オレイアの忠義。
イオーラお嬢様付き侍女のオレイアは、没落しかけた男爵家の出だ。
幼少時よりイオーラお嬢様とウェルミィお嬢様にお仕えしており、イオーラお嬢様の不遇に伴って専属侍女となった。
しかしオレイアにとって、ウェルミィお嬢様も同様にお仕えするべき自らの主人であり、常にその幸福を願っている。
奇縁によって地位が多少高くなりお側にいること叶わずとも、その事実は変わらない。
故に、基本的にはイオーラお嬢様のお側に侍っているが、ウェルミィお嬢様の為とあれば休暇を申請し、彼女に関わる用事に足を運ぶこともある。
今日も、大公国に向かう船舶の前に、先ほど合流した貴公子と共に訪れていた。
彼の名は、ラウドン・ホリーロ。
ホリーロ公爵家の長男であり、現在はオルミラージュ侯爵家執事に、先日正式に昇格した人物だ。
彼は侯爵家に仕える身でありながら、未だ実家との繋がりも保ち続ける蝙蝠である。
もっとも、侯爵家……というよりは、ウェルミィお嬢様の不利益になることはしない人物であるということで、エイデス様は目溢ししているようだ。
そのウェルミィお嬢様がお側に置くのなら、彼女の『目』を信頼しているオレイアとしては、それに否はない。
そしてオレイアは、ラウドンを一方的に知っていた。
オレイアの実家は、公爵家の遠い縁戚に当たる没落しかけた男爵家であり、オレイアがエルネスト伯爵家に入る事になったのは、ホリーロ公爵家と繋がりのあった、イオーラお嬢様がたの婆やの推薦によって、だからだ。
爵位の返上を考えていた男爵家救済の支援を引き換えに、オレイアは侍女に上がったのである。
そして、そんな不運、もしくは幸運が訪れたのは、オレイア自身のある『能力』にあった。
「エサノヴァ」
ラウドンが目的の人物を見つけて声をかけると、パーマが当たったような淡い茶色の髪と同色の瞳の少女が振り返る。
「あら、来たのね」
トランクを手に、横に立つ父親らしき人物と旅行に向かう良家の子女という程で立っている彼女は、ふんわりと笑みを浮かべた。
「首尾はどうだったの?」
「上々だよ」
ラウドンは、軽薄な様子で肩を竦めた。
「ズミアーノが喜んでたよ。悪夢でも、心の矯正をする上では、実体験と同じような効果をもたらすらしい。治療用魔導具と並行して、夢見の研究も進めたいそうだ」
「そう。やり過ぎないように釘を刺しておいてね。私たちの『主人』やオレイアにまで手を出そうとするのなら、彼の命を繋いでおいてあげるわけにはいかないから」
さらっと物騒なセリフを吐いた彼女は、オレイアに目を向ける。
「ねぇ、やっぱり貴女は、私たちと一緒に来る気はないの?」
「ございません」
オレイアは即答した。
彼らと接触したのは、イオーラお嬢様がウェルミィお嬢様と共に侯爵家本邸の侍女として潜り込む、という話が出た時だった。
生家の主家であるラウドンが、エサノヴァとオレイアを繋いだのだ。
『ねぇ、ウェルミィ様をお救いする為に、協力してくれない?』
と、彼女は言った。
何でも、『隣国の水公家出身である子を使って、ローレラルという少女がウェルミィ様の貞操を狙うのを防ぎたいのだ』という。
その中でオレイアの仕事は、ローレラルに『夢』を見せることだった。
放っておけば、彼女がウェルミィお嬢様の純潔を散らそうとして、お嬢様が舌を噛んでしまうのだという。
『死という最悪の未来が訪れる可能性は、限りなく低いのよ。もし起こったとしても、魔導卿と桃色髪の聖女が揃って味方だしね。でも、万一の可能性も潰しておかないと、いざという時、私たちが困るの』
まるで、未来が見えているかのように、エサノヴァは言う。
そのローレラルがウェルミィお嬢様を襲うタイミングを、『エイデス様がローレラルを好んでいる』という夢をしばらく見せることで、コントロールしたいらしかった。
