤツだ、失望を通り越して絶望しやがるぜ」
彼は頭を抱えて、テーブルに顔を埋める。
よっぽど悩みの種みたいだ。
にしても、悲観的になり過ぎじゃないかな?
さすがに殺されることは……だって、エルグは優しくて素直な子だと思うし。
いくら絶望しても、元仲間だったシムを害したりはしない気がする。
そう思って、私は彼を慰めようとした。
すると、その前に彼のほうから喋る。
「パーティリーダーだった頃――俺は散々偉ぶってたんだ」
「え?」
「仲間を一番に考えろ!……仲間に対しては、毎日そう言ってた。それがこのパーティの掟だって……」
…………なるほど。
それで、最終的にシムは……
「自分で言っておいて、最後は仲間を見捨てて逃げちまった。いまさら合わせる顔なんかあるかよ」
弱い声音でそう言った彼から、強い後悔が窺える。
パーティの掟に反した、言い訳のしようもない行動だ。
そこに仲間の死も重なっていて、過ちの重さが増しているのだろう。
謝って済む問題じゃない。
彼がそう考えていても、なんら不思議ではなかった。
私は黙って、彼が喋り出すのを待った。
手を付けてなかったナバナパフェを、そっと口に入れてみる。
場の空気にそぐわない甘さが、舌の上で溶けた。
――やがて、人指し指で額を押さえながら、シムは苦しそうに笑う。
心なしか、その顔はやつれて見えた。
「魔法陣! お前さん、魔法陣が描けるんだろ?」
「……うん。一応ね」
「それを使って、俺を魔導師に見せかけることは出来ねェか」
「そっか……それで私を奢ってくれたんだ」
要するにシムは、私の魔法陣を使って、自分を偽称したいのだ。
エルグだって、まさか魔力の素養が無かったリーダーが、魔導師に転職してるとは思わないだろう。
傍目に考えてみると、かなりぶっ飛んだ話である。
事情は分かったけど、正直に言えば、ちょっと返事に困る。
私としては、シムは全部を素直に話すのが良いと思うけど……
彼自身の様子から、それが出来そうには見えない。
でも、もし協力したとして、結局はその場凌ぎなんじゃないだろうか。
また同じような状況に立たされる可能性は十分にある。
同業者なのだから、ばったり出くわしてしまうことも有り得る。
だいたい、いくらシムが警戒してても、同じギルドに出入りしてたら、いつか鉢合わせになると思う。
「…………」
ふたりの今後の関係を考えると、私は気重くて、返事も出来なかった。
黙っていると、おもむろにシムが席を立つ。
「まあ、すぐに返事がもらえるとは思わねェよ。待つさ」
「……あんまり期待しないでね。いつまでに決めればいい?」
「クエストが三日後だから、できるだけ早めに頼む」
「じゃ、明日の同じ時間に。クエスト終わりにここへ来るよ」
決められなかったら断ろう。
無暗に首を突っ込んでいい話じゃないと思うから。
✡✡✡
シムと別れた私は、すぐに拠点へ帰った。
目線を下にしながら歩いていると、いつの間にか着いていた。
装飾のない拠点の扉を開く。
師匠はいつも通り、同じところに座っていた。
「ただいま、師匠」
彼女の凛々しい表情が、こちらに向く。
「おかえり、パトナ」
それだけ言って、また魔法陣に向き直る。
普段とまったく同じ、カッコいい姿。
深い蒼眼の瞳に、確固たる強い光が宿っていた。
横顔であっても、油断すると見惚れて、いつまでも眺めてしまう。
いつもより気持ちが沈んでいたせいだろうか。
それとも、頼りない自分と、ブレない師匠の姿が正反対なせいか。
いずれにせよ、私の心は痺れるように脈打った。
感動だけど、大きな感情じゃなくて、名前もよく分からない。
ただ、この胸の隅っこのあたりで、僅かな事件が起きた感覚。
振動が身体に伝わって、ほんの一瞬だけ立ち尽くす。
その後、すぐに我に返って、着替えることを思い出した。
なんとなくドキドキしながら、タンスのほうへ歩いて行く。
――すると、師匠が言った。
「今日は元気がありませんのね、パトナ」
「…………!」
タンスの二段目の棚を、黙って引き出した時。
唐突で、内側を見破られた気さえして、心臓が跳ねた。
珍しく師匠から声を掛けてくれた。
こういうことは、今まで数えるほどしかない。
さらに言うと――私の様子を気にしてくれたことなんて、初めてのレベルだ。
