かつて選ばれなかった男。①
『選ばれる男になれ。アーバイン・シュナイガー』
そう言って笑った男の言葉が、どれほど支えになっただろう。
シュナイガー伯爵家の次男坊であるアーバインは、かつて罪を犯した。
実際に犯した罪は、不敬罪……レオニール・ライオネル王太子殿下に対する暴言だけだったが、心に巣食った罪の意識は、世の中で裁かれる類いのものに対してではなかった。
賠償、という面で言えば、家同士の契約を疎かにしたという、貴族としての罪もある。
しかし相手の家が潰れたことで、その辺りは有耶無耶になっているだろう。
その上、アーバインは許されてしまった。
頭を下げて謝罪する、という過程を経ることもないまま、『私も利用していたから、お互い様』というウェルミィの言葉によって。
アーバインはそれで、『償う』という機会を失ったのだ。
正確には、償い、許されることすら烏滸がましい、ということなのだろう。
あるいは全て理解しないまま……エイデス・オルミラージュと面会することもないまま、無罪放免にされていたら。
罪の意識を感じることもなく、被害者ヅラをしていられたのだろうと、そう思う。
愚か者のままで。
―――それで、良いわけねーだろ。
アーバインは阿呆だった事を自覚した。
だから、許されてしまった以上は、変わらなければならないと思った。
二人の少女の、最も輝いているだろう人生の四年間を、自分勝手な都合で振り回し蔑ろにしたこと。
それは世の中のいかなる罪にも問われないだろうが、明確な罪だった。
何故なら、アーバインが少しでも気付いていれば、気にかけていれば、他人の気持ちを思いやっていれば。
それは、起こり得なかったことだったからだ。
やらなかった、出来なかった、気づかなかった。
だから、選ばれなかった。
アーバイン・シュナイガーは、誰からも選ばれなかったのだ。
自分の行いを振り返ってみれば、それは当然のことだったから……だから、アーバインはここに来た。
二つの魔獣の生息域と、隣国の国境線に接している南部辺境伯の治める地に。
訓練が最も厳しく、規律が厳しいと言われる南部辺境伯騎士団に。
※※※
アーバインは、緊張していた。
父の許可を貰って赴いた、南部辺境騎士団に見習いとして入って、這いずるように、そして血反吐を吐く思いをしながらあまりにも厳しい訓練について行っていた、ある日のこと。
この騎士団に編入するという、レイデン・エイドル伯爵令息に声を掛けられたのだ。
『せめて水分はきちんと摂れ。体を損なう』
そう声をかけてくれた相手。
『ありがとう……ございます……』
顔を見る余裕もないまま木立にもたれて、滝のような汗が止まらないままだったアーバインは、差し出された水筒を受け取って一気に煽り、咳き込んだ。
『訓練についていけないのなら、無理をするべきではない』
ひどく冷静なその声に、持ち前の反骨心が頭をもたげた。
―――うるせぇな。
自分の悪い癖だと、アーバインは思う。
イオーラと婚約したいと願った時もそうだった。
改めて出会ったイオーラに落胆した時もそうだった。
家に、父に、兄に、次男に生まれた自分の境遇に。
強すぎる反骨心で、そうしたものに溜まった鬱憤を、間違った方向にぶつけていたのだ。
―――それじゃダメだ。
アーバインは一度自分の気持ちを押さ込み……悔しさに奥歯を噛み締めた後、自嘲の笑みを浮かべる。
『無理でも無茶でも、ついていくしかないんですよ……』
ついていけなければ、アーバインに『この先』などないのだから。
そう吐き捨てると、相手は何か気になることでもあったのか、少し考えた後でこう口にした。
『何か事情が?』
その問いかけに、アーバインは初めて顔を上げ……思わず、目を見張った。
『エイドル卿……!?』
そうして、今に至るというわけだ。
―――俺は、なんて口の利き方を……!!
