朱の瞳は本質を、紫の瞳は真実を見抜く。【前編】
ーーーアレは、偽物だわ。
彼女は、その時に感じた違和感を、すぐに確信に変えた。
オルミラージュ本邸に現れたのは、ウェルミィ・リロウドではない。
彼女は、高位貴族達をよく知っていた。
必要なことであったから、その容姿まで含めて頭に叩き込んであったのだ。
ーーーアレはおそらく、ダリステア・アバッカム。
似た容姿で、ウェルミィやイオーラとの繋がりがある人物が頭の中で該当した。
影武者を立てるのに、公爵令嬢を使う……それは、何らかの危険を想定しての影武者ではないということだ。
ならば、王太子妃侍女の選定を行う、という建前から察するに、密かに侍女の中に潜り込んでいるのでは、という推察は当たった。
それとなく観察すると、髪や瞳の色だけで、顔立ちは変えていないウェルミィを発見したのだ。
少々驚いたのは、すぐ近くにいる姉という女が、本当にイオーラ・エルネストだったこと。
ーーー未来の王太子妃が、いくら何でも不用心じゃないかしら……?
ふとそんな疑問が湧いたが、許されている理由はすぐに分かった。
〝影潜み〟の魔術の気配を感じたのだ。
しかも、そこにいる護衛はかなり腕が立つようだった。
彼女の特殊能力によって感知できる魔力の量や質、といったものが、桁違いに洗練されていたのである。
特にウェルミィについている方は、要警戒人物として知る相手のものだった。
ーーーズミアーノ・オルブラン。
バルザム帝国王族とライオネル王国の侯爵家の血を引く、人心操作と魔導具作成の天才。
タガの外れた狂気の男。
その功績や存在は表沙汰になってはいないが、裏の世界の一部では、アレが関わると全てめちゃくちゃにされるという事実が伝えられていた。
今はまだ生きているウェルミィ・リロウドと、同等の分岐点。
奴は、本来なら今の時点で死んでいる筈の存在だった。
ーーー表立って手を出すのは、得策じゃないわね。
そう思いつつ、手札を切った。
主人が、ウーヲンを飼うように仕向けたローレラル・ガワメイダ。
アレは単純で、昔から思った通りに動いてくれる便利な手駒だと『父』は言っていた。
侍女選定に合わせて、オルミラージュ本邸にくるように仕向けたらしい。
仕掛けを使う時が来たのだ。
以前アロンナから受けた『ヘーゼルに、なるべく多くの仕事を経験させなさい』という指示をあえて曲解し、彼女はヘーゼルを虐げるように多くの仕事を言いつけていた。
愚かな娘と思わせて、真実から目を逸らさせる為に。
アロンナは良い顔をしていないが、言われたことをこなしているから、決して邪魔はしてこない。
口実を作らせない為に、過労で倒れるほどの扱いにならないようには、注意を払っていた。
そうして隠れ蓑を張り、その上で悪戯をする。
何人気づくか、誰が悟るか。
そうしたことをつぶさに観察して……潮時を、見極めた。
やがて予定通りに、元々デスタームではないエサノヴァは、ローレラルと共に拘束された。
貴族学校に通う前に、『父』は計画的に子爵家を没落させて、アロンナにエサノヴァを引き取らせた。
魔術の制御を習っていない、とオルミラージュやデスタームはアロンナから報告を受けているのだろう。
それを信じる信じないに関わらず、と思っていたが、予想通り、エサノヴァに魔術を封じる腕輪はつけられなかった。
捕らえられる時に目にした相手の中で、おそらく自分の仕掛けた悪戯に気づいていたのは、イオーラと、薬草畑を預かるイングレイのみ。
イオーラ・エルネストは、アレもアレで化け物の類いだ。
表面的には……あるいは本質的にも、善良なのであろう彼女だが、その頭脳と才覚は他と一線を画している。
魔導具に関しては、ズミアーノと同等。
魔力に関しては、エイデス・オルミラージュを超える、真なる紫の瞳を持つ才女。
ウェルミィ・リロウド亡き後も、世界に名を轟かせる予定の次期ライオネル王妃は、その聡明さを既に花開かせている。
彼女が気づいているということは、エイデス・オルミラージュもこちらの正体に気づいている筈だ。
ライオネル王国で、二人しか存在しない魔導卿の一人。
魔導士協会に授けられる魔導爵位の中でも、特に誉れ高い〝万象の知恵の魔導爵〟である、当代随一の魔導士。