魔法陣に夢中になってる時は、私のことなんて気にしないんだと思ってた。
「げ……元気ない、かな?」
「ええ。ただいまの声が小さいですし、顔色も悪いもの」
「えへへ……そうかなぁ」
思わず動揺して、どんな感じで話せばいいか分からなくなる。
とても嬉しいけど、それを悟られるのが恥ずかしい。
ほんの少し顔を見られたら、すべて読まれてしまいそうだ。
背中越しの私へ、師匠が喋りかけてくれる。
その顔がこちらに向かなくて安心したのも、おそらく初めてだ。
「疲れが出た時は、しっかり休むことも大切ですわよ」
「う、うん……」
「魔法陣のことも大切ですけれど、自分のことも気にしなさい。自己管理も仕事ですわ」
「心配ないよ、大丈夫! これでも私はレベル6だからねっ」
大げさに明るい返事をして、努めて自然に振舞う。
すると、師匠はもう話してくれなくなった。
自分で元気を装ったのに、なんだか悲しくなってしまった。
……そっか。
私って、やっぱり師匠に認めてもらいたいんだ。
思えば最近、特にその想いが強くなってる気がする。
近付けば近付くほど、はっきり遠くなっていく師匠。
正直、前はこんなに遠いと思ってなかった。
いや、思ってたけど、ぼんやりと遠いだけで……手が届かなくても、それが当たり前だと思ってた。
“憧れ”の距離が見える。
その背中に、千切れるほどに腕を伸ばせば、触れられるかもしれない。
だけど、もしも届かなかった時、私はどうすればいいんだろう?
これ以上、前に進めなかったら、なにをすればいいんだろう。
もしも――
そんなこと、考えても仕方ないのに。
まだまだ、足りないものは数え切れないほど多い。
「…………頑張らなきゃ」
少なくとも、今はまだ、前に進む方法だってある。
魔法陣の描き方を覚えさえすれば、少しは近付けるはずだ。
うん、魔法陣だ。
それから逃げてちゃダメなんだ。
よし、今日からそれが目標!
――失敗した魔法陣が放置してある、みっともない机。
私はそこに着いて、気持ちを一新した。
テキパキと道具を用意して、新しい羊皮紙を持ち出してくる。
「よしっ」
なにを作ろうかと考えた時に、一番に過ったのは、シムの頼みだった。
せっかくだから、それについて考えてみる。
実際にシムを魔導師に見せかけるには、どうすれば良いだろう?
偽称用の魔法陣を作るとしたら、どんなものになるだろう?
まともに考えてみると、難しいことに気付く。
まず問題点は、シムに魔力がないこと。
通常、魔法陣というものは、魔力を流し込むことで発動させる。
となると、仮想の使用者であるシム自身には、そもそも使えないアイテムだ。
じゃ、アレだよ……えっと。
魔力を流し込まないで発動する、特殊な魔法陣を作らなきゃ。
「どんなんだろうな……うーん」
そういう魔法陣って、世の中に存在するんだろうか。
図書館で調べてみれば、前例があるかも……魔力の無い人用の魔法陣。
勘だけど、上手く制御すれば、起動から発動までに時差のある陣とか作れそうだ。
とりあえずノエッタに聞けば、なにか知ってるかも。
起動方法は置いておくとして、次に効果。
脈打つ情熱みたいな超初級魔法なら、多分いくらでも描ける。
でも、シムはレベル8なんだから、それだけしか使えないのは違和感あるよね。
最低でも自縛の金剛星、出来れば死に際の騎士レベルの魔法を扱えるべきだ。
失われし世廻鳥なんか使えたら最高だけど、さすがに三日で作るのは厳しいかな?
……そういえば、自分の技術力の問題とかもあるよね。
今日から三日で完成させなきゃいけない。
これは厳しい時間制限だ。
どこまで作れるかな……本気で取り組んだら、なんとか…………
にしても、三日かぁ……
「……明日、図書館で良さそうな魔法探そっと」
ノエッタが隣にいてくれたら、ひとりで考えるより百倍くらい効率良いはず。
ていうか、三日のうちに自縛の金剛星を組める自信がない。
よし、なんとか協力してもらって、間に合わせよう……!
魔方陣専用の定規とコンパスを使いながら、練習中の陣を描いていく。
少しでも上手く描けるようになって、師匠に認めてもらわなきゃ。
シムの頼みを聞くかどうかは、明日になってから考えよう。
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