無貌の男。
セイファルトは、にこやかな笑顔でローレラルの言葉を肯定した。
「私は、きちんとお顔を見て、ヘーゼル嬢の出入りを記録させていただいておりますよ」
「ほら!」
「あら、おかしいですわね?」
ウェルミィは頬に指先を添えて、わざとらしく小首を傾げる。
侍女や侍従は免除されているが、下働きが屋敷の中に出入りする際には記名する、という取り決めがある。
出入り口に控えている従僕が記録係で、今回は執事見習いのセイファルトが担当していたのだろう。
というか、担当させたのだけれど。
「それは本当なのかしら?」
「ええ、事実ですよ。それよりも、僕はミィ嬢が解呪の心得があったことに興味がございますね。平民出身の筈ですが、どこかで習われましたか?」
セイファルトが面白がるような表情で、ギリギリのラインを攻めてくる。
ーーーやるじゃない。
彼も中々、強かな立ち振る舞いをする。
「ええ、少々知り合いがおりまして。セイファルト様、出入りした人物は本当にヘーゼルでしたか? どなたかが、変装でもなさっていたのでは?」
と、ウェルミィはセイファルトの言葉に、一つヒントを重ねた。
もしかしたら、これで貴族の事情に詳しく、聡い人はウェルミィの正体に気づくかもしれない。
現に、それとなく周りに目を向けると、色だけで髪型と顔立ちを変えていないまま、目立つ真似をしたウェルミィを見て。
間近に接したことのあるヴィネドが目を丸くし、イリィが驚いたように口元に手を添えていた。
それに対して、微かな笑みを浮かべていると。
「変装なんて、誰がそんな回りくどいことするって言うのよ? 大体、そんなことする意味がどこにあるの? そこの下働きを守りたいからって、言いがかりも甚だしいわ!」
ローレラルは、事実を指摘されてもへこたれなかった。
先にウェルミィが解呪の報告をしていたりする都合の悪い部分は無視して話を進めるつもりのようだ。
きっと、自分達が用意した人物と出入りの記録、二つの証拠は強固で揺るがないと、思っているのだろう。
ーーー砂上の楼閣だけどね。
でも、これだけすぐに持ち直すのは結構凄いわね、とウェルミィは感心した。
「なぜ変装を、って、ヘーゼルを嵌めるためではなくて? 本人が入ったかどうかは、記録の筆跡を調べてみれば分かることですし。それに、そこのエサノヴァ様はヘーゼルのご実家に思うところがあるようですもの。侍女長も、もしかしたら同じ気持ちかもしれませんわね?」
そう切り込んでやると、エサノヴァはギリ、と歯を噛み締めた。
アロンナの方は、鉄で出来ているのかと思うくらい、本当に最初から表情が変わらない。
「あくまでも、わたくしが持ち出して、その子の荷物に紛れ込ませたと言うつもり!?」
「誰もそのようなことは言っておりませんけれど」
「さっきから、自作自演だのなんだのと、それ以外にどう捉えられるって言うのよ!?」
「セイファルト様の言葉まで疑って、この後どうなるか、きちんと理解しているのでしょうね!?」
二人が威勢を取り戻すのに、ウェルミィはさらに表情を緩める。
「セイファルト様。改めてお尋ねしますけれど、時間帯は?」
「お二人の証言通り、確かに10時頃、中に入っておられます」
「ほら! 大体、その目立つ傷顔を見間違える人間なんて、いるわけないでしょう!」
「でしたら、私たちや副長が嘘をついている、と?」
「最初からそう言ってるじゃない! ゲオランダ副長に関してはわたくしには理解できないけれど、大方、そこの傷顔に惚れてでもいるんじゃないの!?」
言われて、シドゥは表情を変えなかったが、僅かに耳が赤らんだ。
「自分は、嘘は申し上げておりません!」
「分かっていますわ、ゲオランダ副長。言ったはずでしょう? そういう小細工をする為に『偽物』を使ったのでは? と」
ウェルミィは、勝ち誇った様子のローレラルに目線を戻す。
「あくまでもそう仰るのでしたら! その目立つ顔の偽物を、どう用意して、貴女はそれが誰だと仰いますの!? ぜひお聞きしたいのですけれど!」
ーーー掛かった。
ウェルミィは、静かに手を挙げて、その『偽物』を呼ぶ。
「ウーヲンさん。前に出てきてくださる?」
「……はい」
それに答えて、ウェルミィの横に移動してきたのは……ミザリと仲良くなっていた、青い髪を持つ、目立たない容貌の庭師の男だった。
「彼に、見覚えがあるのではなくて? ローレラル様」
「は? 庭師に知ってる人などいるはずがないでしょう!」
小馬鹿にしたように、ローレラルは鼻を鳴らした。
このウーヲンが、自分を裏切れる筈がない、とでも思っているのだろう。
だけど。
「ウーヲンさん。ヘーゼルの姿に変わってくれるかしら?」
「仰せのままに」
と、ウーヲンが言い、直後にその体が、水に変化したように波打つ。
ヒッ、と不可思議な現象に周りにいた使用人達が後ずさると……そこには、服装は変わらないが、背丈や顔立ちがヘーゼルソックリになったウーヲンが、立っていた。