彼らにあえて泳がされているのなら、そのまま泳いでしまおう。
ここを抜け出して、『父』に接触すれば後のことはどうにでもなる。
母であるアロンナとは生涯の別れになるだろう……牢屋の中で、少しだけ感傷的になったエサノヴァだったが、それも一瞬のこと。
ーーーさようなら、お母様。
エサノヴァは、自身の魔術を行使し、牢屋から脱獄して行方をくらませた。
※※※
盗難事件の冤罪告発が起こる前の、ある日の夜。
イオーラは、自分の違和感を、ダリステアとカーラに対して口にしていた。
「ダリステア様が影であることや、わたくし達の正体を見抜いている人物がいるわ」
二人は『サロン』のメンバーであり、同時にイオーラにとっては気の置けない友人でもある。
就寝前にこっそりと開催した、三人でのお茶会の場で、二人は顔に緊張を浮かべた。
「やはり、わたくしの演技が不味かったの?」
「いえ、ダリステア様に問題はありませんわ」
イオーラがそれに気付いたのは、この侍女選定に関する違和感と、ある事情からだった。
「少しおかしいと思っていたの。おそらくだけど、侍女に関しては開催前から既に選定が終わっているわ」
「どういうこと?」
カーラが眉をひそめるのに、イオーラは微笑みを浮かべて伝える。
「わたくしの側付きになる上級侍女は、既に決まっている現在の侍女長以外には、ヴィネド様、イリィ様が、始まる前から最有力候補に上がっていた筈よ。二人が引き受ける理由もある。……そして、もし結婚となってその二人が辞めた時の後任は、きっとミザリね。身分の保証が不安定で、もう少し礼節の訓練が必要ということで、下級侍女として勤めて貰うことになるでしょう」
その三人が最有力。
他の面々も、イオーラとコールウェラ夫人、それにウェルミィで意見が一致した。
下働きから、王宮で下級に上げる面々で十数名。
ダリステア様やカーラが選んだ上級・下級で他数名。
おそらく本人が望んでいれば、ヘーゼルもこの中に入っていたはずだ。
そうした諸々を踏まえた上で……この侍女選定には、裏がある。
「企んだのは、おそらくエイデス様でしょう」
レオが持ちかけた選定。
それはエイデス様に頼まれたからなのか、それともレオに頼まれたから利用したのか、は不明だけれど。
技量よりも人柄で選ぶことを前提とした場合、ウェルミィの目に適えばほぼ間違いない人選が行われるので、正直、こんなことをする必要もないはずなのである。
それでも開催した理由の大半は、きっと魔導卿が『お義姉様と一緒にいたい』というワガママを聞き入れたからだろうけれど。
裏で糸を引いているのは間違いない。
ホリーロ公爵家を含む対立陣営を掌握する指示を、ウェルミィに出したのは。
おそらくは知っていたのだろうエサノヴァのヘーゼルに対する振る舞いを、容認していたのは。
不自然な提案である、ローレラルがウーヲンを連れてくることを、認めたのは。
それが誰なのかを考えたら、答えは自ずと出る。
「企んだ、って何を?」
「おそらくではあるけれど。本邸に潜むネズミの炙り出し、ではないかしら。使用人棟の前に、月魅香が咲いていたのよ」
ダリステア様の問いかけに、イオーラは静かに答えた。
ある日ポツンと、使用人棟の入り口に咲いていた月魅香の花。
今朝は咲いていなかった、と目に留めた後、香り高く一種の薬草として使えるそれを摘んだのだ。
が、また次の日には同じように生えていて、月魅香の花言葉を思い出した。
「〝あなたに気づいている。〟〝危険な遊び。〟……あの花には、そういう意味合いがあるでしょう?」
ーーーダリステア、ウェルミィ、イオーラの正体に気づいている。
危険な遊び、の意味が、それを伝えた者にとってなのか、イオーラ達にとってなのかは不明だけれど。
「違うかしら? ヌーア」
近くに控えていた護衛を兼任する侍女に問いかけると、彼女はニコニコと答えた。
「ええ、ええ。旦那様のお考えは、私のような者には分かりかねますがねぇ。現状、ウェルミィ様達に危険が及ぶことはなかろうかと、思っておられますねぇ」
と、あっさりと答えた。
カーラとダリステア様は、驚いたように目を丸くしている。
