傷顔と向日葵。
お義姉様が帝国貴族との縁を繋ぐ。
それを含めて、ライオネル王国が次期大公選定に先駆けた根回しに腐心する傍ら。
オルミラージュ侯爵家の庭では、ささやかな言い争いが勃発していた。
夕刻、全ての業務を終えた後の出来事である。
「全く冗談じゃないわ! どいつもこいつも!」
ヘーゼルは怒り狂っていた。
傷があるが目つきの鋭い、それなりに整った顔立ちの彼女が本気で怒ると、迫力が凄いな……と、侯爵家私兵団副長、シドゥ・ゲオランダは八つ当たりされながら思っていた。
ヘーゼルの盗難冤罪事件で彼女を庇ったシドゥは、それ以来、彼女と少し親しく話をするようになったが、ここまで感情を剥き出しにするのを見るのは初めてだった。
勿論怯えている訳ではなく、こんな顔を見られるのは役得かな、などとバカなことを考えてしまう。
他の団員と比べればマシだが、割と脳筋な自覚のあるシドゥは、妙な駆け引きをするような女性よりは、ハッキリしている女性の方が好ましいのである。
「ちょっと、聞いてるのゲオランダ副長!」
「聞いてるが、シドゥって呼んで欲しいんだが」
爵位を与えられたとはいえ、姓に誇りを持っている訳ではない。
好意を持った女性には親に与えられた名前を呼んでほしいのである。
事件の後から、こうして率直な好意の言葉をことあるごとに伝えているのだが、ヘーゼルは靡いてくれる様子がない。
『あたしは、自分の力で生きていけるようになりたいので』
と、そっけなく言われてしまうのだ。
ーーー別に付き合っても、働きたいなら働き続ければいいのにな。
平民の身分になったとはいえ、ヘーゼルもちょっと古めの貴族令嬢と似た価値観を持っているらしい。
妻が働くことなんて、貴族でなければ珍しいことでもないのだ。
財産などの分配は平民でも貴族でも大して変わらないが、嫁になったからと言って旦那に全てを握られる必要もない。
「もうちょっと、親しくしてくれても良くないか?」
「全っ然話、聞いてないじゃない! そんな話してないでしょ!? 先代様もご当主様も、アロイもミィも何なの!? この家でも貴族の中でも一番上の人間しかいないじゃないのよっ! ふざけてるわ!」
「それはまぁ、理由もあっただろうけど、ふざけてる部分も大いにあったと思う」
「そうでしょ!?」
「でも、俺が君を見かけるようになった理由は、そもそも先代様警護の任に当たっていたからだしな……そこは感謝したい」
庭師のウーヲンや、ご姉妹様のことはシドゥも知らなかったが。
先代様の許可がない者をさりげなく遠ざけるのも警護の一環だった為、許可があるということは何かしらの事情があるとは思っていた。
しかしヘーゼルは、そんなシドゥにますます柳眉を逆立てる。
「はぁ!? 聞いてないんですけど!? あんたもあたしを騙してたの!?」
「騙したつもりはないが、言ってないな。というか、俺が『言うな』って言われてる先代様の正体を勝手に明かすわけがないだろう」
仮にも侯爵家の護衛騎士で、副長である。
「そういう話じゃないのよっ!」
「じゃ、どういう話だ?」
シドゥが顎を指で挟みながら首を傾げると、ドン、と胸元をヘーゼルの拳で叩かれる。
痛くはないが、少し驚いた。
少し経って嬉しくなる。
このように気安い態度を取ってもらえるということは、それなりに信頼されていると判断できるからだ。
「何をニヤニヤしてるのよ!」
「いや、失礼。で、どういう話なんだ?」
「どいつもこいつもあたしをコケにしやがってって言ってるの!」
「口が悪いな」
シドゥはニヤニヤした。
私兵も騎士団も荒くれが多いので、この程度の口の悪さなど気にならないし、そんな彼女も悪くないからだ。
「それに、コケにしてる、はちょっと違うと思うが。身分は隠しているが親しくされてたんだから、気に入られてるってことだろ?」
すると、ヘーゼルは口をつぐんで、ジッとこちらを見つめた。
※※※
ヘーゼルは、面白そうに口を端を上げているゲオランダ副長の顔を睨み上げたつもりだった。
しかし彼は堪えた様子も怯んだ様子もない。
ゲオランダ副長には、出会った時の生真面目そうな様子はもう微塵もなかった。
精悍な顔つきと逞しい体は変わらないが、茶目っ気を含んだ表情をしていると、少し子供っぽい印象もある。
別に馴れ馴れしいという訳ではない。
どちらかというと、砕けて素を見せているようなナチュラルな態度に変わっただけだ。
同時に好意を伝えてくるようになって、ちょっと迷惑している。
ーーー悪い人ではない、と、思うんだけどね。
ただ、そうは言ってもヘーゼルにとって、他人など他人というだけで警戒する対象だった。
アロイとミィ……イオーラ様とウェルミィ様のように、不思議と人の懐に入り込んでくるような人たちの方が珍しいのだ。
なのに、彼女達も嘘つきだった。
そして今日明かされた、薬草畑の管理人みたいな顔をして先代当主だった、というイングレイ様の存在もあって、不信感が強くなるには十分だった。
その上、ゲオランダ副長も先代様の秘密を知っていた、というのであれば。
ミザリを引き合いに出さないといけないのは癪に障るが、同じ境遇で近くにいた彼女以外に、多少なりとも信用出来る奴がいない。
嘘つきは裏切るのだ。
「人を騙すような行動が、コケにしてる以外のなんだっていうのよ?」
身分を隠して、こそこそと人の裏を探っていただけじゃないか。