「嘘……」
ヘーゼルが、姿の変わった彼を見て呆然と呟く。
「彼は、大公国の、〝水〟の公爵家の血を引いているようなの。あちらの、四公と呼ばれる地水火風の名を掲げる公爵家には、その血統のみが扱える魔術が一つ、受け継がれているそうね」
リロウドの血筋が、補助魔術に特化し、解呪の力が強いように。
〝風〟の公爵の血筋が、風渡りという神出鬼没の魔術を扱うように。
「水の一族の魔術は、〝変貌〟の魔術よ」
レオが元々持っていた【変化の指輪】も、元は水の一族の力を部分的に模したものらしい。
お義姉様がそれを知って、『サロン』で研究したものの、水の一族の力を完全再現は出来ず、指輪の能力を……それでも十分凄いことなのだけれど……模倣するに留まった。
「ウーヲンさん。貴方、誰の指示でここに潜り込んだの?」
「ローレラル様のご指示です」
「それともう一つ、別のことを指示されていたわね?」
ウーヲンは、裏切りに信じられない様子を見せているローレラルに、チラリと目を向けて。
「はい。……ミィさんや、もし可能なら女主人様に近づき、その貞操を奪えと、命じられました」
今度こそ、使用人のほぼ全員が、驚愕に顔を染めた。
「ふ……ふざけるんじゃないわよ! よくもそんな嘘をついて、わたくしを嵌めようと……!」
「ローレラル・ガワメイダ。そして、アロンナの娘、エサノヴァ」
ウェルミィは、憎悪すら浮かべてウーヲンを睨みつけるローレラルと、状況についていけていないエサノヴァの名を呼ぶ。
呼び捨てにされたことに文句を付けようとしたのだろう、口を半開きにしたまま、ウェルミィが向ける冷たい視線を受けて、固まった。
周りの使用人達も、気圧されたようにざわめきが小さくなる。
「彼を変身させてヘーゼルをハメようとしたことも、私の貞操を狙わせたことも、どうでもいいわ」
「は……?」
もっと重要な事実が、一つある。
「ーーーねぇ。各国は、四公の魔術を扱える者を発見したら、速やかに大公国に届け出る義務があるのよ」
それは、国際契約として規定されている、れっきとした『制約』である。
あまりにも各血統の能力が危険過ぎる為、大公国がきちんと管理する代わりに、他国内で能力を悪用しないという取り決めが為されているのだ。
彼女達がもし、この契約にサインした王族や上位貴族当主であれば、即座に呪いが降りかかるほどの重罪である。
逆に大公国側も、自国の防衛や要人警護以外で、あるいは金銭を対価に他国へ利する形で魔術を行使した場合は、同様の呪いが降りかかる。
一族の人間を私物化するなどもっての外で、ウーヲンの処遇は、国際問題にまで発展する事案だった。
それを。
「知らないとは言わせないわ、ローレラル。貴女、自分が何をしたか分かっていて? 国家間の賠償責任問題に、下手をすると戦争に発展するような状況を、たかが嫌がらせや私欲を満たす為に引き起こしたのよ?」
「わたくしは、そんな庭師は知らないわ! いい加減に……!」
「何も証拠を揃えずに、こんなことを言っている訳がないでしょう。そろそろ気づきなさいよ」
ウェルミィが手を挙げると、シャラン、と腕輪が鳴る。
その合図で、お義姉様が静々と進み出てきた。
二人で同時に、腕輪を引き抜くと。
同時に髪の色と瞳の色が変わり、使用人達が一斉に息を呑んだ。
ローレラルが、瞬時に顔色を悪くした。
「その、髪色と髪型……やっぱり貴女が、魔導卿が手を出した下働き……!」
「重要なのはそこなの?」
ズレた物言いに、ウェルミィは呆れ返った。
「エイデスの婚約者であり、女主人である私、ウェルミィ・リロウド、並びに、王太子殿下の婚約者である、イオーラ・エルネストの名の下に命じます。ローレラルとエサノヴァ、並びに彼女の目論見に加担した使用人を全員拘束しなさい」
アロンナは、その命を受けて、優雅に礼儀を取った後、顔を上げて家令を見た。
彼が頷くと、順に名を挙げていく。
「護衛騎士団長、並びに、護衛魔術士団長に命じます。ローレラル、エサノヴァ、オリオン……」
と、順にヘーゼルへの嫌がらせを行った下働き頭や、彼女達に同調していた小鳥の下級侍女の名前などを挙げて行く。
「全員、拘束してオルミラージュ当主様、魔導省、並びに王室への連絡を」
「「はっ!」」
各団長が答えると同時に、囲んでいた騎士達が動いて、次々と取り押さえていく。
それをポカンと眺めていたヘーゼルに、ウェルミィは片目を閉じて見せた。
「後で正式に発表するけれど。貴女に、オルミラージュ女主人の側付きを命じるわ。覚えることいっぱいあるから、覚悟しといてね?」
思った以上に第三章表が長くなりましたねぇ。
こちらの章、テーマは『変装』でした。
ここから、第三章・裏に入ります。
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