「相手の目的は分からないけれど。遠くない内に、知ることが出来るのではないかしら」
これがエイデス様の企みなのであれば、相手の目星もついているのだろう。
けれど。
「……本当に、ウェルミィとダリステア様に、危険はないのね?」
「ええ、ええ。旦那様は、ウェルミィ様を大層愛しておられますからねぇ」
「なら、良いのだけれど」
そうして数日後に、イオーラもおそらく悪戯を仕掛けている相手を発見した。
アロンナの娘、エサノヴァ。
ローレラルの子飼いとしての立ち位置は、きっと隠れ蓑だ。
彼女にはきっと、何かがある。
よく見れば、その目が虎視眈々と何かを狙っているように、こちらに向けられていたからだ。
気付かれていないと思っているのか、気付かれてもいいと思っているのか。
事態が動いたのは、ローレラルとエサノヴァが拘束された、その日の夜だった。
※※※
さらに時は遡り、侍女選定よりも遥か前。
「旦那様。娘より、大旦那様経由でお手紙が届いておりましてねぇ」
執務室を訪れた姉、現デスターム女当主であるヌーアの言葉に、アロンナは元々伸ばしていた背筋をさらに正した。
アロンナ・デスタームは、デスタームの落ちこぼれである。
オルミラージュ侯爵家の懐刀として代々仕えている、裏の事情に精通した家系。
その中には護衛や隠密、あるいはブレーンとしての役割が含まれていたが、アロンナはそのどれにも優れた能力がなかった。
『お前は実直過ぎるねぇ。それに、優しすぎるよ』
と、姉は蔑むでもなく、そう言っていた。
だから、通り一遍の技術を叩き込まれた後は、さほど重要ではない役目を回されていた。
それが、自陣営ではない家への潜入であり、嫁いだ先である子爵家だったのだ。
本家であるグリンデルや、そこと繋がりのある家を見張るための輿入れである。
アロンナは、その扱い自体に不満はなかった。
才覚の差を理解せずに分不相応な望みを持てば、やがて自らの破滅を招く……そうした事例を、数多く目にしてきたからだ。
夫となった人物は遠縁の養子ということで、グリンデル本家でも重用される人物ではない。
デスタームから嫁入りしても、さほど警戒もされず、また子爵家には借金が幾許かあり、肩代わりすることで婚姻はすんなりと成立した。
政略結婚などありふれた話で、デスタームにおいては自分の意思を通すなど、他家よりも遥かにあり得ないことだったからだ。
幸い、アロンナには想い合う相手もいなかった。
ヌーアの娘であるサラリアが恋愛結婚を認められたのは、彼女があまりにも破天荒でありながら、同時に極めて有能だったからである。
自ら辺境伯などと繋がりを持ち、あらゆる人物の弱みを握ったり貸しを作ったりしていた。
そんな姪からの、それも大旦那様経由での伝言となれば、それは非常に重大なことであるはずだった。
「『風が渡り、遥か都に轍が続く。水は堰に塞がれる。火の車が海を駆けるが先か、大地の恵みが人々を潤すか』……娘からの伝言は、以上ですねぇ」
「……それは、誰からの情報だ?」
「あの子が嫁入りした婚家の繋がりですねぇ。辺境伯家の次女からのものと、聞き及んでおりますねぇ」
「あそこは一人娘だったはずだが」
「ええ、ええ。最近、養子として引き取ったそうでしてねぇ」
当主様とヌーアの会話にどんな意味があるのかは、アロンナには分からない。
ただ、自分がこの場に同席をさせられているということは、何か関係があるということなのだろう。
「……隣国の、大公選定に関わることか」
「おそらくは、ですねぇ」
「水の一族に関わる何らかの情報を、風の一族が得た。それを伝え聞いたのだろうな」
「えぇ、えぇ。向こうの〝土〟の公爵は……こちらの、ホリーロ公爵家が、深い繋がりを持っていますねぇ」
大公国は、地水火風の四公による四分割統治と、その四家から選出された大公の総括によって成り立つ国家だ。
四公は基本的に独自に動いており。
ライオネル王家は、現大公である水の一族寄り。
ホリーロ公爵家は、それに次ぐ勢力を誇る土の一族寄り。
話によると、南部辺境伯家は、現在隣接した風の一族と小競り合いをやめて、友好を築いているようだ。
残る火の一族は、ライオネルよりもバルザム帝国との繋がりが強い。
と、なると。
