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#27 エモーション

 ノエッタ本人になんて言われても、私はノエッタを止める。

 そう決めたから、もう立ち止まらない。

 ダンジョンの向こうへと走り去った彼女を、全力で追うことができた。


 もちろん、道中には魔物が現れて、行く手を阻むように襲いかかってくる。

 大通りの凍った路地裏からは、真っ白なオオカミの群れが現れた。

 私と師匠へ琥珀色の眼を向けて、グルグルと喉を鳴らす。


「……パトナ。せっかくだから、失われし世廻鳥(オービタル・ピリオド)の詠唱も覚えなさい」

「え?」


 師匠の余裕さとは対照的に、獰猛な魔物たちが動き出した。


「あっ……!」


 慌てて構えた私だけど――一瞬にしてオオカミの姿を見失う。

 どこに消えたのかと、周りを見渡すけど……いない。


「し、師匠……オオカミ消えちゃったけど……」

「今回の詠唱は長いですわよ。よく聴くように」

「え、ちょっ、それどころじゃ……」


 消えたオオカミにも関わらず、師匠は箒を構えた。

 持ち手のほうを突き出して、凛とした声を響かせる。


「“沈黙よ、応答願う。愛しい距離、弓渡るガラス玉、唄う瘡蓋と落ちる塔。望まぬことを望み、消えぬ命の最期に触れる。届かぬ光よ、花を選んで、私に会いに来て”――失われし世廻鳥(オービタル・ピリオド)


 彼女の頭上に現れた魔法弾たちは、秩序を成して回転する。

 大きな球体の周りを、いくつもの小さな球体が飛び回った。

 そして、師匠の詠唱が終わると同時、解き放たれるかのように飛び散った。


 小さな球体たちは、オオカミたちの居場所を突き止める。

 なにもないと思われた空間に、小粒の爆発が起きた。

 それと同時に、さっき見た白い姿が、悲鳴を上げて倒れた。


「え、え? なにこれ?」

「ネージュウルフは擬態化という能力を持っていますわ。このダンジョンに降る雪に溶け込んで、姿を隠しますの」


 擬態化……!?

 すごく反則っぽい能力だ!


 でも、師匠の言うことは正しいみたいだ。

 あらゆる場所で小粒の爆発が起き、そのたびにネージュウルフが倒れる。

 失われし世廻鳥(オービタル・ピリオド)の中心を担う球体は、未だに宙へ浮いたまま、小粒を乱打し続けていた。


失われし世廻鳥(オービタル・ピリオド)は、使用者の意図に応じて、自動的に魔法弾を生み出し続けますわ。持続時間は増幅した分だけ伸びますし、軌道・速度・制動・攻撃対象も思うまま――」


 あ、説明だ。

 でも今、そんなの覚えられないよ。

 ノエッタのことで頭がいっぱいで、ぜんぜん入ってこないし。


 私は師匠の袖を引いて、出来るだけ大きな声で言い切った。


「今は修行してる場合じゃないと思うなっ!!」

「あら……」


 明日からなら、いくらでも修行するから。

 今日はノエッタを助けるっ!


 ✡✡✡


 ネージュウルフたちの猛攻を潜り抜けて、どんどんダンジョンを進む。

 凍えるような寒さに耐えながら、ひたすら走った。


「“沈黙よ、応答願う――”」


 師匠は、襲い来る魔物たちを相手取る。

 その詠唱に頼りながら、私はノエッタだけを探した。


「おーい、ノエッターー!!」


 氷漬けの大通りは広いだけで、人の気配はなく、獣の臭いに支配されている。

 大きな声で彼女を呼ぶけど、返事はない。

 ……聞こえていたとしても、無視されているかも。


 それでも、呼ばないわけにはいかなかった。

 少しでも早く見つけたかったから。


 そうして、色んな場所を見回して――前方への注意が疎かになる。

 不意に、なにかにぶつかった。


「うわっ!?」


 尻餅をついて、咄嗟に見上げると、そこには牙があった。

 擬態化していたネージュウルフだ。

 大きく開いた口が、躊躇なく襲い掛かってくる。


「わ、わあぁっ!!」


 間一髪で避けて、袖の切れ端を持っていかれた。


 や、ヤバい……!?