元男爵令息であるという彼の話は、騎士団で囁かれていた噂を小耳に挟んで、聞き及んでいた。
南部辺境伯領に侵攻した大公国軍を撃退する戦線の一部を任され、敵を寡兵で追い返したという英傑。
そして、次期辺境伯とも目される青年だった。
以前までのアーバインであれば、元・男爵令息ということで下に見て、その功績にやっかんで噛み付いていただろうが、今となってはそんな気にはならなかった。
当時、ただの一騎兵に過ぎなかったレイデンは、前回の戦の後、騎士爵を賜って騎士となり、同時に〝殲騎〟の称号を賜ったらしい。
辺境騎士団の中には彼と親しい者もいるらしく、そんな話が耳に入ってきていた。
兵卒、兵長、兵隊長、騎兵、騎士、騎士隊長、副団長、騎士団長、軍団長、の順に並ぶ序列とは別に、騎士団には功績としての名誉叙勲と呼ばれる『称号階級』が存在する。
立てた武勲や本人の能力に応じて、個別に与えられるのだが……レイデンの与えられた〝殲騎〟の称号は定められたものの一つでありながら、あまり手にする者のいない称号だった。
―――単身一軍に匹敵する。
そう認められた者が得る称号で、一代称号にも関わらず騎士団長を超える報酬を国から年に一度与えられ、望めば領地も得られるという破格の地位だ。
そんな彼が訓練に参加した初日、走り込みでへばって木立にもたれていたアーバインに、水筒に入れた水をわざわざ持ってきてくれたのだ。
なのに、ひねくれた物言いをして噛み付いたのだ。
訓練にもついていけないペーペーが、〝殲騎〟相手に。
殺されてもおかしくない。
実際に遠くから目にしたレイデンは、黒髪黒目の、実直で無駄のない所作の青年で、見た目にはさほど屈強というわけでもない。
これといって目立ったところのない人物だったが、改めて間近で見た彼の瞳に、アーバインは圧倒された。
深く、揺らぐことがなさそうな目の色で真っ直ぐに見つめられると、非常に落ち着かない気分になる。
そんなレイデンは、アーバインの態度を気にした様子もなく淡々と言葉を口にする。
「卿、と呼ばれる立場ではないが」
「ご謙遜を。素晴らしい功績を残しておられるじゃないですか。貴族学校でまともに勉強もせず、魔術もそこそこにしか使えない俺なんかとは格が違いますよ」
「貴殿は、魔術が使えるのか?」
「一応貴族ですからね。大したもんじゃないですけど。通り一遍と、火の攻撃魔術を多少使えるくらいです」
「十分だと思うが。身体強化魔術を使えば、訓練も苦にならないだろう」
言われて、アーバインは微妙な気分になった。
「……あんまり、使いたくないんですよ」
当然のことだが、兵士には平民が多い。
アーバインのような貴族家の次男坊三男坊も多いが、多くは長男以外貴族学校にも通えないくらい生活が切羽詰まっているような家だ。
逆に、貴族学校に通わせて魔術の修練が出来るような次男坊三男坊については、魔術師団を志願するか、王都騎士団の所属になることが多いのだ。
南部辺境伯家は兵士の魔術訓練にも力を入れているが、貴族学校のように専門の教師がいるわけではなく、まだまだ経験則での実践が多いのが現状のようだった。
その中で、まともに訓練についていけないような貧弱野郎が魔術を使える、なんて、格好の迫害の的だろうと思っていた。