「〝土〟が自国の勢力を強めるため、この国で〝水〟に仕掛けた可能性が高いな」
「えぇ、えぇ。どうなさいますか?」
「他に情報は?」
当主様のヌーアへの問いかけ。
その答えに、アロンナは背筋が凍る。
「離縁させたアロンナの夫は、〝土〟と繋がりがありますねぇ。エサノヴァはあえて本邸に引き入れておりますが、当主様がたがお戻りになった以上、手を打つ必要がございますねぇ」
「……え」
当たり前のように告げられた言葉に、思わず声を漏らしてしまい、すぐに頭を下げる。
「失礼致しました」
「構わない。……つまりあの娘は、向こう側か」
当主様の目に、アロンナへの同情が見えた。
ーーー何も、知らなかった。
アロンナは、娘が産まれた時に、夫と相談したのだ。
エサノヴァをデスタームとして育てるか、子爵家の者として育てるか。
その問いに夫は……優しくも凡庸だと思っていた夫は、『普通の娘として育ててあげたい』と言ったのだ。
だから、極力教育は普通の子女と同様のものを施していた筈だった。
没落からの離縁の際も『娘に苦労をさせたくない』と夫はアロンナに預けた。
ーーーそれが。
体が震える。
アロンナは、娘に愛情がないわけではなかった。
夫にも、深い愛情ではなかったかもしれないが、情はあった。
それが、根底から崩れたような気がしていた。
デスタームからも、夫や娘からも、アロンナは蚊帳の外に出されて……。
「アロンナ」
ぐらり、と視界が揺らいだ時、静かに姉が語りかけてくる。
「お前に知らせなかったのは、えぇ。信用していないからではないですよ。知らせれば、実直で優しいお前が、気に病むと思っただけでねぇ。エサノヴァも、お前を嘲っていたわけではないと、それくらいは見抜けなければねぇ」
いつも通り。
全ての本心を隠す表情と柔らかな口調で言われて、アロンナは顔を上げる。
「その通りだろう。アロンナ。私の見る範囲でも、エサノヴァはお前を母と認めている。元・子爵の考えは分からないが、今回の動きはライオネル王国や我々を害そうとしての行動ではない。大公国の問題に関するものだ」
所属する陣営が違うだけで、気持ちの問題ではない、とする当主様と姉の言葉には、アロンナへの労りが含まれていた。
「わたくしは、どう動けば……」
そう問いかけると、当主様は一度、目を閉じる。
青みがかった紫の瞳がこちらを再び見た時に、彼はこう告げた。
「おそらく、エサノヴァは姿を消す。それまでは、普段通りに過ごせ。……近いうちに、生涯の別れとなるかもしれん」
アロンナは、一度唇を引き結ぶと、頭を下げた。
「……畏まりました」
「お前は諜報には向かないが、侍女長としての能力には期待している。無理はするな」
その言葉を有難いと思いながらも、まだ心の整理はつかない。
「ホリーロが噛んでいるとしたら、少々厄介ですかねぇ」
「ウェルミィに動いて貰おう。どちらにせよ、イオーラの後ろ盾は多い方が良い。〝土〟と繋がりがあるとすれば、こちらに引き入れるのは、むしろ好都合だ。王家との繋がりを欲しているという情報もある……が、間者として入れたがっているような不審な動きは他にない。今のところ、ライオネル王家への翻意はないだろう」
ならば、オルミラージュとの繋がりも、邪魔とは思わない筈だ。
そう続けた当主様の、言葉通り。
ヤハンナ様はウェルミィ様と繋がりを得て、ラウドンが侯爵家執事見習いとして傘下に入った。
ウェルミィ様は天才的な手腕を発揮して、瞬く間に陣営を取り込んでしまった。
そしてアロンナは。
そこからの数ヶ月を今まで通りに過ごし、娘の脱獄を聞いて、自室で一人、涙を流した。
エサノヴァは消えてしまった。
衛兵に連れられる時、自分にだけ見えるように浮かべた、少し寂しそうな笑顔だけを残して。
というわけで、諸々の裏事情!
アロンナは悪役っぽく見せかけて、ちょっと可哀想な立ち位置の人でした。
そろそろ主役軸の恋愛や姉妹愛に戻りたい作者ですが、もう少々お待ち下さい。気づけば文字数がだいぶ嵩んでいました←
次回はイオーラvsエイデスのウェルミィ愛!(の予定)です!
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