ヘーゼルはそう思うのだけれど、ゲオランダ副長の意見は違うらしい。
「騙してたんじゃなくて、隠してたんだろう? 自分の身の回りに信頼出来る相手を置きたい、と思うのは、当たり前じゃないか。身分や外見で他人を判断するヤツなんて、この世に腐るほどいる」
「下働きに混じって一使用人ですって顔をするのを『隠してた』って言い訳には、無理があるわね」
「そうだな……まぁちょっと無神経かもしれないが、俺は君の顔の傷をカッコいいと思うよ」
「は?」
唐突な話題転換に、ヘーゼルは眉をひそめる。
「でも、元・貴族令嬢が顔の傷なんてと思う奴もいるだろ。そんな風に、俺が傷を隠さず堂々としてるヘーゼルを好ましいと思うのと同様に、それだけを理由に敬遠したりバカにする奴もいる。例えばローレラルみたいに」
「……」
時折顔を合わせた彼女に道を譲って軽く頭を下げた時の、蔑むような視線を思い出して、ヘーゼルは眉根を寄せる。
「俺はヘーゼルがここに来た経緯は大まかに知らされてるが、傷の理由を知らないし、無理に聞き出そうとも思わない。でもヘーゼルは、顔の傷の有無で態度を変える奴に、その傷の理由を言いたいと思うか? 自分の世話を任すなら、そういうとこはちゃんと見極めたいじゃないか。でないと、信用出来ないだろう?」
「それは確かにそうだけど……」
認めるのはなんか負けたみたいで嫌だけど、その話については一理ある。
「身分ってのも、同じだと思うよ。ヘーゼルにとっての傷と一緒で、自分ではどうしようもない、今、自分にある要素だ。身分を捨てたり傷を消したりは出来るだろうけど、それは必要になったらやることだ。でも、人付き合いの上では些細な要素だろ」
「……結局、何が言いたいのよ?」
「騙されたって怒ってるヘーゼルは、じゃあ、ご姉妹や先代様との交流が嫌だったのか? って話だよ」
言われて、ヘーゼルは詰まった。
嫌じゃなかったから、騙されてたと知って怒っているのだ。
イオーラ様とウェルミィ様は、使用人棟で良くしてくれたし、忌憚ない関係を築いていたと思う。
先代様も、薬草の話を聞きに行けば熱心に教えてくれた。
「使用人だろうと主人だろうと、貴族だろうと平民だろうと、お互いが友達だって思ってたら、肩書きなんか関係ないだろ。俺も、軍団長の息子とは仲が良いけど、それは相手が貴族だからじゃなくて、アイツだからだ」
シドゥは、どこか楽しそうに夕暮れに目を向ける。
「大体、リロウド様の側付きを命じられるくらい気に入られてるんだし、身分なんか気にすんなよ。そんなに怒るんだったら、本人に直接言えばいい。『よくも騙しやがって!』ってな。友達なら『ゴメン』で終わりだ。そういうもんだろ?」
ヘーゼルは、正直に言えば友達なんかいないから、よく分からなかったけど。
シドゥが言うには、そういうものらしい。
「謝られても許せない、謝らないから許せない、って思うなら、それはもう友達じゃなくて他人だ。そのまま、他人として距離を取ればいい。でも、言いたいことは言った方がスッキリするだろ」
「……そうね」
と、ヘーゼルは一度は頷いたけど。
「って、それで侯爵家をクビになったらどうしてくれるのよ!? 側付きのお給金は破格なのよ!?」
それをドブに捨てるみたいなものだ。
相手の不興を買って解雇されたら、次の働き先がない可能性だって出てくるのに。
でもシドゥは、ハハハ、と笑って自分の顔を指さした。
「その時は、それこそ俺が養うよ。殺されそうになったら助け出して脱走してやる。それで俺もクビになったら、次はデルトラーデ侯爵家で雇ってもらうから心配すんな!」
あっけらかんと言うシドゥに、だんだんヘーゼルは、怒っているのがバカらしくなってきた。
イオーラ様とウェルミィ様……ううん、イオーラとウェルミィがそんな奴らだったら、お仕えするのなんかこっちから願い下げだ。
自分の知ってる二人なら、そんなことはしない。
正体を明かしてまでヘーゼルを助けてくれたのは、あの二人なんだから。
「そうね。言いたいことは本人に言わないとね。本当に殺されそうになったらよろしく」
「おう。ちょっとは頼り甲斐があると思ってくれたか?」
「冗談。この程度で絆されないわよ」
「ダメか。手強いな」
と、不満そうに軽く首を傾げるシドゥに、ヘーゼルは本当に……本当に久しぶりに、心から笑いが込み上げて来て、小さく吹き出した。
「お、その顔は初めて見たな」
「何で笑われて嬉しそうなのよ」
「好きな子が笑顔だったら、男は嬉しいもんだ」
そう言ってシドゥは腕を組み、何故か胸を張る。
何故かちょっとカッコよく見えて気恥ずかしくなったヘーゼルは、目を逸らしながら小さく「ありがと」とお礼を述べた。
「感謝してくれるなら、ちょっとくらい俺のワガママを聞いてくれよ」
「何? ワガママって」
問い返すと、シドゥはさっぱりした気性とよく合う向日葵みたいな笑みを浮かべて、こう告げた。
「さっきも言ったろ? 俺のことを、シドゥって名前を呼んでくれ!」
ヘーゼルが『騙しやがって!』って本人たちに伝えるまでの前日譚でした。
申し訳なさそうに謝るイオーラと、笑いながら謝ったウェルミィ。
「ごめんなさい、ヘーゼル」
「悪かったわよ。でも、見抜けない方が悪いのよ!」
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