だから協力した。
オレイアの能力は、一度繋がれば近くに居らずとも作用し、毎夜夢を見せることが可能だ。
ローレラルが侍女として赴く前に参加したお茶会で、密やかに接触し、術を発動した。
「惜しいわねぇ。他者にまで干渉できる強力な夢見の力は希少なのに」
「私の主人は、イオーラお嬢様とウェルミィお嬢様だけですので」
オレイアは、頬に手を当てて残念そうにため息をつくエサノヴァに冷たく目を細めた。
「たとえ可能性であろうとも、お二人に手を出す相手に容赦は致しません」
夢見の術。
それが、オレイアの力だった。
エサノヴァが仕える『主人』には劣るが、同系統の力であるらしい。
それは〝闇の聖女〟……あるいは〝紫紺の髪と瞳を持つ魔女〟と呼ばれる者の力。
オレイアは、ただの魔女ではない。
〝桃色の髪と銀の瞳の乙女〟テレサロが、他の聖女と一線を画するように。
自らのみならず、他者に夢を見せることが出来るオレイアは、彼女と対となる存在らしい。
光あるところには影が差す。
心と体を癒す存在と、心と行動を操る存在は、常に同じ時期に生まれ落ちているらしい。
しかしオレイアは、その力を無闇に振るわぬよう、予め制限されていた。
聖教会によって禁呪とされている力であり、『もし力を使ったことで存在が表沙汰になれば、イオーラお嬢様とウェルミィお嬢様の側には居られなくなる』と言い含められたのだ。
そして当初のお二方の窮状に関して、養父であったサバリンと後妻のイザベラを操って正しい状況にする許可を願ったが、オレイアには許可されなかった。
『時期ではない』のだと。
亡くなったエルネスト伯爵家の婆やがオレイアに目をつけたのも、オレイアを紹介した人物も、その力で二人を守ることを願ってのはずだったが……結局オレイアはただ、イオーラお嬢様が死なないように仕えることしか出来なかった。
『時期ではない』と言う言葉の、意味は結局知らないままだ。
オレイアは、お二方の人柄に触れて自らの主人と定めた時に、それについて考えるのを止めた。
結果、二人のお嬢様は、自らの力で未来を勝ち取った。
オレイアが正さずとも良かったのだから、それでいいと、その時には既に割り切っていた。
この事実を、元エルネスト伯爵家家令であるゴルドレイが知っていたのかは分からない。
それもまた、どちらでも良かったからだ。
彼は、おそらくイオーラお嬢様を裏切らない。
同様にオレイアも、たとえ命じられたとてお二人を決して裏切らないのだから。
オレイアは今回の窃盗冤罪事件の後、能力制限を管理している人物の許可を得て、ローレラルに特別な悪夢を見せた。
初夜、ラウドンに抱き潰された彼女に、自身が最も苦痛とするだろう悪夢を見せたのだ。
全力の夢見の間は、対象者から人形のように意志が失せる。
その状態が解かれるのは、『ローレラルの心が完全に折れ切った時』とし、三ヶ月ほどで回復したらしい。
後で、ズミアーノ・オルブランがローレラル本人から聞き出したという悪夢の内容は、酷いものだった。
自分で作り出したものなので、自業自得ではある。
『めちゃくちゃオレが悪者みたい』とラウドンが苦笑していたが、気にしていないようだった。
ラウドンがやったのは、妻となった女性と初夜を共にし、その後、意思のない彼女に手ずから食事を提供していただけである。
もちろん、彼女の母親も身体的に夢見ほど酷い目には遭っていない。
オレイアがローレラル同様の夢見を、彼女に掛けただけである。
本人達は知るよしもないことだけれど。
「そろそろ行くわね。レオニール王太子殿下にもよろしく」
エサノヴァがそう言い、片目を閉じた。
彼が現在、オレイアの能力を制限している人物だ。