 なんでもいいから魔法!


「“うう、唄え、短き命! 勇気の欠片、誓いを守れー!”――脈打つ情熱(フレイム・ヴェイン)っ!」


 調整する余裕もないから、そのまま撃ち出す。

 案の定、着弾と一緒に、自分も爆風に吹き飛ばされた。


「うわぁっ…………!!」


 ゴロゴロと雪の上を転がって、ブザマっぽい跡を残す。

 民家に激突して、強く背中を打って止まった。


 ……痛い!

 けど、止まってられないぞ!

 ノエッタが奥に行っちゃう前に、追い付かなきゃいけないんだ!


 前を向くと、焦げた身体で立つ、手負いのネージュウルフが眼に入る。

 一瞬、なんでケガをしてるのか分からなかった。

 でも、すぐに思い至る。


 この個体は、さっき私が攻撃したやつだ。

 要するに……さっきので、倒せてない。


「――失われし世廻鳥(オービタル・ピリオド)


 響いてくる、頼もしい師匠の声。

 立ち上がる私を狙っていた魔物たちは、みんな倒れていく。

 手負いのそいつも、同じように吹き飛ばされていった。


 その爆発の中を抜ける。

 自分の魔法じゃ威力不足でも、師匠なら倒せた。

 それも気にしてるヒマはないから、とにかく走る。


 ――やがて、私の耳は、か細い声を聴いた。


「……て…………」


 一心不乱に進んでいた足が、意識する前に立ち止まる。

 傍から聞こえた。

 周りを見渡して、パッと足元へ眼を向けると……


「……ノエッタ……!!」


 倒れ込むノエッタがいた。

 その髪は解けて、メガネのレンズは割れていた。


 襲われたんだ。

 服も破けてるし、ふともものあたりからは流血が……ネージュウルフに噛まれたんだ。


「だ、大丈夫だよっ……! 私が来たから! 女の子ひとりくらい、背負って帰れるから……!」

「……う、して…………」


 光のない緑の瞳が、苦しそうに私を見つめて、儚げに揺れる。

 だけど、ちゃんと生きててくれた。

 まだ助かる……間に合ったんだ!


 冷たい雪の上から、呻く彼女を助け出す。

 実際に背負うと、やっぱり人ひとりは結構な重さだ。

 だけど関係ないよね、帰るから!


 師匠へ報告するために、すぐさま進行方向を反転させる。

 すると、その先には、赤い瞳を光らせるウサギ。


「……ま、魔物っ……!」


 なんの邪気も感じない、ただのウサギに見える。

 でも、そんなわけない。

 レベル6……基本、勝てるとは思わないほうがいいのだ。


 刹那、ウサギが動いた。

 素早い動きと共に、雪の地面を蹴る。

 「ダンッ」――打撃の音と同時、私に多量の雪が襲いかかってきた。


「わぷっ……!?」


 一瞬にして前が見えなくなる。

 しかも冷たいし、口の中にも入ってしまった。

 だけど、それを吐き出してるヒマさえない。


 靴を貫通して、右足の指に激痛が走る。


「うゥ、いッ……!!?」


 それだけで死を思わせるほどの、尋常じゃない痛み。

 立っていることができない。

 思考が巡って、なんとかノエッタだけは助けようと、顔面から倒れた。


「うああああっ!! い、痛いよっ……!!」


 思わず叫びながらも、状況を確認する。

 さっきのウサギが、口元に血を帯びて、靴に噛み付いていた。

 両足を使って振り払おうとしたけど、まったく離れてくれない。

 それどころか、こちらの痛みが増すばかりだ。


「あああぁっ、やめて、痛い……ッ!!」


 耐えろ、耐えろ、耐えろ。

 死ぬ覚悟で来たんだ、こんな痛みくらいなんだ!

 ノエッタを助けなきゃいけないんだ!


 叫び声は止まらないまま、身体を引きずる。

 やがて、ウサギに小さな魔法弾が衝突した。

 吹き飛ばされる脅威……でも、私の傷も、その小爆発に巻き込まれる。


「うあぁッ……!! あうッ、ハァ…………っ!」


 靴の上から、衝撃が被さってくる。

 そのせいで、足が勝手に弾かれた。


 めちゃくちゃ痛……くないっ。

 これくらい平気だ。

 冷たくもないし、ぜんぜん平気……っ!


