バットエンドの後の後。
「へぇ、侍女長って、そんなに性格悪いのねぇ」
「悪いなんてもんじゃないよ。伯爵家が潰れたのは捕まった元伯爵のせいで、伯爵が親戚を切り捨てたのは、自分を殺して家督を乗っ取った実父を周りが許したせいだったのよ? それを逆恨みして、あたしたちにぶつけて来るんだからさ」
「完全に八つ当たりですね」
「そうでしょう? 分かってくれる? アロイ!」
「分かるわよ。うちも同じようなことをした養父が、お義姉様を殺そうとして……」
部屋に集まって、アロイやミィとそんな風に話すヘーゼルは、ミザリが一度も見たことないような笑顔を浮かべていた。
ーーー笑えるようになって、良かったねぇ。
なんだか泣きそうな気持ちになったような気がするけど、その気持ちは心から遠い感情だったので、ミザリは泣かなかった。
自分はもう、ニコニコ笑顔を浮かべているのが苦にならないから。
屋敷でも、ここでも、いつだって張り詰めたような顔をしていたヘーゼル。
でも、自分が構わなくなったら、態度の悪さのせいで誰とも話さないようになってしまうだろうヘーゼル。
使用人棟でヘーゼルとミザリが同室になったのも、どうせ事情を知ってる侍女長の嫌がらせだろうけど。
ミザリは、何くれとなくヘーゼルの世話を焼き、声をかけた。
最初は無視されていたけど、その内に話だけはしてくれるようになった。
ミザリは、孤児だった。
物心ついた時には養護院に居て、親は誰だか分からない。
そしてある日、トールダムを名乗る、あの顔色の悪い男に拾われたのだ。
『今日から、お前は俺を父と呼び、この横の女を母と呼べ』
目を向けると、ハチミツ色の髪をした侍女の格好をした女は、ニッコリと笑った。
ミザリは、彼女やグリンデル家の奥様と同じ、そのハチミツ色の髪を持っているから選ばれたのだ。
ーーーそして、地獄が始まった。
使用人棟で、礼儀作法を、文字通り体に叩き込まれた。
拳と、足と、鞭によって。
『決して見える場所には傷をつけるな』
トールダムはそう厳命し、自らやり方をミザリの体で実践してみせた。
そして、必ず、どんな時であっても、誰が相手でも言われていた。
『幸せそうに、笑え』と。
どれほど所作が出来ても、上手く楽器を弾けても、知識を身に付けても。
笑えなければ、痛めつけられた。
笑えないミザリに、トールダムはある日、ネックレスを渡してきた。
不透明な、黒い球がついていた。
『握れ』
そう言われて握ると、辛さが和らいだ。
『笑え』
そう言われて、笑みを浮かべた。
笑えた。
『笑えなければ、それを握れ』
全て、言われた通りにした。
辛い時、苦しい時、泣きたくなった時。
すぐにその球を、握るようになった。
常に笑顔で居られるようになった頃、奥様が死んだ。
初めて屋敷に入って、ミザリはヘーゼルに会い、トールダムに命じられた。
『ズルい、欲しい、と言って、アレから全てを奪え。全てをだ。そしてそれ以外は無視しろ』
言われたとおりに、ミザリは全てを奪った。
正直、それに罪悪感はなかった。
だって、なんだか目の前の事が遠くの出来事に思えるようになっていたし、全部奪った後でも、ヘーゼルは養護院よりはよほど上等なお仕着せの服を着ていたから。
働けば、当たり前に食事は与えられていたから。
ただ、煌びやかなモノが、彼女の周りから消え失せただけだったから。
途中から、別に欲しくなかったけど、ミザリはヘーゼルから奪った。
最初は宝石やドレスが少しは嬉しかった。
でも、お貴族様の生活も服も窮屈で、重くて、すぐにそんな良いものじゃないって分かったから。
恨みがましい目で、ヘーゼルがミザリを見ていたのは知っていた。
でも、無視していた。
奪うとき以外は無視しろって言うから。
それに、黒い球を握っても、消えない気持ちが一つだけあった。
ーーー殺されたくない。
屋敷に暮らす間、ミザリの心を支配していたのは、恐怖だった。
そして、ヘーゼルが羨ましい、と思っていた。
だって。
ミザリは、ヘーゼルから物を奪わない日は、気が狂いそうなくらい延々と、腹を叩かれた。
少しでも彼女に目を向ければ、全身をつねり上げられた。
声を出してヘーゼルにバレそうになれば、猿ぐつわを噛まされて声を封じられた。
そういう時は、黒い球も取り上げられていた。
そんな時も、笑顔でなければいけなかった。
笑顔が、笑顔が、笑顔が。
そこになければ、水に頭をつけられて、溺れるまで苦しめられた。
でも、決して、殺されはしなかった。
『笑え。奪え。無視しろ。でなければ、これがずっと続くぞ』
苦しいのは嫌だ。
苦しいのは嫌だ。
殺されたくない。
笑わないと。
でも、死にたくない。
死にたくない。
死にたくない。
それしか考えてなかった。
だからヘーゼルが羨ましかった。
お屋敷に住んで、仕事をして、服を着て、少ないけど食べ物を食べられていた。
ただ、奪われて放置されてただけ。
ミザリは綺麗に着飾られて磨かれたけど、全身青あざだらけだった。