それに、とアーバインは苦笑する。
「俺は、強くなりたいんですよ。……ズルして手を抜く奴は、マトモな人間にはなれないんで」
イオーラの本質を見抜けず、ウェルミィを手に入れれば伯爵の地位を得られると慢心し、手痛いしっぺ返しを貰い……自業自得で何もかも失ったように。
今までの自分を思い返しながら強く自嘲すると、レイデンは小さく眉根を寄せた。
「……貴殿は何故、辺境騎士団に?」
「家にも社交界にも居場所がなくなったんで。どうせやり直すなら、今までの甘ったれた自分をボコボコにしてくれるところに来ようと思ったのが理由です」
「ふむ。……俺は社交には詳しくないが、伯爵家の出なら本来、俺がこうして自分から気楽に口をきくのも憚られる身分だ。何か失敗をしたのか?」
「直球ですね」
「朴念仁だの、愛想がないだのとは、よく言われる」
相変わらず生真面目な表情で、レイデンは肯定した。
「なるほど。まぁ、俺からしたら気性がさっぱりしてるのは自信の表れですよ。他人を僻むことなんかないでしょう?」
「そうだな。少なくとも、自分より恵まれているからといって、相手を妬むようなことはない」
どうやら、英傑殿は腹芸をするようなタイプではないらしい。
それに、多分アーバインのことも言い触らしたりはしないだろう、と判断して、正直に答えた。
「……俺は、いつも妬ましかったんですよ。先に生まれただけで家を継げる兄貴、周りに信頼されている父親、頭を下げる必要がない高位貴族。地位や権力があって好き勝手してるように見える連中。……俺にないものを持ってる奴らが」
馬鹿な奴でしょう? と笑うアーバインに、レイデンは何も言わなかった。
「だから、俺は失敗したんです。努力して得たと思ったものを、ゴミだと感じた。……そんな俺自身がゴミだったから、価値に気づけなかっただけなんですけどね。そしていいように利用されて捨てられた。命があるだけマシなんです。今の俺は」
本当に。
恥知らずでも、生きているだけマシなのだ。
「でも多分、オレはやり直す機会を貰ったんですよ。だからやり直したいと思ってここに来ました。見返してやろう、って気持ちもなかったとは言えないですが、一番は、自分が死ぬほど情けなかったからです」
アーバインは、腰を上げると尻についた土を両手で払う。
訓練で汗をかき過ぎた体は重く、連日の訓練でもう剥がれなくなっている体の怠さで沈み込みそうになるが、いつまでも座っているわけにはいかない。
「訓練もおちこぼれですけど、最初に比べりゃ、これでもマシになったんです。心配してくれてありがとうございました」
ちゃぽん、と水筒を揺すって笑みを浮かべ、アーバインが残りを飲み干すと、少し考えるそぶりを見せたレイデンが、意外な言葉を口にした。
「―――貴殿は、俺の従者になる気はないか?」
「は?」
一瞬、何を言っているのか理解できず、思わず訝しげな顔をしてしまう。
しかし彼は冷静なまま、淡々と続きを口にした。
「ズルせずに強くなりたいんだろう。少なくとも俺は、辺境騎士団の中でも腕が立つ方だ。貴殿の言う体力作りも大事だが、魔術を扱えるのであれば魔導騎士としての訓練をした方が、素質を活かしてより強くなれる」
―――いや、何を言っているんだ?