 強がりに頼って、使えない右足の指を庇いながら、膝も使って前進していく。

 背中にはまだ、ちゃんとノエッタがいる。

 難しいことなんてない……このまま帰るだけなんだから。


「どう、して……? パトナ……」

「うっ、え……?」


 ふと、背中からノエッタの声がした。

 冷たい身体が震えている。

 私のだか、ノエッタのだか、分からないけど。


「危ないのに…………どうして、助けに…………?」


 そう尋ねられて、ちょっと安心した。

 もしかしたら、開口一番、「助けるな」って言われるかと思ったから。


 彼女の質問に、私は痛みを堪えながら、ゆっくりと応える。


「ハァ……っ、ノエッタを……失いたく、ないからっ」

「……あたしを…………?」

「友達だから……っ! 大好きだからっ!」


 なんだか血を流しすぎてるみたいだ。

 気付くと体温が落ちていて、頭からも血が垂れてくる。


 でも、自分の気持ちを打ち明けると、体温が上がるような感じがした。

 死ぬほど寒いけど、話してるだけでマシになる。


「……パトナ…………ごめんね」

「の、ノエッタ……っ?」

「あたし……ほんと、バカで…………死にたい…………」

「!?……今、そんなこと、言っちゃダメだっ……うぐッ……!!」

「無意味だったのよ……頑張るとか…………」


 凍える中では、背中にいる彼女の命が、はっきりと分かる。

 それが小さくて、ふとした弾みで消え去りそうな、頼りない灯火であっても。

 冷えた私の身体なら、十分に温めてくれた。


「もう、いいから……あたしなんか…………」

「いッ……! よ、よくない……っ!!」

「置いてって、ひとりで…………逃げてよ…………」

「そんなこと、絶対しない…………!!」


 きっと今、ノエッタの心は崩れかけているんだ。

 身体の衰弱に合わせて、どんどん弱くなっている。

 このまま折れてしまったら、彼女の命は……


《言いたいことはあるはずですわ》


 今しかない。

 私が言いたいことは、今、全部ぶつけなきゃ。

 彼女の心が、絶望に閉ざされる前に!


「ノエッタ……っ! よく聴いて!!」

「え…………?」


 痛みを噛み殺して、彼女の耳だけを目指して、私は声を出した。

 はっきりと聞き取ってもらえるように。


「私は、頑張ってたノエッタが大好きなんだよ……! 図書館でノエッタと初めて会ってさ、魔法の話してさ……! あの時、ノエッタってば、すごく楽しそうに笑ってたよ! だから私ね、思ったんだ……! この子、きっと魔法が大好きなんだなって……!」

「……パトナ………」

「色んなこといっぱい知ってて、本をめくる表情はカッコ良くて……! ひたすら魔法に真剣なノエッタに、たくさん勇気をもらったよ……! 私もノエッタみたいに、真剣に努力したいって思えたのっ! だからなんだよ、だから!……試験合格できたのは、私に頑張る力をくれた、ノエッタのおかげだったんだよ!」

「……ウソばっかりっ…………」

「ウソじゃないっ! 毎日、図書館で会うたびに思ってた……! 頑張ってるノエッタは輝いてて、誰よりもステキな子だなって!! 本当なんだよ……だから、お願い……っ! 自分のことをバカとか、努力が意味なかったなんて……ノエッタを否定するようなこと、言わないで…………!!」


 気付くと、自分の頬に温かいものを感じた。

 それはただ止まらなくて、ずっと流れていく。

 だけど喋るのを邪魔するから、垂れてくる血と一緒に、全部雪で拭った。


 だって、これだけは……ちゃんと伝えたかったから。


「どれだけ先が見えなくっても…………! ずっと頑張ってきたあなたを、どうか突き放さないで……っ」


 気付けば、私の声は、空へと広がっていった。

 いつの間にか、覚えのない声量で話していたらしい。

 でも、最後にまた邪魔されたから…………萎んだところも、ノエッタに届きますように。

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