苦しくない方がいいな、って、元々ヘーゼルみたいな生活をしてたミザリは思っていた。
そして、あの日が来た。
ヘーゼルが叫んで飛び込んできて、自分の手首を裂いた。
表情を変えてしまいそうになったミザリは、黒い球を握った。
それが、パキン、と壊れた。
笑顔が崩れそうになったミザリに、横からトールダムが命じた。
『嗤え』
その時、ミザリの頭の中で、何かがプツン、と切れる音がした。
血飛沫を、倒れ伏すヘーゼルの絶望の顔を見ても、何も感じなくなった。
黒い球がないのに。
今まで全身を支配していた恐怖と緊張もなくなって、ミザリはヘラヘラと笑えた。
ーーー悪いことしたなぁ。
笑いながら、倒れているヘーゼルを見て、ミザリは思った。
何の恨みもなかったから。
死にたくなかったから、奪ったけど。
命まで奪うつもりはなかった。
だから、助かったと聞いて『良かったねぇ』と、どこか遠くで起こった出来事のように思った。
ミザリの話を聞きに来たうねる銀髪で顔の良い男は、無表情に淡々と、何故か変な水晶に手を翳させた。
『魔力波形の記録』と言っていたが、何の話か分からない。
ミザリは孤児で、お貴族様ではないのに。
そう思って問いかけると、銀髪男は『魔力は皆にあるが、普通の平民は魔術を使えるほど強くないか、修練していないだけ』なのだと聞いた。
あんまり興味はなかった。
魔力は皆にあるらしい、と、そう思っただけだった。
でも、今の状態はいいな、と思った。
何にも心を乱されない。
全部遠くの出来事に感じて、ニコニコ笑顔も体も、何も辛くない。
侯爵様のお屋敷に来る直前くらいに、銀髪男と一緒にストロベリーブロンドに銀の瞳の美少女が訪ねてきた。
何でかミザリを見て息を呑み、次に痛ましそうな顔をして、彼女がミザリに手を伸ばして何かをした。
『かろうじて、魂と肉体が繋がってる状態です……魔力も歪み切ってます。治癒は施しましたけど……彼女を繋ぎ止めているモノが、何なのかは分かりませんが、一つだけあるみたいです』
銀髪男は黙って頷いて、美少女と一緒に居なくなった。
その後、ヘーゼルと一緒にお屋敷に入った。
ヘーゼルは、『ヘーゼル』って呼んでもミザリには答えない。
多分、いつも彼女が口にする『伯爵令嬢のヘーゼル』を知っている、唯一の人間がミザリだから。
それに気づいたから『傷顔』って呼ぶようにした。
そしたら、ヘーゼルは話してくれるようになった。
その顔で良いんだって、この顔で幸せになるんだって、彼女は背筋を伸ばしていた。
だから、ミザリは思う。
目の前で笑っているヘーゼルに。
『良かったねぇ』って、思うのだ。
ミザリみたいに、ただ顔を動かす笑顔じゃなくて。
心から笑っているから。
ミザリは、王宮侍女の試験を受ける。
ヘーゼルは受けない。
試験に受かったら、ヘーゼルとは離れるけど、多分、お金はいっぱい手に入る。
ここは、侍女長が嫌いだからって、ヘーゼルは寄り付かないだろう。
そうしたら、ミザリもここにいる意味はないなって思ったから、王宮侍女になろうって思った。
きっと街にも出れるし、ご飯には困らないし。
ヘーゼルが苦労していたら、お金を貸せるだろうし。
受からなかったら、ヘーゼルと一緒に出て行こうかなって思う。
街での生活も、きっと今の二人なら、そんなに苦労しないだろう。
「ねぇ、ミザリ?」
ミィとヘーゼルが、いつの間にか二人で盛り上がり始めたからか、アロイが静かにこちらに来て、ふんわりと微笑みを浮かべる。
ーーー優しそうで、綺麗だな。
自分とまるで違うその笑顔を、ミザリがそう思いながら答える。
「なぁに?」
何となく、普通に話をするだけかなって、思ったんだけど。
「ーーー貴女は、ヘーゼルが好きなのね」
囁くようにそう言われて、キョトンとした。
「そうなのかな?」
自分ではよく分からないけど。
「そうかもねぇ」
と、適当に答えておいた。
だいぶ後になってから、ミザリはアロイの言葉の真意を知った。
自分は、唯一自分が関わることを許された、同じような境遇のヘーゼルに依存していて。
それが、自分を殺さなかったものだったらしい。
彼女を救うことで、自分も救おうとしていたのでしょう、と言われたから。
その頃には、ミザリも普通に笑えるようになっていた。
怒ったり悲しんだりは、だいぶ経つまで苦手だったけど。
そうだったのかもなぁ、と思うくらいには、心と感情が近くなっていたから。
近づけてくれたのは、きっと、無愛想だけど側に居ても追い払わなかったヘーゼルと、いつだって優しく笑って接してくれる、アロイだった。
『あんたの世話なんかいらないわよ。好きなことしたら?』
『ねぇ、ミザリ。ヘーゼルが幸せになるなら、貴女もなって良いのよ』
って。
というわけで、もう一人のバッドエンド少女、ミザリのお話でした。
唯一、同じ境遇だったヘーゼルに依存することで、死にたくない、という気持ちを繋ぎ止めていたのでしょう。
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