普通に考えれば、これ以上ないほどに魅力的な誘いだ。
しかしこの男は、目の前で情けない様子を見せているアーバインが見えていないのだろうか。
何か裏があるのか、と勘繰ったが、レイデンという青年はそういう人物ではなさそうだった。
確かに、辺境騎士団の中には、魔術に精通した者や、魔力の扱いに長けた者は少ないだろうが……アーバインだって、貴族学校の中では中の中、あるいはそれ以下の能力しかないのだが。
そう伝えるも、レイデンは特に引く気がないようだった。
「幸い、貴殿に教えられる程度の素養はある。魔導士にならないかと誘われたこともあるくらいには、魔力量が豊富らしくてな」
「いやまぁ……俺にとっては願ったり叶ったりの提案ですけど、いいんですか? 見た通りのへっぽこですよ?」
「体力など、真面目に修練すればすぐに増えるだろう。後は貴殿の気持ち次第だ」
アーバインは、あくまでも真面目に言っているらしいレイデンがおかしくなって、思わず笑った。
「エイドル卿……レイデンさんは、変わった人ですね。よろしくお願いします、と言いたいところですけど、少しお伺いを立てないといけない相手がいまして」
「そうなのか?」
「ええ。めちゃくちゃ厳しい爺さんでね。俺の伯父に当たる人なんですが、つい十日ほど前に辺境に来て、俺の教師になってくれたんですよ」
そう、それもアーバインの疲労に拍車をかけている理由なのだが。
エルネスト伯爵家の執事をしていたゴルドレイは、父親の、歳の離れた兄だった。
聞かされた時は、思わず『嘘だろ』と口にしてしまった。
今までエルネスト伯爵家で会った時も、一向にそんな素振りは見せなかったし、誰も何も言わなかった。
その時に、シュナイガー伯爵家の成り立ちと役割を説かれたのだ。
立てるための主家を潰してしまう手伝いをしたアーバインを、彼は気持ちがあるなら育て直してくれる、と言い。
その指導を受けるために、少し前に騎士団寮から少し広い一軒家に居を移したばかりだった。
そんな、シュナイガー伯爵家でも特に優秀だったらしいゴルドレイに。
騎士団の訓練と並行して、何故か、今までサボっていた領地運営に関する勉強やら、執事業務や礼儀作法やらを叩き込まれているのだ。
『やる気になられたようなので』と穏やかな笑顔で告げる彼に、安易に頷いたのが間違いだった気がひしひしとしている。
が、指導して貰えるくらい期待されている点だけは、悪くなかった。
そしてレイデンも、何故かアーバインを買ってくれたらしい。
彼は、特に考えた様子もなく、ゴルドレイに会うことを了承してくれた。
※※※
「なるほど、そうした経緯で、我が甥に」
その後、夕食の場にレイデンを招くと、髪も髭も白く、温和な印象ながら背筋の通った隙のない佇まいを見せるゴルドレイとすぐに意気投合したようだった。
「アーバイン様は、見込みがございますかな?」
甥だと言いつつも、自分はもう貴族ではない、と敬称をつけて話すゴルドレイに対して、レイデンはハッキリと頷く
「少なくとも、根性はあります」
「ほう、根性」
チラリと含むところが多分にありそうな目をこちらに向けた執事に、アーバインはバツが悪くなって目線を泳がせる。
あまりにも不甲斐ない……何せ、婚約者がいる身でありながら不貞を働いた上に慢心し、どちらからも振られた自分の……様子を、ゴルドレイは全て知っている。
イオーラとの婚約がウェルミィに変わった経緯すら、激怒する父をゴルドレイが取りなして成立したものだったらしい。
その頃には、もうウェルミィはイオーラを救う企みを考えていたのだろう。
「……まぁ確かに、目的さえあれば努力は出来る素養はお持ちですがね」
「ゴルドレイさん……その」
「ああ、何も仰らずとも結構ですよ。良いのではないでしょうか」
説得力はないだろうが、と『レイデンに師事したい』旨を伝えようと思ったのだが、ゴルドレイはあっさり許可を出してくれた。
「ですが代わりに、私も、騎士団以外で行う訓練には参加させていただいてよろしいですかな?」
「何か理由が?」
「これでも、武芸を嗜んでおりまして。あまり機会はありませんが、拳を振るうのは得意なのですよ」
と、柔和に笑ったゴルドレイの手に、いつの間にか握られていたのは、鉄の爪と呼ばれる暗器だった。
指の隙間に、3本の爪のように歪曲した刃を握り込んで使うもので、殴ると刃が相手の体を貫く、街中や閉所で使われるとめちゃくちゃ恐ろしい武器である。
「なるほど。後ほど手合わせ願えますか?」
「ええ、是非」
このやり取りの後日、ゴルドレイがレイデンと普通に渡り合える武術を扱えることが判明して、アーバインはまた頬を引き攣らせることになった。
と言うわけで、選ばれなかった男アーバインのお話。
多分、二話くらいで終わります。