実際のところ、王家がこの件にどれだけ関与しているのか、オレイアは知らない。
けれど、何となく王族の中でこの事実を知っているのはレオニール殿下だけのような気がしていた。
「後、お母様にも。……諜報にはまるで向いてないけれど、あの人は、側にいる人を守るのには向いているわ。だから『ウェルミィ様を守ってね』って、伝えておいて」
エサノヴァと、横にいる彼女の『父』が、この国でやるべきことは終わった、らしい。
実際に、彼らが何を目的として動いているのか、『主人』が誰なのかは不明のままだ。
こちらも何となくだけれど、オレイアは、顔も知らないエサノヴァ達の『主人』が、自分をエルネスト伯爵家に送り込んだような気がしていた。
「エイデス様は予定通り大公選定の前に、外務卿になったわ。後は、大公国でね」
そう告げたエサノヴァに続いて、彼女の『父』が初めて口を開く。
「僕からも、アロンナに。『君を愛していたのは、偽りではない』と、お伝え願えますか?」
「確かに承りました。それと、こちらからも二つほど、伝言を預かっております」
「何かしら?」
エサノヴァが首を傾げるのに、オレイアは淡々と告げる。
「まずはウェルミィお嬢様より。
『何を企んでるのか知らないけど、このまま良いように踊ると思わないことね』
と。
もう一つは、エイデス様より。
『夢を見た。ウェルミィは死なせない』
と。
以上です」
そこで初めて、二人が表情を変えた。
エサノヴァは目を見張った後、嬉しそうな笑みを浮かべ。
『父』は、焦った顔をする。
「まさか……」
「お父様、違うわ。二人が全て分かっている訳ではないわよ。エイデス様の『夢』は……多分、〝希望の朱魔珠〟の力だわ。シナリオが書き変わったのなら、あの方から私たちに連絡がある筈よ」
そう『父』に告げながら、エサノヴァは髪をかき上げて、ため息を吐いた。
「それにしても、どうしてこの場に私たちがいることが漏れてるのかしら。もうちょっときちんと情報を管理しないといけないわね」
「いくら対策しても無駄だと思いますよ。私自身が、自分の行動を全てお二人に報告しておりますので」
ーーー多分、ラウドンも。
語れないこと以外は、ウェルミィお嬢様とエイデス様にご報告していることだろう。
オレイア達はあくまでも『こちら側』の人間であり、エサノヴァ達の味方ではないのだと、それは明確な線引きのための発言だった。
オレイアの主人らは聡明であり、オレイア自身も彼女達から信頼されているからこその、関係。
「明かさぬことは明かさぬと了承していただいた上で、必要なことはお伝えしております。これから先も、それは変わりなきことです」
オレイアは自分の能力も、エサノヴァたちの正体も、その一切をお嬢様方には伝えていない。
それが、自分の能力を制限した者の……おそらくはエサノヴァ達の『主人』の……意思に反すると知っているからだ。
反せば、オレイアは殺されるだろう。
お二方にお仕えし続けるという目的がある以上、オレイアにとってそれは望ましいことではない。
だから、話せることだけ。
それがオレイアの忠義であり、気に食わなくとも、おそらくエサノヴァ達もウェルミィお嬢様やイオーラお嬢様を害するために動いている訳ではないと、分かっていたからこその選択だった。
「やられたわ。あの姉妹の周りにいる連中は、本当にどいつもこいつも曲者揃いね……そろそろ行きましょう、お父様。これ以上グズグズしてたら、こいつらの気が変わって捕まるかもしれないしね」
じゃあね、と髪を翻して、エサノヴァは去っていった。
というわけで、本編に登場していたのにここまで存在感を極限まで薄めていた二人に、焦点を当ててみました。
潜伏させてる期間が長すぎたオレイア、覚えてない!って人は第一章参照ですー。




